第五十九話 『後を任された者たち』
暁と怜のバッテリーが本日の出番を終え、星海ベンチへと帰還してくる。
暁はアイシング用品を取りにベンチの奥へ、怜は田代の元へと分かれる。
「田代、壊しておいたのは1番と3番だ。2番と6番は球数的に狂いが薄め。『後遺症』が何イニング持つかは分からないから適時対応してくれ」
「ああ、分かった。次は4番からだな、きっちり抑えてくる」
そう答えながらも、田代は少し複雑だった。
暁の後ろに配置され、投げることももうすぐ1年近くになる。その中で分かったこと。
暁は、通常の投手の枠には収まらない。
ただ抑えるのではなく、相手にデバフを与えて試合全体を支配する。
それを非難したいわけでもなく、真似をしたいわけでもない。それがチームに勝利をもたらしているのは事実だ。
ただ思うのは、自分が抑えているのは純粋に自分の力ではない、ということ。
練習試合では、たまに単独で投げる場面はあった。だが、こういう公式試合では変わらず『新・黄金リレー』のピースである。
真剣勝負の場で己がどの程度通用するのか、それを認識できない。
果たしてこのままで、本当に甲子園で暁を温存できるのか?いざという時に暁を頼る気持ちが監督やチームメイト、そして己自身にも生まれてしまわないか?
田代には少し、それが懸念として残っていた。
暁は強い。『新・黄金リレー』も強い。しかし、それに頼るだけではいけない。
そろそろ独り立ちを始めなければならないのかもしれない。そうでなければ、真に暁を支え、隣に立つ資格などないのではないか?
「田代、そろそろ出番だ。準備はできてるか?」
「はい、行ってきます」
監督の声掛けに迷いを心の奥底に追いやり、精神を目の前の試合に集中させる。
ベンチの隣では暁がはちみつレモンの一口シフォンケーキをぱくついているのを、左右田が睨んでいる。
(左右田、お前はまだ暁の投球の本当の怖さは理解してないだろうな。その時まだ、そのライバル心を維持できるか……。
俺も先輩らしく、暁の後ろで満足してないってところをみせておかないと示しがつかん)
後輩が折れてしまいそうになった時、同様の立場の先達が諦めているなんて、そんな情けない姿はさらせない。
それにそれは、真剣に今戦っている相手チームに対しても失礼だろう。
「左右田、何を感じて何を成すのか、考え続けろ。
俺は先に行く」
田代は左右田にそう語りかけ、マウンドに向かった。
暁は、田代が何を言っているのかよく分からず首を傾げながら、2つ目の一口サイズのシフォンケーキを口に入れてから、食べてるので声をかけられないことに気付き、せめてものエールを送ろうと手を振っていた。
暁による『打撃破壊』は、『後遺症』と異なりその試合中に打者の打撃能力が復帰することは見込めない。
つまりこれは、その打者には注意を払う必要がなくなるということだ。
そしてその分のリソースを、残りの打者に振り分けることができる。
これは非常に、投手有利となる。
田代が相手にするのは2人の『打撃破壊』を受け、残る5人が中程度の『後遺症』を抱え、2人が幾分か軽度の『狂い』で終わっている。
だが言い換えれば、誰も彼もがまともな状態ではない。
田代は単体でもMAX150km/hの2種類の異なるストレートを持つ、万全の向上高校レベルを相手にしても十分な制圧力を発揮できる優れた投手だ。
なのに、これだけデバフまみれの環境に放り込まれればどうなるか?
『田代選手!今イニングも安打を許しません!4イニング投げ切って、ヒットはわずか2本!しかも1本は守備の隙間に落ちた不運なものです』
『うーん、田代選手、素晴らしいですね。被安打数もですが、長打を1つも許していません。力で完全に押し込めています。
エースナンバーこそ背負っていませんが、この田代選手こそエースの器なのではないかとすら、思わせてくれます』
暁が打線を意図的に機能不全に陥れているなど、そんな発想が実況席にあるわけがない。
彼らに分かるのは、暁の後にマウンドに登った田代が、好成績をマークしているということだ。
『向上高校の選手たちも、いまだに田代選手の豪速球にバットが合いませんね。
2年生にして150km/h。春から球速アップはしませんでしたが、要所要所にビシリと決めるピッチングです』
『田代選手は変化球の強化と、ストレートの球質の強化に力を入れたのかもしれません。
体が大きくなりましたが制球も乱れがなく、安定感がぐっと増した印象です。
球速自体は変わっていませんが、190cmに到達した身長から振り下ろされる投球は、予想以上の圧力と体感速度ですよ』
『それはかなりの長身ですね。横幅もがっしりとしていて、頼りがいを感じます。
おおっと!また三振に取りました。8回の先頭打者をきりきり舞い!
おおッと、ですが、星海ベンチから交代の合図が出ます。
これは、なぜでしょうか?』
『うーん、どうでしょうね?わざわざ9番打者に代わっての代打を相手にしようとしたタイミング、この終盤でしかもイニング途中の交代劇。
怪我でなければいいのですが』
怪我などではない。このまま田代が投げても、この回は9番打者に続くのは1番、即ち暁に壊された相手だ。なら点数期待値は低い。
相手は9番に代打を出し、せめてもの反撃を狙ってきている。
それなら田代に力で抑えさせなくても、田代想定で出してきた代打の思惑を後出しで外す戦略が刺さる。
高坂揺、下手投げのナックルボーラーの出陣である。
誰にも予測できない揺れ球は、風を受けて舞い、打者を翻弄する。
しかも高坂は、春に比べて『球速を落としていた』。ナックルの変化の大きさを損なわせず、MAX100km/h前後からMAX85km/hにまで。
通常であれば、最もナックルが変化しやすいとされる100~110の範囲から外そうとなど考えもしないだろうが、高坂は『田代の後であれば速度差があるほうが有利。変化を損なわず、継投効果を最大にする』という選択をとった。
下半身の粘りを強化し、より体重を下にかけるフォームで、変化を損なわぬまま球速だけを少しずつ落としていった。
結果起こるのが、田代との球速差65km/h。
こんなもの、直後に出されて対応できる方がおかしい。
『高坂選手の白球が風に舞う木の葉のように、向上高校の代打のスイングの間を縫っていきます!
希少なナックルボーラーが打線を翻弄!』
『うーん、ナックルはあまり見ないのですが、いい調子で始まったように見えますね。
これだけ田代選手と速度に差があれば、もしナックルが変化しない棒球になっても即座に捉えることが難しいかもしれませんよ』
代打を処理してしまえば、2アウトで迎えるは打撃が崩壊している1番打者。
そんな状態で打てるわけもなく、8回は反撃の狼煙を向上高校はあげることもできず、6点差のまま8回の裏へと回る。
8回裏、監督は『わざと打線に追加点を取らないように指示し』、コールドゲームの早期決着の札を拒絶するという、異例の采配。
そのまま9回の表の2番打者を高坂に処理させた後、監督は声を上げる。
「左右田、行って来い。暁に『壊された』3番打者と、『後遺症』から復帰した向上高校の4番打者の差、その身で体感してくるんだ。
お前をうちの継投内で使う以上、こういう場面は今後も来るかもしれん」
「――行ってきます」
今はまだ投手陣の中心に立てない悔しさをその顔から隠すこともなく、左右田は出陣する。
田代はその負けん気の強さに期待の1年生の頼もしさを感じながらも苦笑し、暁はなぜあんなに険しい顔なのかと首をひねる。
マウンドに上がった左右田は、紫苑の教え通りグローブを己の背に隠し、打席に近づく相手を見る。
だが、この場面で相手の心理を読む必要はない。
(高坂先輩からより離れた投球――それなら右を使う)
左右田の右は、球速に優れ縦の変化を重視したもの。
MAX138km/hという、1年生としては優れてはいても学年を考慮しなければエース格には及ばない球速。
だがそれも、高坂の直後であれば50km/h以上の差。十分に想定を崩すことができる。
野球の規定では、投球前にどちらの手で投げるか明示しなければならず、またその打席内で使う腕を変えることはできない。そしてその後、打者は左右どちらかの打席に入ることを選ぶ。
なぜかやたらと両投げ投手に対して不利な規定だが、規定は規定。左右田は左手にはめたグローブを審判に示す。
(行くぞ!)
初球はホップ成分の強い最速ストレート。
打者の手はピクリと動くが、結局見逃してストライク。
2球目は内角のボールゾーンに、大きくカーブを描く見せ球。125km/h弱と、この系統の球種ではストレートとの速度差は小さめだが、大きな変化で力強い。
ついで3球目、外角に再びストレート。ホップするいい伸びのストレートが相手のスイングの前を切り裂き、ストライクを増やす。
(なんだ、あのごちゃついたスイング?)
暁の『打撃破壊』については、左右田もロジックの説明は受けている。
だがここまで近くで破壊された後の打者を見たことはない。
何も知らなければこのバッターが下手くそだとか、この場で大きくミスをしたとでも思っていただろう。
こんなものを意図的に起こせるというのか?それは抑えるというより打者本人への攻撃行為ではないのか?
疑いたくなるが、星海の皆は信じている。この頭のおかしい戦略を。
4球目、130km/hほどの縦落ちの球で低めにストンとおさめ、崩れたスイングに気味の悪さを覚えながら3番打者を打ち取る。
なんだか達成感が全くない。壊れたおもちゃを相手にしているような、すでに弱った相手にとどめを刺しているような感覚。
(気を取り直すぞ。次は話を信じるなら、万全の4番打者のはず)
左右田が次に選んだのは、左腕。こちらは左右に散らす構成の変化球を持つ、いわば幻惑型。
MAXは133と右よりも劣るが、違うということ自体が武器。
初球、グローブと逆方向に、少し浮いた後斜めにアーチを描くように沈みながら曲がっていく。縦も横も20cmを超える大きな変化。そして115km/hという-18km/hの緩急性能。
4番打者はしっかりと目線でボールを追い、白球がミットにおさまった後に軽く素振りをする。
そのスイングに異常は見当たらず、イメージで先ほどの球を打っているのが伝わっている。
打席に戻ってきて、構えるその姿から強豪校の圧力を確かに左右田は感じた。
(押されてたまるか。俺はこの学園でエースになるんだ)
2球目はグローブ側へと小さく曲がる球種。内角の中段に差し込むように。
(っ、スイングが速)
ギッ
ヒットにはならない。だがキャッチャーの真後ろに飛ばされた。タイミングが合っている証拠。
(初見でここまで当ててくるのか)
左右田が奥歯を噛んでいる一方で、相手の4番打者も首を傾げていた。
(せめて一発お見舞いしてやると思ったが、芯がずれた。さっきの軌道と逆方向だから少しつられたか?
次はどれを投げてくる?)
左右田の背に汗が流れ、ひりつく感覚。
だが、これが正しいと左右田は思う。さっきの打者は処理してるようなものだった。勝負とはこういうものだ。
左右田はこの試合を終わらせる最後の1球を、投じた。




