第五十五話 『両投げの可能性』
左右田と葵は、実は小学校からの幼馴染であった。
「あのねあのね、今日先生がね。あ、この先生っていうのは暁先輩ね」
葵が嬉しそうに、普段よりも少し幼い口ぶりで『優しい先輩』のことを今日も話し出す。
左右田からすれば、ライバル視している相手に幼馴染の、憎からず思っている少女が懐いているのだから複雑極まりない。
「ねえ、聞いてる?啓ちゃん」
「聞いてるよ。またあの先輩がやらかしたって話だろ」
「えー、違うよぉ。あのね、先生はね」
なおも言い募る幼馴染から目を逸らし、左右田は己が星海学園に進学を決めた日のことを思い出す。
あれは去年の4月末の春季大会の鉄火場、そして夏の県大会を、葵も含めた友人たちとネット中継で見ていた時だ。
暁幻大という投手が1年生ながら活躍し、翻弄している姿。
左右田はそれに憧れを抱いた――なんて素直な話ではなく、『俺ならもっと行けるはずだ』という負けん気だった。
なお、周囲は無邪気に「すげえすげえ」などと言っていたが、左右田にとっては夏の決勝で慟哭している姿は胸に来るものはありつつも『俺ならきっとあんな風には』と思わせるものでもあった。
葵はそれ以来、「星海に入ってあんな選手たちの支えになれたらな」などとこぼすようになり、「ねえ知ってる啓ちゃん、星海って選手とマネージャーの距離近いんだって」などと少しミーハーな発言まであった。
一方で、左右田が自身の中学大会を終え、高校からのスカウトが出揃う頃、星海からの特待の話もあった。
強豪からも誘いがあった中、星海に一番興味を抱いたのは「うちは絶対に君の両投げの希少性を損なわない。場面によってスイッチできる投手・相手によって使い分ける投手像に興味はないか?右も左もどちらかを腐らせるのは勿体ない」という熱烈なオファーゆえだった。
他の高校は、大体が右一本に絞らせるか、左は目先を変える程度のおまけという扱いの育成方針だった中、星海だけが「君の希少性を最大限活かそう。ただし、このプランがいいとは自分は思っているが、最終的にどうしたいかは君次第だ」と申し出てきた。
正直、左右田にとってこのオファー内容は理想に近かった。
それでもただの新興校なら蹴ったかもしれないが、夏の試合を見る限り甲子園は狙えそうで、しかも自分が入ることでそれを確実にできるのでは、という野心も刺激した。
左右田はそして、ほとんど間を置かず星海学園に了承の連絡をした。
その話を葵に話すと。
「ええ、いいなあ。啓ちゃんも行くなら、私も受験してみようかな。そしたら高校でも一緒だね」
そんな風に、高校マネージャーと選手の二人三脚物語を夢想し語り始める葵がいた。
そして、秋――星海学園の文化祭に左右田は乗り込み、そしてその場で暁に杜撰に扱われた。
その理由は「トーナメント用に調整してるのに、ストラックアウトなんて遊びで乱したくない」というしごく納得がいくものだったが、左右田の中の暁への対抗心はますます強くなった。
そして4月、入学の際に左右田は髪をマットな金に染めた。
それは、星海が髪なんかに全く頓着してないこともあるが、なにより『栗色の暁より、目立ってみせる』という気持ちのこもった染色だった。
これは、左右田にとって覚悟の表れだったのだ。
にもかかわらず、再会した暁は全く左右田を覚えていなかった。
紫苑に髪が変わってるが文化祭の子では、と言われても「そんなことあったっけ?」という態度。
だが、一番許せなかったのは、秋のあの張り詰めた空気が失われていたことだ。
一つ上の、大活躍しているが戦いに真剣な相手、そんなイメージが一瞬で覆された。
覚えてもいないのに「一緒に飯を食いに行こう」などと言う神経が信じられなかった。
緩んだ雰囲気で、そのくせ投球成績は以前よりも圧倒的なものを残し続ける姿。左右田にとって選手はハングリーであるべきという美学に大きく反している。
そしてついでに、暁の担当マネージャーになった葵は一瞬でその相手に懐き、「先生、先生」と毎日うるさくなった。
エースなのに偉ぶらず後輩に色々教えてくれる、そんな優しい先輩が葵には理想に見えたのだろう。
だが、左右田にとってはそんな軟弱な男に勝ちたいと思ったのではなかった。夏の大会の真剣な表情、秋に見せた勝負への執着、それに価値を覚え、上に行きたいと目標にしたのに。
ああ、こんなのはただの筋違いの逆恨みに近いと分かってはいる。
だが、この対抗心は止められない。
あの男を、暁幻大を選手として超える、それは左右田にとって固い決意なのだ。
「さてさて、じゃあ、あーしが左右田っちに軽くレクチャーしちゃおっかな」
「よろしくお願いします」
左右田についた4人の担当マネージャーのうちのメイン担当、響が御大層にも格好つけながらポーズをとると、意外にも素直に左右田は頭を下げる。
この男、女性に対してはあたりが比較的柔らかいのだ。選手としての対抗心が刺激されないからだろう。
「左右田っちは今、スカウティングデータを基に左右のどちらを使うかを決めてる感じだけど、あーしはそこに心理戦要素を混ぜたいと思うよ。
って言っても駆け引きは紫苑ちゃんの方が詳しいから、あーしが教えるのはどうやって見極めるか、ってとこね」
そう告げると、響はバットを手にバッターボックスに入って、左右田を見つめながらバットを構え。
「はい、あーしは今、どっちの腕が嫌だと思ってたでしょーか?」
「え、そんなの分かるわけが……」
「ぶっぶー、不正解。実はある程度推測ついちゃうんだな、これが」
響はバットを地面に置いてから両手をバツ印にして、解説を始める。
「まず前提として、相手は自分が警戒してる方を注視するんだー。
さっきのあーしは右半身を主に見てたよね」
「なら、左を使えばいいってことですか?」
「そう単純でもないよん。ここから分岐。
例えば、右を注視する前に左をチラ見してからだったら、それは本当に気になってるのは左側の可能性大。投球の直前にまた左を見るようなら、もっと濃厚になるかな。
他にも、不自然に右側だけしか見てないようなら、それは逆に頭から左の可能性を押し出そうとしてる――つまり考えたくないってこともあり得る。
要はタイミングと配分だよん」
視線から相手の心理を読め、と要求してくる響。
「それ、軽くなんですか?」
「えー、だってあーしはもっと複合的に見てるもん。
重心とか体の向き、守備をどう確認してるかや、打者の癖が出てるか、自分の足場や持ち手の確認がどうはいるか――そういうのまで見だすと精度は上がるけど、やりたい?」
「……いえ、夏までに間に合わなさそうなのでいいです」
「ん。まあけんめーだと思うよ。視線で自分をどう確認してるかだけなら、夏までにどうにかなるんじゃない?なるように叩き込むし。
しばらくは、動画見ての練習と、対面で他の選手に相手を頼んで練習の後に答え合わせの反復ね」
さらっと怖いことを言ってから、響は自身の後ろにいた紫苑にバトンタッチする。
「では、私からは駆け引き面でいくつか教授しておきましょう。
まず、相手打者にグラブをどちらにはめているのか見せるのはよくありません。
グラブを見れば勝手にその逆側に視線は誘導されます。誘導しては、情報もまた歪む。
後ろ手に隠し、どちらに持っているか分からないようにすることで、先ほどの天川先輩の読みをよりフラットな状況から開始することができます」
さらっと、「ついでに、相手に『どちらで投げるのか直前まで分からない』という印象を与えてプレッシャーにもなりますしね」などと続ける紫苑。
「次に、『心理を読むまでもない』部分に関しても精度を上げましょう。
あなたが近日中に採用される起用法は中継ぎです。つまり、前に投げている投手がいる。なら当然、その前の投手より最も離れた特性を持つ側の腕を使えば、相手は読めていても反応しきれません。
天川先輩の心理読みは武器ですが、それだけに頼る必要はないのです。あくまで『打者が困るにはどうするべきか』、それを第一に考えるべきです」
目的を見失い手段に拘泥するな、と紫苑は語る。
「それは配球も同じ。前の投手が下に集める工藤先輩であれば、あなたは上と左右に上手く散らしながら進めるべきです。
この場合、あなたの球種構成では左の方が優位になるでしょうね。
また、幻大くんの後であれば打者ごとに左右を頻繁に入れ替えながら、より幻惑の幅を広げつつ速度差で押すほうがいい。緩急を意識しましょう」
つらつらと述べた後。
「私が教えたい理論は様々ですが、まずはこの3つ、グラブ隠し・前後を意識した腕の選択・配球の体系化、これを身につけていただきます。
それ以外は、とりあえずは後に回します」
なんだか、後でもっと詰め込んで魔改造するというような怖いことを言っている気もするが、左右田は自分が進化できると感じて頷く。
「よろしくお願いします、先輩方」
「よーし、楽しい特訓の始まりだよ、左右田っち」
「地獄を見せるには、まず自分が地獄を知ることからです。さあ、頑張ってくださいね」
何気に、鬼のような特訓タイムでありそうな感じであったが、左右田はくじけないのである。




