第五十二話 『検証、クリーンナップぶっ壊し理論』
山梨学院高校といえば、全国でもベスト4~8常連校の一つで、守備と走塁を基盤にした変幻自在のバランス型。
投打の二刀流を育成経験があり、攻撃的な采配を好む、層の厚い学校である。
優勝候補とこそ呼ばれないが、限りなくそれに近い力を持つ超強豪校。
星海との比較でいえば、最大出力は星海だが、層の厚さによる大会での安定性は山梨学院が優位であり、今年の力関係はほぼ同等といっていい。
(だが同ランクであることと、互角に戦えるということは違う。
特に、暁が投げている状況では)
星海の戦力の中で突出している暁幻大という男は、これまで甲子園優勝候補と呼ばれた横浜高校や大阪桐蔭をも抑えてきた。
山梨学院と同ランクの高校もまた、封じ込め続けることに成功している。
もはや偶然や運ではなく、実力とそう呼ばれるほどの戦績。
(重心の移動、視線の配り方――この3番はインコースを警戒している可能性大。
なら、あえてインコースを高めに外れる球で脳裏に球筋を焼きつかせ、より『微差緩急』の深みにハマってもらう)
怜はこの春から、響によって叩き込まれた心理読みをリードに適用し始めていた。
精度においては、9割看破するという響に比べて未だ劣る。もしかしたら、彼女との差は一生埋まらないのかもしれない。
だが、看破した先で、どうその情報を扱うのかという面では怜が勝る。
暁に要求し、ストレートを1球目に配置、次いでアウトコース低めにクククと曲がりながら内側に入ってくる球で打球の芯を外し、ファールに誘導。
かすりながら斜め後ろに飛んでいく打球を捕ることはできなかったが、続く3球目に移る。
(重心があまり移動しない、俺のミット位置を確認してくる。まだインを狙い続けているか?
なら今度は逆方向の変化で、ど真ん中から少し下を目掛けて)
外に走りながら沈む、ゴロ誘発用の球が、インコース少し高めのストレート軌道からアウトコースへと逸れていく。
これに手を出した3番、インを狙おうと腕をたたんでいたせいで、一塁方向への転がる打球となってしまう。
レオンがこれを前に出て取り、一塁上にカバーに入った二塁手に送球してアウト。
これで1回は3人で切って捨てた形。チェンジで攻守入れ替えだ。
(フォームの切り替えはさっきの3球は問題なし。全て約5km/hの微差におさまった。
3球で終わらせてしまったとはいえ、最初に脳に基準のストレートを叩き込んだ分、汚染度は5球相当といったところか)
澪菜の提唱した『クリーンナップぶっ壊し理論』には、どれだけバッターが過敏になっているかがもろに影響する。
つまり、それを怜が洞察できなければ威力を最大化できない。最も効率的に破壊するには、図らずとも響に叩き込まれた観察力を必要とした。
誰も彼もが怜を基盤にした理論構築をしてくれる。
(全く、俺じゃなきゃ音を上げてるところだぞ。
だが、それで最強投手に押し上げられるというなら、悪くはない)
『微差緩急システム』と『クリーンナップぶっ壊し理論』、双方ともにキャッチャーへの要求度が高い、使い手を選ぶ理論たちだ。
しかしハマった時の効果は絶大なものが見込め、ゆえに怜も己の負担を度外視する。
(次は2回、うちは6番打者からか。
すでに1点入ってるし逃げ切りたいが、3人目が俺になるし俺が出てもその次は暁の打順。さすがにこの回は点数が見込めないかな)
怜はベンチに戻ると、己の打席に向けて防具を外しながら、暁に話しかける。
「今日もいい立ち上がりだ。選定するクリーンナップは汚染度によって決める。あと、スイーパーを今は封印しておいてくれ」
「ああ、了解。お前も適度にランダム配球混ぜて休めよ。今日は9イニングの長丁場だ」
「分かってるさ。後半崩れたら目も当てられない。ピッチャーの足を引っ張るキャッチャーなんて御免だからな。
まあ、明日の練習試合に俺たちは出ないし、途中で燃え尽きない程度に限界を探ってみる」
怜はなかなかにドMな発言をしつつ、己を暁の投球に捧げる宣言をする。
強烈な支配力をもたらす暁であったが、その陰には怜の献身があった。
山梨学院は、どうにかこうにか暁を攻略しようと粘りだす。
それは確かに暁の体力を削りもするが、球数を投げさせるということは同時に汚染を進めるということでもある
実際、9番打者に至ってはまだ自身には1球も投げられていない時点で、ただベンチから球筋を見極めようとしただけで汚染が進みスイングに狂いが生じ始めていた。
暁対策において今まで相手校が取った方策にはすべてトレードオフが生じて来た。
球筋を見極めれば、その分汚染は深くなる。粘れば体力を削れる代わりに、打線全体へ汚染が広がっていく。
いまだ、こうすれば攻略できるという対策を発明した相手はいない。特に、セオリーとされる対策のほとんどが逆手に取られるか、無効化されるか。
中でも、序盤は球筋を見極めて後半に打ち込む、という基本に対し『その適応、拒否します』とやっているのが質が悪い。
染みついたやり方に縋れば、その分だけ術中にハマっていく。まさにセオリー殺しの投法である。
(さて、この3番も十分狂ってきているようだな。
それなら、『クリーンナップぶっ壊し理論』の検証と行こうか。
暁、スイーパーの解禁だ)
今打席、2球を投じて山梨学院の狂いを確認した怜は、切り札の一つを切ることを決める。
ここで投げるスイーパーは、ストライクを取ることが目的ではない。
打者の認知に、『これまで見て来た軌道とは全く違う』とショックを与えることが本命だ。
だから心理的ダメージを最大化するため、こうする。
(!?さっきのストレートと同じ速度で投げられた球が、大きく弧を描いて――向かってくる!)
下手をすれば当たりかねない、高めをインに外れてギュイインと曲がっていく。
サイドのストレートとほぼ等速の、スリークォーターのフォームから放たれる、空間感覚にバグを起こすための球。
斜めに腕を振ることで、前球と速度は変わらず衝撃的な曲がりだけを実現するシークエンス。
打者は思わず身を引き、目を閉じていつしか浅くなっていた呼吸を整え、指先がかすかに震える。
(これかっ。これが打撃を破壊された人間の兆候)
その姿を、怜はしっかりと目に焼き付ける。成功した証を、他校との対戦でも見過ごすことがないように。
(藍原の理論の影響を最も受けたのは、このスイーパーの扱いだな)
最近まで、スイーパーは空振りも生産できる強力な球種だった。
見極められる危険と投手への負荷が高いため多投こそできないが、要所で投げる球という運用法。
だが、今では完全に変わった。
心理的ショックを最大化するためには、打者の頭から抜けてもらう必要がある。
打撃破壊を引き起こすための新しい運用は、奇襲用。
多投は厳禁。1試合において1球投げるか投げないか、という頻度にまで落とすことで、投げられた時の効果を極限まで高める。
強力な球をほぼ投げないという、あまりにも贅沢な運用法へと変化した。
(さあ、打撃が破壊されたらどうなるか観察させてくれ)
怜が暁に要求したのは、スイーパーと同方向へ変化する球種。
サイドで速度帯をわずかに落とし、微差の速度差で。通常、遅いほどよく曲がるという印象を覆す、普通の曲がり。
これに山梨学院の3番は明らかに早くにバットを振り始め、途中でそれを抑制。腕は縮こまっており、変化を視認した瞬間重心が後ろに傾く。
本来自然に出るはずのスイング動作に、意識と無意識が同時に介入を起こしている。
途中でスイングの修正が間に合わない。スイングが不自然にたわみ、腰の引けた早振りになってしまう。
(なるほど、こうも無様になるのか。今までも起こっていたはずだが、『微差緩急システム』による『後遺症』と混同していたな。
だが、よく見れば明らかに狂い幅も肉体反応の深刻度も違う。
とりあえず、区別のためにこれを『打撃破壊』とでも呼ぶことにするか)
一人の打者からスイングを奪っておきながら、極めて冷静に分析をしている怜。
星海の頭脳としての性かもしれないが、あまりにも悪辣。
そしてこの後、怜はクリーンナップが一人機能を失えば、そこから波及してどれだけの打線全体へのダメージになりうるのかを、9イニングかけて観察していくことになる。
こうして暁たちは、この極めて凶悪で攻撃的な運用を「非常に使える」と評価し、以降の試合において基本仕様とすることを決める。
ストライクを取る、アウトを取るではなく、『抑えるために狂わす、壊す』という設計。
倫理観皆無の人間にしか採用できない、極悪投法であった。




