第五十話 『諸悪の根源』
4月27日、GW合宿の直前のその日、澪菜は沙耶の手伝いでスカウティングしたデータの整理を手伝っていた。
この2人はデータ系の専門分野同士ということもあり、連携して動くこともある。
入学して約ひと月。同じ1年ということも手伝って、性格の方向は異なりながらも順調に親睦を深めていた。
「藍原さん、こちらのシートをそちらのファイルに入れておいてくれますか」
「はーい。それにしても、出力は紙なんですね。電子で済ませておけばいいのに」
手を止めることはしなくとも、歓談しながらファイルに確認した紙を入れていく澪菜。
「検索は電子が便利ですが、着想を得るには複数の刺激があったほうがいいので。
紙媒体だと眺めながら思わぬつながりに気付くこともありますから。
ただ、その分整理の手を煩わせてしまうのは、難点です」
「ははは、私は結構楽しんでますけどね。
あ、あわわわわ」
ひょいひょいと澪菜がファイルを棚にいれていると、目測を誤って隣のファイルを落としてしまい、バサバサと紙束が地面に広がっていく。
「ごめんなさーい。えっと、これはいったいいつの……」
「ああ、それは去年の秋季県大会や関東大会の関連データですね。海原先輩が集めていた大会後のスカウト内容をまとめたものに、私が今期の成長予測を加えたもので――」
沙耶が軽く解説していると、澪菜がいつの間にか地面に這いつくばるように紙束を凝視している。
「え、嘘?これも、これも?じゃあもしかしてこっちは?」
「藍原さん?」
ファイルにしまうのではなく、地面に並べ始めた澪菜に沙耶は困惑。
「沙耶ちゃん!こないだの選抜の対戦校のデータと、その予後はまとめてありますか!?」
「え、ええ。選抜のものであれば、棚の左上に――」
「これですね!ああ、やっぱりこれもです!
こんなことがあるなんて――
沙耶ちゃん、これらのデータ、お借りしていきますね!」
ファイルをバサバサめくって大声を上げた後、澪菜はその選抜関連のファイルと地面に並べていた紙のうち数枚をピックアップし手元に抱え、それ以外はそのまま放置して資料部屋を飛び出していった。
沙耶は唐突な澪菜の行動に気圧されて見送るだけだったが、ふと口元に手を当てて。
「もしかしてこの片付けと以後の整理、私一人でやれということでしょうか?」
少し困ったように、呟いたのである。
翌日、暁をはじめとするメンバーは急遽澪菜による召集を受けていた。
集められたのは、暁・怜・紫苑の3名。
彼らを前に、澪菜はでん、とプロジェクターを用意して大仰に腕を組んでふんぞり返っていた。
「皆さん、よく集まってくれましたね。この藍原澪菜、渾身の発表会に」
開始したその瞬間に、すでにどや顔。
「藍原さん、なんなのでしょうかこの集まりは?幻大君の次の登板に向けて配球を微調整したいのですけれど」
「まあまあ霧島先輩、この機会を逃せば必ず後悔しますよ。
そう――この『クリーンナップぶっ壊し理論』の初お披露目を逃してはね!」
やたらと物騒な文言とともに澪菜はプロジェクターを起動、すると壁にピンク文字で『クリーンナップぶっ壊し理論』と書かれたものが、ハート文字で囲われており、さらに端にはラプソードの絵がやたら精密に描かれている。
「なんなんだ、このやたら物騒な名前は?」
本格的に始まる前から呆れを隠せない怜。
そんなものは無視する澪菜。
「まず前提として、暁先輩の『微差緩急システム』は相手の速度感覚を最大限に過敏にし、スイング幅を狂わせたうえで打者の適応を拒絶するもの。ここまではいいですね?」
「ああ。よく勉強してるな」
「えへへ。それほどでもあります」
謙遜はしない澪菜である。
「そして、これが暁先輩と対戦後、約1週間後時点での打者のデータです。私が見てほしい選手をピックアップしました。
比較されているのは、沙耶ちゃんによる成長予測曲線になります」
画面上にグラフと数値が表示される。
「うん?やたら落ち込んでいるな。時谷が予測を外したのか?」
「はい、いいえ。確かに予測から外れていますが――秋に対戦した選手は3ヶ月後には沙耶ちゃんの予測に遅れて合流し始めていますよ」
結局何が言いたいのか、という目が澪菜に向けられていく。
「この落ち込みが起こっているのは、全て一定タイミングで急加速ストレート及び、スイーパーを受けた選手でした。
そう、彼らは試合後もしばらくの間スイング幅が狂っている――いえ、はっきり言いましょう。打撃自体が破壊されていました」
これを聞いて、暁が何かに気付いたように膝を打つ。
「ああ、脳がショートしたのか」
「幻大くん、どういうことですか?」
紫苑の問いに、暁は澪菜に自身が説明していいかの確認を取った上で。
「微差緩急に晒されると、打者の脳は微差を検知しようと過敏になるわけだが、この過敏状態を一定水準以上に引き上げたうえで、『劇的緩急』や『空間認知から大きく外れた球』が投入される。
すると、脳は処理しきれずバグを起こすんだよ。結果、システム下で通常起こっている狂いよりも、深刻なものが生じるんじゃないかな」
「さすがはシステム考案者です!鋭い!そして私は考えました。
ならば意図的に起こしてしまえばいいのでは?
グリーンナップに対してその打撃破壊をわざと起こせば、相手打線全体はつながりを失い、機能不全になるのではないか、と。
これぞ――私の考案した『クリーンナップぶっ壊し理論』、です!」
澪菜は大きく胸を張り、宣言した。
「素晴らしい!なんて素晴らしいんでしょう澪菜さん!あ、澪菜さんとお呼びしても?
こんな、極めて攻撃的な悪用法があったとは。
しかも理屈上、私が配球さえ構築すればすぐにでも実用レベルにできるのが最高です!」
紫苑は澪菜の手を握り、ブンブンと握手。彼女の中ではもう、暁をさらなる高みに連れていく有能な仲間である、という認識になった。
「暁、これは理論上起こりうる、と考えていいんだな?」
「フォームの意図的使い分けが100%になれば、より確実に実行できるだろうな。
認知心理学的には、十分ありえる。俺の読んだ本が正しければだけどな」
「ちっちっち、『ありえる』ではなく、もう『実際に起こっていた』のですよ。
あとはそれを自分の意思で起こすかどうか。違いますか先輩方?」
どや顔の悪魔が、自分の理論を自慢げに掲げる。
「さあ、全国の打線を破壊して回りましょう!」
のちに『幹部』の1人、『分析官』を自称しだすことになる少女は、倫理感ゼロの宣言を行った。
暁・怜・紫苑・澪菜。この4人こそが『諸悪の根源』とまで相手校に言われてしまう存在になっていく最初の会議が、これであった。
彼らはさっそく、来たるGW合宿で秘密裏に実験するべく、具体策を詰めていく。
会議の中心は怜と紫苑に変わって、暁が意見を挟み、澪菜はただひたすら満足げにうんうんと頷いている。
GW合宿でわざわざ練習試合に来てくれる高校たちは、知らないうちに俎板の鯉にされられつつあった。




