第四十九話 『未来への途中』
響は今年、3年生になった。
それはこの夏が過ぎれば、どうあっても引退しなければならないということである。
今の星海の強さの一部は、間違いなくベンチマネージャー自身も試合内容に関与できることにある。
通常ならばベンチは選手20人+監督のところを、プラスでマネージャーが戦力になればその分優位になるという構造。
なればこそ、響が引退したのちに誰をベンチマネージャーにするのかを、この春のうちから見繕っておく必要があった。
現在見込みを感じるのは3人。
1人目、霧島紫苑。配球シミュレーションと負けパターン分析で、これまでも貢献してきた2年生。
彼女をベンチに入れれば、リアルタイムでの配球構築が可能になるかもしれない。
だが欠点が2つ。
1つは、彼女の配球構築にはデータの蓄積が必要だが、それをどうリアルタイムで拾うのかということ。
そしてもう1つ、こっちの方がより深刻なのだが、彼女の性格でそんな外部との接触が多そうな役職を任せて問題を起こさないか、ということ。
いや、とても起こしそうだ。投手陣を強くしてくれそうではあるが、それ以上に人目に触れやすいところに置いておくにはあまりに危険。
2人目は、藍原澪菜。ラプソードを愛する1年生。小3からラプソードに触れ、解析能力は極めて高い。
彼女をベンチに入れれば、その解析能力をもってして対戦相手を分析できるかもしれない。
ただ、問題が1つ。
彼女は禁止されているにもかかわらず、公式試合のベンチにラプソードを持ち込みかねない。そうなれば、処分を受けることになる。
普通にやらかしそうなので、ベンチではなく観客席に置いて事後の分析に回したほうが安牌かもしれない。
入部してわずか1週間で、部内の全員にそう思わせるほど彼女は強烈だった。
3人目は、時谷沙耶。今年、スカウティングの強化のため採用した、1年生。
彼女のスカウティングは、通常の現在をデータ化するそれとは異なり、過去現在を照らし合わせることで未来の成長曲線までを明らかにする性質をもつ。
例えば、「あの敵エースは春まで制球が悪かったが、夏には8割がた解決するだろう」だとか「あの敵バッターの左腕への苦手意識は、まだ当分抜けそうにない」だとか、まあそういう感じだ。
事前に100%のデータを偵察で集めきるのが現実的ではない以上、リアルタイムで現状のデータを補完し、そこから分析の精度を上げることができるのは、極めて有用。
そして、すでに挙げた2人に比べれば問題をあまり起こしそうにない、冷静さ。
真面目でノリについていけなかったり、真顔で正論のツッコミを入れたりするところはこの1週間で目にしたが、総じてましな部類だと思えた。
「うん、沙耶ちゃんが一番いいんじゃないかな」
響はその超視力で、グラウンドの向こうで働いている沙耶の姿を見ながら、そう独り言ちる。
緑がかった長い黒髪に、160台半ばの高めの身長と、少し華奢な腰つきに標準がちなスタイルの曲線。零と異なり天然物のミステリアスに見える雰囲気。それでいてどこかずれているところを感じさせる、天然クールさ。
クールさと天然の割合は8:2くらいで、知性がかなり優位。
暁に何か似たものが感じられるが、あの男は構成成分の割合が日常だとほぼ沙耶の逆なので、ほんのり既視感を感じるだけで、そこまで兄弟感みたいなものはない。血がつながってないのだからあっても困るが。
「あ、暁っちだ」
響は投球練習場から出てきた暁が、葵になにやら教えながらクッキーを分けてあげているのを見つける。
ああいうところを見ると、去年の秋に比べて、ずいぶんと元の性格に戻ってきたように思える。
だが響には、暁の根底にまだ強烈な勝利への執着が刻まれているのも見て取れる。
昇華したわけでも、消化したわけでもおそらくない。あの夏の日はいまだに残っていながらも表面を整えることができる程度の余裕は取り戻しただけ。今は「自分は」勝てるから表面化しないだけなのだろう。
響は何をするでもなく、じーっと暁を見やる。
1年生の時に比べて、ずっと頼もしくなった。エースという立場に馴染んだのもあって、他人を自ら率いたりこそしないが結果で周囲に見せつける。
けれど、響にとっては。
(でも、本当の笑顔はまだ見せてくれないんだよね)
あの屈託のない、可愛い笑顔が見られなくなり、少し大人びた、受け流すような笑顔に変わってしまっている。
本人には自覚はないのかもしれない。だが、ずっと見てきた響には分かる。
勝って欲しい、勝たせてあげたい。
甲子園出場、そしてできるなら優勝を、彼に。
そしたら、またあの笑顔で笑ってくれるだろうか?
少し感傷的になってしまった響は、暁を視界の中におさめながら今日のお仕事をこなしていく。
春季神奈川県大会は、実はすでに始まっている。
1回戦はシードだったので免除、2回戦は田代が完投してコールドゲームといういい滑り出し。
春季県大会は終盤以外では週末に試合が入るだけ、というペースであるため、比較的投手に楽をさせられる。
この春季県大会で夏のシード権を取ること、それがすべての出場校の目的である。
監督としては、本音を言えば序盤の弱小校相手であれば1年生でも通用するかもしれないので、使いたくもなるのだが、当然そういうわけにはいかない。
こんな時期に部内で誰が本当に通用しそうなのか、なんてのが分かるわけもないのだ。
実際、去年の暁・根付の最速一軍合流も、4月の末近くで、それまでに十分なデータを集めてからの昇格だ。
プラチナ世代がそうだったのだから、今年も1年の合流時期は同じか、それより遅くだろう。人数も何人になることか。
世間においては、1年がいきなり春からベンチ入り、ということ自体がかなりレア。夏でさえ、2年と3年生でのみ構成されるということも珍しくない。
実力さえあるなら積極的に採用、来年を見越して1枠は育成用に割きたがる、というような星海のようなスタンスばかりではない。
だからこそ、この時期の星海の1年生達はアピールに力を入れる。
自分こそ一軍に相応しいと、目に留まるように。
今の時点でも数人が目立っていたが、その中でも特に監督が注目したのは。
「ほう、面白いじゃないか。さすがはS特待だけはある」
特待生として最高評価を受けて入学した、左右田。
左右両投げ、しかも一方の腕を軸にもう片方を混ぜる形ではなく、完全に相手によってどちらの腕で投げるかを変えるタイプ。
普通であればどちらか、もしくは両方が中途半端になりがちになるこの投法を、左右田は自分のものにしていた。
もちろん、1年生ゆえにまだ粗いところもある。右の方が左よりも強力に見えたり、使い分けの判断が画一的であったりなど、まだまだ伸ばせそうだ。
「おい左右田、来週に入ってから練習試合で適性を確認させてくれ。確か、中学では先発をやっていたんだよな?」
監督にざっくばらんに話しかけられ、左右田は軽くかしこまり。
「は、はい。エースでした」
「それ以外を試したことは?」
「中1の時には、中継ぎをしてました。2年からはずっと先発に」
監督はうんうんと頷いて。
「とりあえず、2試合ずつ全適性を確かめる。その場に俺はおらんが、星野から報告を聞く。
しっかりな」
澪が卒業したことで姉妹を区別する必要がなくなり、真央を苗字呼びに変更した監督は、彼女をこの時期二軍についての報告係に就任させている。
どうせ1年生が集まっているので、教育係の彼女は配置しやすいのだ。
監督に直接声をかけられた左右田はこれを契機に張り切ることになる。
打倒暁幻大への第一歩を、自身は走り出し始めた、と左右田は感じていた。




