第四十六話 『背負うということ』
田代は、監督がこの大会において優勝する気は薄いというのを、分かっていた。
もし本気で優勝する気なら、連投耐性を考えて暁の起用は試合ごとに4イニングまでに抑え、どうにか優勝までの期間ずっと先発で投げさせようとしたはずだ。
しかし実際にはそうはしておらず、2回戦では5イニング、この準々決勝では6イニングで採用している。
これは暁に連投でどれだけ投げさせられるかのテストであり、『新・黄金リレー』で全国の強豪たちに力だけでどこまで戦えるかのテストでもあるのだろう。
この日程での対戦組み合わせを引いてしまってから、監督は春の選抜で優勝することよりも、夏の甲子園で優勝するための確率を高めることをおそらく選択したのだ。
そしてその中には、きっと田代に自覚させる意味もまた、含まれているのだろう。
(このまま俺が暁の恩恵にあずかっているだけでは、夏も甲子園優勝は厳しい――ああ、そうなんだろう)
田代自身が弱いわけではない。むしろ、今のままでも甲子園で通用するレベルだ。
だが言い換えれば、通用するレベルでしか、ない。
暁のように、単体で甲子園優勝候補を抑えきることはできない。
影響下にあるはずの今ですら、せっかくのリードを失い同点に追いつかれる有様だ。
田代は大阪桐蔭を下に見てはいない。敬意とともに、自身よりも格上だと認めている。
だが、負けていいとも思っていない。
単体でどうにかしのげるだけの力をつけなければ、甲子園優勝は無理なのだ。
それを監督は実戦で身にしみさせようとしている、そう考えるのは、田代の考えすぎだっただろうか?
(俺が暁を温存させられなければ、負けさせてしまう)
暁を思う。分析家で、天然で、捉えどころがなくて、困ったところが沢山で、それでいて誰よりも仲間思いで、だからこそ負けられないと1人で背負っている、友にしてライバル。憧れにして守りたい仲間。
怜を思う。頭がよく、野心家で、勝利のための合理主義者で、そのために己を犠牲にもする、暁の相方。ともに暁を支え、勝利を引き寄せんとする、頼もしい友人。
監督を思う。中学で間に合わなかった己を拾い、評価し、期待し、試練も与えもする、教育者にして勝負師、飄々としているが人間味もある、常に勝ち筋を探している智将。恩人であり、尊敬すべき先達。
チームの皆を思う――
その全てが田代にとって、この3年間で尽くすべき、拾われた恩義を返すべき相手だった。
だから、勝てないなんて、諦めるなんて、口にしようなんて思わない。
高い壁なのは分かっている。暁に追い付くなど、本当はできないことなのかも。
だが、それは努力しない言い訳にはならない。己を駆り立てない理由にはならない。
(お前を1人にはしない。俺は、俺たちは、チームなんだ)
夏のあの日、勝手に敗北の全責任を背負った顔をしていた顔を思い出す。
今も時折、つらそうな顔で己を追い込んでいる目を思い出す。
なぜ俺と同じ1年のあいつが、全てをしょい込まなければならない?
荷物を分けろと、そう手を差し出さずにいられる?
田代は陳腐な言葉を口にしたりしない。それは言の葉に乗せれば色あせると分かっていた。
(俺は、俺は、強くなる。お前の隣に立てるように。お前が頼れる男に!)
心の炎が白球に宿る。以前までの勢いだけのようなものではなく、静かで包み込むような炎。
ああ、イメージだ、こんなものは。だけどイメージが時に現実を侵食する。
(大阪桐蔭!俺の糧になってくれ!)
体感160km/hにもなったストレート。
浮き上がる空振り用、真っ直ぐ重く差し込む用、2種を駆使して大阪桐蔭の打撃を潜り抜ける。
8回、打線は暁の『後遺症』のせいでタイミングを合わせることに失敗し続け、1ヒットのみに抑えることに成功する。
9回、1人目の打者に慎重に入りに行くあまり『置きに行ってしまった』球が芯を外しながらも内野の間を抜く。
(馬鹿が、力を抑えて通用する相手じゃない。まだ相手へのリスペクトが足りない。
もっと確実に、だけど全力で腕を振れ、俺!)
続く打者を、またもバントで得点圏へと進もうとする相手を、押し切り、キャッチャーが手元に浮き上がったファールボールを手におさめ、アウト。
3人目、相手は7番打者。
まずは遅く、大きくアーチを描くボール球。
続いて、緩急で速度感を上げた2種のストレートをストライクゾーンに連続で放り込む。
キャッチャーのサインを見て、間髪入れず投球モーションに。
田代の指から放たれる、白球。
その瞬間、大阪桐蔭の7番打者は、どう猛に笑った。罠にかかったと、そう言うように。
(しまっ)
田代もすぐに気づく。
今の組み立ては、有効なシークエンス。
そう、セオリー通りの、セオリー通りすぎる流れ。
相手はあえて振らず、2ストライクまで自身を追い込みながら、暁に晒された球数が少なかったがゆえに『後遺症』が抜けかけていることもまた、結果的に田代に晒さなかった。
(空振りに取ろうと、誘導された!)
そう、田代はまだ1年生。しかも中学時代は埋もれ、高度な試合経験は大阪桐蔭の選手たちに敵うべくもない。
駆け引き、それが田代には欠けていた。
響も、エスパーではない。何かを狙っていることは分かっても、そんなものは打者ならば当たり前。
何を狙っていたかの看破をするには、彼女は野球そのものについてのプロではない。
キィンと、澄んだ音とともに打球が空を飛ぶ。
空振り用の落ち球をしっかりと捉え、綺麗な軌道を描いていく。
田代は敗北を受け入れ、天を仰いだ。
(届かなかった、か)
大阪桐蔭、全国最強の壁は厚かった。
(けど、俺はこんなことで折れない。俺は諦めが悪いんだ。
今は負けた、完敗だ。だけど、夏は、その先は。俺も今より強くなる。なって見せる)
敗北してなお、田代は揺らがない。
帽子を取り、深々と大阪桐蔭のベンチに礼をしてから、星海の皆の元に謝りに歩んでいくのだった。
敗戦し、選抜ベスト8が決まった日の夜。
暁はホテルのラウンジの窓に寄りかかりながら1人夜風に当たっていた。
春の甲子園には踏み入れることができた。
だけど何か、暁の中で達成したという感覚は薄い。
目指したのは、行きたかったのはあの夏の甲子園なのだ。そして、叶うことなく先輩の夢を終わらせてしまった、あの。
これでは代わりになんてならない。勝利への執着は、敗北への拒否感はいまだに心にこびりつき続ける。
春の息吹は芽吹き、新しい1年が始まろうとしている。
「ねえ梅本先輩、俺、いい先輩になれるのかな?あなたみたいに」
そう訊ねる声は誰にも聞こえることなく、春風に運ばれていった
(第2部『高1秋~春、システムと人』、完)




