第五十三話 『田代の役割』
暁が完投できるようになりつつあることで、星海の最強戦術は『新・黄金リレー』から暁の完投へと移り変わっていた。
そしてこれは同時に、他の投手陣がどれだけ暁を温存できるかの価値が相対的に上がったということでもある。
中でも、安定性を手に入れ、完全な二番手にのし上がった田代がどの程度相手であれば優位に戦えるのかは、最重要課題である。
だが、ここに問題が生じた。
田代の体がまた成長を始め、制御のために多くの時間と労力を割くことになった。
最大球速を上げるのではなく、ほんの少し抜き気味に投げることで制球を維持する。
あえて土台をしっかりさせて、平均球速と球質の向上を目的にしていたが、同時にこれは田代にとって伸び悩みにも近い時期でもあった。
そしてこれを支えたのが、新1年生の女子マネージャー、鉄原結愛である。
「田代先輩!全力スプリント15本の後、投球50球!疲れても乱さないでください!」
データより身体の感覚を重視したトレーニングを好み、他校では「野球部なのに陸上みたいな練習ばかり」と浮きやすい危険もある彼女も、星海の環境下であれば馴染みやすかった。
平均身長より5cmほど高く、健康的な小麦肌で、日に褪せて少し茶に近づいた黒髪ポニーテールで筋肉質寄りの体。
いかにも陸上系女子、といった見た目の彼女であるが、実際に中学では短・中距離の選手であった。
かつては中学2年生でインターミドルにも出場した注目選手だった彼女だが、アキレス腱の損傷により選手としての道を断たれた。
しかし、体を動かすことが好きだった彼女はへこたれず、トレーナーへの道を歩むことになる。同時にそれは、己のようなことを繰り返させないための自戒も含む。
だが、実際にトレーナー見習いとして陸上部に戻ったかつての結愛に待っていたのは、腫れ物に触るような、それでいてやたらと持ち上げようとする動きだった。
中学女子陸上部では、王子様的な振る舞いをしており、それもまた悪い方に働いた。
高校に進学するにあたって、結愛が高校選びの基準にしたのは2つ。1つは己を特別扱いしないこと。もう1つは自分の陸上的トレーニングを受け入れてくれること。
その点、短距離の動きを取り入れてもいいと言ってくれた、星海の野球部は理想的だった。
野球部であれば、過去の自分を深く知る人間などもいないであろうし。
結愛は同情などされたくないのだ。
全力疾走こそできないが、隣で鉄アレイを持ち上げながら指導してくるため、男子として現役選手として、負けられない気持ちが湧いてくる。
「田代先輩!その顔はまだ行けるって顔です!辛くても限界じゃない!限界が近いところでもパフォーマンスは維持しましょう!」
結愛自身も鉄アレイを持ち上げつつ、それでいて平然とした顔ではなくそれなりにつらそうな顔で言ってくる。
こんなところ見せられて、奮い立たないほど田代は男を捨ててはいない。
理論家の多くなりがちな星海において、こういう肌感覚で現場を構築する一員になれる女子マネージャーは希少だった。
また、フォーム職人の晶・下半身や体幹を作る結愛と、職務上の連携相性も非常にいい。
これにより、彼女が入学して1ヶ月で少しずつ田代には肉体改造の最適化の兆しが見え始めていた。
それでなお兆しでしかないのは、身体のバランスを崩さずに筋肉を作るのには一朝一夕にはいかないという現実の厳しさでもある。
スプリント後の投球となれば、晶がここに合流する。
「田代、骨盤に体重を乗せるイメージを持て。
疲れるとどうしても肩や上半身が先行しがちになる。だがそれは、制球や球威を損なう元だ。力の伝達を助けるには芯を大事にしろ」
「あと、パワーを出すには捻じりとバネのイメージ!体の中心からぐるぐる螺旋を描いていく感じ、でいいかな?晶先輩」
晶のフォーム指導に、結愛が己の経験から補足を加える。
「ああ、それでいい。今は出力を出すための動き方を体に覚えさせる時期だ。
試合では少し力を抜いて投げれば以前のように制球も安定したまま、平均を上げていけるはずだ。
おい、今リリースが0.2秒早かったぞ。もっと粘りを出せ」
「粘りを出すには下半身!肘より下を踏ん張って、太腿は地面の力を伝える!下半身はこれからも強化していきましょう、田代先輩!」
ただ、指導が鬼のように苛烈になっていくのは、この2人による相乗効果で避けられなかった。
田代がこのGW合宿で完投を任された浦和学院高校は、埼玉の強豪校。
同県に花咲徳栄がいるため、甲子園に出場できることは少なくなるが、その実力は、甲子園でベスト16~32に入る高校と同程度と言われる。
神奈川との比較でいえば、神奈川No.2と語られてきた東海大相模に匹敵するかやや劣る、という力関係。
つまり浦和学院に互角か優位に立ち回れるなら、田代は神奈川県大会において横浜・東海大相模以外のほぼすべての高校に優位が取れる可能性があるということ。
今日の練習試合は、夏の県大会で田代をどう運用すべきかという大きな議題に対する回答になりうるのだ。
ある意味では圧倒を約束されているようなものである暁の試合より、情報価値が高い。
(打線の力では、藤代と暁の抜けた今の星海の方が浦和学院より上。
となれば、俺がどれだけ浦和打線を抑えられるか、か)
田代も、そして組んでいる捕手も、ともに打てるタイプのバッテリー。
その打率は3割程度をマークしており、ホームランをはじめとする長打もそこそこある、パワーも兼ね備えたタイプ。
実のところ、6・7番よりも打てるかもしれない、というくらいだ。
まあ、星海において現在の6番はバントとその解除で敵守備をかき乱す選手で、7番はデータに基づくポジションで守備を主眼とする選手なため、彼らの打撃成績自体はそれなりで良しとされている。
現在の星海打線で、1番の根付は粘りによる投手運用の破壊、2番はバッテリーの集中とリズムを崩す、6番は揺さぶりで守備をかき乱すと、3人も打率で価値を測れない打者達が採用されている。
彼らは自分自身の成績よりもチームに与える影響力を重視された、星海ならではの戦力たち。
この試合でも彼らは縦横無尽に働いている。
(序盤は潜り抜けた。問題は中盤、終盤だ)
田代がベンチで息を入れていると、今回出番がない暁が田代におすすめスイーツを押し付け回復を促そうとしてくる。
善意100%なのだろうが、行動がずれているところが面白い。
「田代、このはちみつ味のシフォンケーキがいいと思うんだ。乗ってるレモンのはちみつ漬けが疲労回復にきっといいぞ」
「ああ、もらっておく、が、自分が味見してから言うのはどうにかしろ」
そんな暁を責めたてる気は田代にはない。
むしろ去年の夏以降の変遷を思えば、こうして甘味に興味を燃やしている姿の方が安心を覚える。
いや、夏以前は効能より味ばかり重視していた分、今もあの日の影響は残っているのかもしれないが。
「田代っち、そろそろ向こうのベンチも動いてくる気配があるから気をつけなー。
あ-しも監督も、この試合は基本的に田代っちに任せるから」
監督や響が職務放棄をしているわけではない。
選抜で田代が駆け引きに負けたことを受け、田代の判断力を養うためにこういう練習試合においては裁量権を与えて成長を促しているのだ。
「分かりました。ベンチで安心して待っていてください」
そして、そういう心意気に応えようとするのが田代である。
「田代、お前は暁と違って通常の投手設計だ。
相手は絶対に球威の落ちてくる終盤を狙ってくる。9イニング制の立ち回り方を考えておけよ」
監督もまた、注意は促すがそこから先は選手に自ら考えさせる。
安易に回答を提示するのではなく、本人が悩み、出した答えでなければ、追い詰められた時に縋るには弱いと知っているからだ。
「了解です、行ってきます」
攻守交代、田代は中盤に入り、少しずつ対応されながらも2種のストレートを中心に立ち回っていく。
特に、重い方の真っ直ぐ軌道のストレートを多めに使い、打球を詰まらせて球数を削減する方向。
おそらく暁の省エネピッチングから自分流に流用しているのだろう。
「ふむ、狙いはいいが少々露骨すぎるな。まだまだ若い、というところか。
藤代、あのやり方のメリットとデメリットを言ってみろ」
それをベンチから見ている監督は、怜に質問を出す。
「メリットは、あれならばほぼ確実に中盤をしのげること。
デメリットは、球数は減ってもストレートである以上消耗は大きいことと、意図が透けること」
「そうだな。特に、意図が分かってしまえば待ちの姿勢に出られて結果的に球数の削減も不安定になる。
結果的に、消耗を避けるという戦略目的があの戦法では相手次第になる」
そのやり取りを聞いた響がボソッと。
「田代っち、真面目だけあって素直だかんねー。
監督や藤代っちみたいに性格悪くなんないと、ああいうの難しいかもね」
「俺は性格がいいが、その通りだな」
聞き逃さなかった監督が、絶対に事実とは異なることを言うが、ベンチの一同はあえて突っ込まない。
いやまあ、性格はよくないが『いい性格』はしてるかもしれない。
「暁、ちなみにお前ならどう組み立てる?」
「俺?
俺なら重いストレートは25%のまま据え置き、芯外し用の変化球も合わせて45%に。残りの55%で幻惑かな。
3人の打者のうち2人が打ち取れればそれでいいイメージ」
「ほう、それじゃ打たせる球の割合は普段の微増にとどまるが、それでできると?」
興味深そうに聞く監督に、暁は。
「それは怜がやってくれるんで」
「そうだな。俺なら2・3球目に手を出したくなるようにコースを振り分ける。
だからあれは田代の問題以上に、キャッチャーが田代の抑えたい気持ちを汲み取りすぎだ。
結果的に点数さえやらなきゃいいんだからもっと割り切ってもいい」
会話のキラーパスにも文句を言わず、肩をすくめる怜。
「田代っちは、選抜で負けたの自分が不甲斐ないからって思ってるっぽいんだよね。
だからちょーっち、今は力が入ってるっていうか。
夏までには平常運転に戻ると思うけど、あれからまだ1ヶ月ちょいだから」
響が精神状態に対する補足を入れると、暁は悔しそうに。
「あの時『クリーンナップぶっ壊し理論』に思い至ってれば、バトンタッチ前に相手を壊してたんだけどなあ」
「え、言ってることヤバ」
物騒な文言に、響は頬を引きつらせる。
「まああれは誰が悪いっていうより、大阪桐蔭が強かったってだけだからな。
田代は責任感強いから。それでも背負い過ぎて潰れるなんてこともないのは強みだな」
怜が言いながら、闇落ちした経験のある暁をちらりと見るが、当の本人は自覚が全くなく、自分のことが言われたと気がついてもいない様子。
「今抑えることに集中してしまうのが、このバッテリーの課題ってところか。
9イニング通しての設計構築をまた今度考えさせてみるかな」
さらっと監督が育成方針を決めながら、彼らはマウンド上で頑張り続ける田代を見守っていた。
翌日、9月17日よりカクヨム版に追い付いたため、12時10分に1回のみの更新頻度になります。
どうぞご了承ください。




