↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
56/66

第五十六話 『梅雨の中の1日』


 夏県大会まで1ヶ月を切った6月の梅雨の中のある日、暁・怜・晶・澪菜の4人は紫苑に召集されていた。



「皆さんご機嫌麗しゅう。本日は、大会向けの配球プランの構成方針を詰めたくてお呼び立てしました。

 幻大くん、新球の具合はいかがですか?」



「1つは実戦投入可能になった。

 もう1つは、日によって安定するしないがまだブレるな。こっちは個人的にはまだ使いたくない」



「変化量が安定しないと既存の球との差別化が難しい。

 将来的には必要な球だが、今は少しな。9月をめどに安定させたい」



 紫苑の質問に暁が答え、晶が補足する。



「すると、甲子園に間に合うかも微妙か。後半なら8月中旬を超えるから、ある程度使えるかもしれないが」



 怜が現実的なスケジュールを確認すると、それに澪菜が根本的な質問を入れる。



「というか、あの新球本当に要るんですか?変化方向的に、既存でも十分では」



「「「「いる」」」」



 暁・怜・晶・紫苑が異口同音に澪菜の意見をぶった切った。



「ふええ、なんでですかあ。4種類も同方向の変化球なんていらないでしょう?

 種類増やすより、絞って1つの球種を磨いてもいいじゃないですか」



 通常の投球理論からすると至極もっともなことを言う澪菜だったが、怜はそれをまだ暁に対する理解が浅いと断じる。



「役割が違うんだよ。それに、暁に球種を絞る意味はない。

 すでに既存の変化球は完成形に近い。それなら既存球種はメンテナンスにとどめ、新球種を覚えたほうがこいつの場合は合理的だ。

 ストレート欺瞞基盤の多球種型は、過去の理論にそぐわないんだよ」



「とは言っても、晶の品質管理前提だから、星海以外でやたら増やしても上手くいくケースはそうないだろうけどな。

 独力でできるの、ダルビッシュ選手くらいだろ、たぶん」



 暁による信頼を感じて、晶は黙ったままの仏頂面ではあるが少し誇らしげ。



「言っておくが、私でも10球種――フォーム違いを含めれば実質20が管理の限界だからな。

 以降増やす気なら選別はしっかりしてくれ。効果の低い球種を導入されても困る」



「そこは怜や紫苑と相談してからにするから安心してくれ。10球種目は、着手は冬からになりそうだから秋のうちに選別しておく」



 まだ増やす気だと晶に対して宣言している暁。

 澪菜は自身の固定概念が揺るがされている。



「この人たちおかしなことを言っています。

 私は成長段階でしか役に立てませんね」



「あのようにイカれた――いえ失敬、素晴らしく独創的な理論を提唱されて、なに自分を貶されているのですか澪菜さん。胸を張ってください」



「あれは沙耶ちゃんのデータから再構成して、すでにあった現象を再現しようと言っただけですので。

 ですが褒められるのは気分がいいので、もっと褒めてください」



 紫苑に褒められ、すぐにどや顔になる澪菜。単純である。

 晶はその様子に、「こいつ、まがいなりにも謙遜とかできたんだな」などとひどいことを言っている。



「じゃ、とりあえず新球1つは夏の県大会に導入、もう1つは甲子園の後半で限定的に使うかもしれないってことで。

 紫苑、悪いが2ルートでの配球構築を頼む」



「了解しました。我が君」



 暁は紫苑の返しに、「『わがきみ』、そんな名前の響きに似た和菓子があったような」などとのんきなことを言っていた。

 紫苑からやたらと崇められていることに未だに気が付いていない。



「ところで暁、ついにフォームの使い分けが完成したんだろ?」



「ああ。これで100%の『微差緩急システム』が運用できる。あと、急加速ストレートのバリエーションも増やせるな」



「ああ、『4球型』ですね。理論上、これが最も『クリーンナップぶっ壊し理論』を効果的に成す配球シークエンスです。

 今までの『2球型』に比べて球数は使いますが、現状破壊力でこれに匹敵するものはありません。ふふ」



 春までの80%の使い分けでは、2球つかう急加速ストレートはキックチェンジが遅く決まった時にのみ使うとしても80%の成功率。

 大して4球を費やす方はそのシークエンスの特性上、1球目から速度が確定しなければならず、その成功率は約41%にまで落ちる。

 とてもではないが戦略的に使えるものではなかった。ゆえに構想だけはあっても、封印され続けていたのである。


 だが今、100%に使い分けがなった今、そのボトルネックは完全に解消。

 その威力と全貌は、試合で実際に発揮されるであろう。






 雨のしとしとと降りしきる中、玲奈はカランカランとドアベルの音を響かせながら、このスコーンで有名な紅茶店の戸をくぐった。



「……あら?」



 そしてその店内に、暁の姿を確認して、店員に「知り合いがいるので相席で」と告げて2人席に座っていた暁の対面に腰を下ろす。



「暁くん、この店に来るのに私を誘わないのは、少し不義理じゃないかしら?」



 最初にこの店を一緒に訪れてから、2人は時折待ち合わせをして通っていた。

 そんな秘密の仲だというのに急に仲間外れとはどういう了見なのか、と玲奈は問い詰めようとして。



「ん、ああ、玲奈か」



 いつもに比べて落ち着いた、いや落ち込んだ雰囲気と、テーブルに広がったほとんどまだ手を付けていないメニュー、プレーンスコーンとアッサムティーの組み合わせを見て取って、責めに入った己の浅はかさを悟る。



「……ごめんなさい、私がぶしつけだったみたい。

 もう、あの日からちょうど1年なのね」



「いや。……そうだな、玲奈と一緒でもよかったかもしれない。玲奈は当事者だし」



 かつて、暁と玲奈と、そして梅本がこの店に訪れてからちょうど1年。今日がその日であることを、玲奈は暁が梅本のかつて頼んでいたメニューを見て気が付いたのだ。


 プロの夢を奪いそのまま卒業させてしまった、そう暁が信じて疑っていない以上、彼にとって今日は特別だったのだ。



「……梅本先輩とは、まだ連絡を取ってないの?」



「取れるわけないさ。不甲斐ない後輩の、俺が」



 夢をかなえると、甲子園に連れて行ってあげるなどと思いあがって嘯いて、その実決勝の舞台でそれを台無しにした張本人が、どんな顔をして顔を出せるというのか。

 梅本がその再会を本当は待ち望んでいるとしても、暁の中ではいまだに自分は責められるべき立場だと感じている。


 玲奈は何かを言おうとして、しかし結局口をつぐんだ。

 自分はスカウティング専門。偵察して相手校のデータを集め分析することしかできない。実際に戦うのは選手たちで、その結果を背負うのもまた選手たち。その境界を踏み越えるのは玲奈の中の価値観にそぐわなかった。



「そう……でも食事に罪はないわ。冷え切る前に食べなさい」



 だから、ただそんな表面的なことだけを告げる。



「そうだな。ここのスコーンは美味しいから」



 しかしそれでも、いつもよりも食事の速度はもそもそと遅く、裡に刻まれた傷を思わせる。



(天川先輩、あなたの考え通り、彼の根本はあの決勝から回復してないのね)



 いまだに心配を続けている響のことを、考えすぎではないかと思いつつあった己の目のなさを玲奈は内心悔やんだ。

 心理戦担当にこういう分野で張り合おうとするのが間違いなのかもしれないが、内緒のスイーツ仲間であることに少しの優越を感じていた玲奈にとっては、敵わない、と自然に思えてしまったのだ。



「私も注文するわ。抹茶のスコーンと生クリームにラズベリーソース、紅茶は私もアッサムで」



 店員を呼び、オーダーする。

 そのオーダー内容は、梅本が「気を使って頼んでやればよかった」とあの日言っていた抹茶味に、豪華なトッピングを。



「暁くんにも少し分けてあげるわ。甘いの、好きでしょう」



「……うん」



 全部はきっとまだ早い。まだ飲み込め切れはしないのだろうから。

 だけど少しでも、あの日梅本が与えられなかったものを代わりに自分や自分たちが、こうやって与えてもいいじゃないか。

 それがほんの少しの慰めに過ぎなくても、子猫が雨に濡れて道に迷ったような顔をしているのを放っておけないのだから。



「今年は私だけではなく、時谷さんの『時間軸のスカウティング』があるわ。精度も応用性も3月までに比べてずっと上なはず。役立ててちょうだい」



「選抜までだって助かってたさ」



 野球そのもの、勝つための内容に会話が切り替わったことで暁の調子が上向いて見える。

 だが玲奈にはもう、それは戦闘用の皮をかぶっているようにしか見えない。

 でもそれでも、その傷を癒す役割はきっと自分ではないから。



「今年は打線に進化した虎杖先輩がいる。データ守備も私たちのデータを使ってくれる。バックアップは心配しないでいいわ」



「ああそうだな。こうまでされて負けるわけにはいかない。今度こそ連れて行ってみせるさ、甲子園」



 それが代替えにすぎなくとも、暁が本当に立ち直るには、勝利して甲子園の土を踏むしかきっとないのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。