第四十四話 『作戦会議』
2回戦から宿に戻ると、なぜか暁の部屋で紫苑が大阪桐蔭戦用の配球パターンの構築を、タブレット端末を手にして詰めていた。
「ただいま。けどなんでここにいるんだ?配球なら怜の方に行けよ」
すると彼女は、ラベンダー色の髪の隙間からのぞく、暗く深い赤紫の瞳の中に、赤い光彩とワインレッドの明るみを宿らせ、嗜虐の光をたたえながらこちらを覗き込んでくる。
紫の広がる闇の中にゆらゆらと血が揺れるような独特の瞳。
「あら、つれないですね。私は幻大くんにあの理論を実践した感想を聞きたかったのですが」
「感想もなにも、ただ勝手に相手が狂っていっただけだろ。
でもまあ、やっぱり今のままじゃ安定しきらないな。早く100%使い分けられるようにならないと」
暁の回答を聞いて、紫苑はぎゅっと胸の前で両手をぎゅっと合わせて、吐息を空気に混ぜて。
「……素晴らしい。さすは私の幻大くんです。あなたは私に理想の先を見せてくれる人」
「いや、俺はお前のものじゃないが」
心酔と陶酔の入り混じった紫苑の危険な色に気付くこともなく、暁は冷静に突っ込む。
あの『微差緩急システム』について話した日から、紫苑は時折こういうノリを持ち出すようになった。
日が追うごとにその頻度は増しているようにも思う。
「あら、それは失礼。逆――私が幻大くんのものでしたね。
ええ、いつでもこの紫苑を使ってください。相手の殲滅から伽まで、なんでもいたしましょう」
「研ぎ?包丁なんてないけど、何するんだお前?料理?辛いのは嫌だぞ」
「まあ、面白い」
暁幻大、紫苑の意図に気が付かずこれまでやってきていた。
紫苑にとって自分の理論をかなえ、その上を行き、新たな発想までもたらしてくれる存在とは、自らを粉にして仕える価値のある存在なのである。
紫苑は元来、なによりも自分の理論が優先しており、理が通れば人はそれを認めるという思想が根底にある。
しかし、そこに自分の理論を超える存在が、己を必要とし、新たな己の理論を生み出していく形になる。
それはもう時を追うごとに、心酔していくだろう。
紫苑のこれは正確には恋愛感情ではない。
無論、交際を求められれば嬉しそうに承諾するだろうが、その本質は行き過ぎた宗教に似た、崇拝。
霧島紫苑自身が、その感情は正当なものであると信じて疑っていないのもまた、近似している。
「で、それより進捗は?」
「はい。玲奈さんが2回戦までの大阪桐蔭のデータを収集・分類してくださいました。
データ数は極小なので最適化など望むべくもありませんが、多少の配球カスタマイズなら可能です。
信頼性がゴミなのでその分対応するパターン数が増え、判断する藤代くんの負担が増えますが、あなたに奉仕できるのですからきっと本望でしょう」
こいつはいったい何を言っているんだろう、と胡乱気な目で暁は紫苑を見る。
「仕上げた後は藤代くんにインストールしておきますので、十全にお使いください。
大阪桐蔭にどこまで今で通用するのか、私に見せてくださいますね」
大阪桐蔭高校、それは日本最強とも優勝候補筆頭とも常に言われる高校野球界の『横綱』。
近年は「東の横浜、西の大阪桐蔭」と言われ、かつてほど一強感は薄れたが、それでもなお最高峰。
そして、投手力に勝る傾向のある横浜高校に対して、大阪桐蔭は打力寄りでありながらすべての総合力・完成度が高く何でもやってくる傾向がある。
横浜も大阪桐蔭も総合力に極めて優れていることは確かだが、『何が飛び出してくるか分からない』という感覚が大きいのは大阪桐蔭の方。
そしてこの要素は、春の選抜という場面で、非常に星海と相性が悪い。
そして、今の大阪桐蔭は――
一方、怜は玲奈をラウンジに呼び出して、そこで報告とデータの提出を受けていた。
「これで全部か、海原自身の見解も聞いておきたいが」
「2試合からのデータしかないので、確度は割り引いて聞いてもらえるなら」
「ああ、分かってる。参考程度にしておくさ。過信も妄信もしない」
怜に確認を取った上で、玲奈は紅茶で唇を湿らせてから口を開く。
「では投手から。いうまでもなく最重要警戒対象はこの男。
155km/hの直球を持つ完成された右腕エース、赤沢。
世代No.1と呼び声が高く、変化球も制球も隙がないと噂。
冬を経て大きく球速を上げたが、ほころびは見えない。弱点不明」
「まったく、体が成長したのなら制球に粗があってもいいようなものだが、どうなってるんだこいつは」
「急激に体格が成長した、とは少し違ったようよ。
週ごとに自分の身体数値をSNSに上げている人だったけど、4ヶ月かけて段階的に成長したみたい」
ぼやく怜に対して補足説明をする玲奈だが、相手選手のSNSまで監視しているとはスカウティングに情熱を燃やし過ぎである。一体いつから着手しだしたのやら。
「私には弱点は分からなかった。どの球種の完成度が低い、というのも。
仮にそうだったとしてもこれだけのデータじゃ偏りも出るし、その日の調子やわざとそう見せている、というのも否定できないから、当てにすべきではないわね」
「いや、さすがにわざと弱点ぽく見せるなんて、うちの監督ぐらいしかしないだろう、さすがにな。
さておき、安定感を判断するのは危険だな。上限いっぱいに警戒しておく」
玲奈も随分と星海に染まっていると怜は苦笑して、手に持った氷の入ったコップがからんと音を立てる。
「次に、2番手投手。MAX150km/hに緩急に優れた右腕。135と120前後の速度帯で揺さぶってくるタイプ。
3番手は149km/hの制球が良く下に球を集めてくるタイプ。うちの工藤先輩の上位互換と見ていいわ。
弱点はやっぱり、データが少なすぎるわ。その日、相手の調子で直接判断してちょうだい」
「投手の層が厚すぎるな。横浜より投手陣が揃ってる」
投手は横浜高校で、打が大阪桐蔭、という傾向はどこに行ったのかと、今年の仕上がり具合に思わず遠い目になる。
「誰が出てくるか明日の発表まで分からないのも痛いな。攻略法が違い過ぎる。
根付が早期に降ろすことに成功しても、タイプの違いに打線が順応できるかどうか」
「そこは任せるわ。私の領域じゃない」
嘆く怜を、ばっさりとクールに切り捨てる玲奈。
「打線に話を変えるわね。
まず前提として、隙はない。下位だから打てないなんてことはない。人によってはこの2試合、上位より打ってる選手もいる。
そこに配置されている以上、上位打線の方が上なんでしょうけど、力の差は相当に小さいんだと思うわ」
「まあ、大阪桐蔭だからな。特に注意するやつは?」
「全員、と言いたいところだけど、そういうことを聞いてるんじゃないわよね。
クリーンナップは当然として……いえ、これに関しては……」
「どうした海原?お前がはっきり言わないのは珍しいな?」
切れが急に悪くなった玲奈に、怜が先を促す。
「これは確定情報じゃないし、本来このデータで言うのも良くない。はっきりいえば私の印象でしかないから聞き流してもいい。その上で聞いて。
この7番、普段より点数が期待できるときは妙に強い気がする」
「クラッチヒッターってやつか。だが、数字的にはさほど、そうとも見えないが」
「だから言ったでしょ、印象よ印象。ただの思い込みかもしれない、その程度のものよ」
それなら、理性的な玲奈が口にしたがらなかったのも頷ける。
「……頭の隅には置いておこう。控えメンバーについては?」
「それは――」
彼らの作戦会議は続いていく。




