第四十一話 『猛犬を躾ける』
この春の選抜において、星海には強みが活かせない要素があった。
それは星海と同様、他高校も別人レベルでチームの選手が育っていることである。
調べるための期間自体は大量にあった。だが、筋トレや基礎トレーニングの風景を見に行ってなんになるというのか?偵察に行ったときに紅白戦をしていなければわかりやすい形でデータが取れない。
そして偵察すべき高校は全国各地――行ったはいいけど紅白戦してないので無駄足でした、が許されるわけもない。金銭と時間と労力の無駄遣いは避けたいのだ。
ゆえに、集められた情報の確度は他時期に比べてあまりに低い。
情報戦を好む星海にとって大きな打撃である。
無論、これは敵もしかりで、相手も今の星海をろくに知らない状態。
要は春の甲子園というのは基本、正面からの殴り合いである。
そして素の力の競い合いになるとはいえ、選抜に選ばれた各地の学校のレベル帯は、結構なばらつきがある。
関東や近畿といった激戦区出身と、そうではない地域では、代表となる難易度も大きく異なるのだ。
例えば星海が1回戦で当たる高校、帝京長岡高校は、北信越地方の新潟代表校。そのレベルは全国にある高校の中でも中位帯相応に挙げられる。
星海が運よくなのか、それとも帝京長岡が運悪くなのか。
ともあれ当たった両校は採用した戦術自体が異なった。
帝京長岡が取ったのは、最初からエースを押し出した全力策。温存など考える余裕もなく、ただ1回でいいから勝利を持ち帰りたいという必死さ。
一方で星海は、工藤を中心と据えた主力温存策。投手をできるだけ消耗を避けさせ、レギュラーの打撃陣で勝利を確保しようとする長期戦用の構え。
春の甲子園において、点差によるコールドゲーム、すなわち5回終了時点で10点差であったり7回終了時に7点差で終了したり、というような規定は存在しない。どれだけ点差がつこうと9回までやる。
一方で、途中で大雨が降って切り上げる――雨天コールド・降雨コールドというものは一応形としては存在する。適応された事例は、歴史上かなり少ないが。
つまり、実力差がどれだけあろうと基本的には9回まで投げ続けるのがこの大会だ。
だからこそ、投手陣の温存は非常に大事な戦術になる。
力で有利は星海、しかし必死さで勢いがあるのは帝京長岡。喉笛をかみ切らんとする帝京長岡と、それを許さじとする星海――それがこの試合の全貌である。
1回の表、この試合初めて塁に出た2番打者は、工藤の初球に対してノールックで二塁まで走り抜ける。いきなりの大胆な盗塁、恐れを知らぬ走りっぷり。
『走り勝つ野球』を掲げ、機動力で試合を動かさんとする帝京長岡のスタイルをいきなり見せつける。
なぜこれを心理戦担当の響が見逃してしまったのか――それは、まさにノールックだったからである。
顔を星海ベンチ方向に見せなかった、ゆえにランナーの情報量が限られた、見過ごした。
響の『見えなければ洞察できない』弱点を意図せずについた帝京長岡。幸運も味方につけ、いきなり得点圏へ。
星海の『初見はまずは様子見で情報を集める』あり方のせいで、注意がランナーより打者に向かっていた響の隙を見事についた。結果論ではあるが、その結果が何より大事。
しかし、ここで浮足立たないのが工藤俊樹。星海の計算できるピッチャーは、常に冷静に最善を尽くせる精神性が売り。
乱れず、淡々と、低めにボールを集めて3番打者を退ける。
続かせはしない、1人で二塁で孤立していろと、噛みつこうとする猛犬を払いのける。
続く4番打者、バッターボックスに入る前に何度も大きな素振り。彼はバッターボックスに入直前、ちらっとランナーと目線をかわし。
工藤もまた、視線をバッターから外して息を入れ、1球目――大きく外したボール球を取ったキャッチャーは、瞬時に三塁に向かって送球、走り込んでいたランナーを2塁との間で挟み、追い立て、アウトまで持っていく。
今度こそ、響は見逃さなかった。
ベンチからの指示を見届けた工藤は、見事にこの回の役目を果たす。
犬は大人しく家に帰ってろと、この場を落ち着かせてベンチへと帰っていった。
攻防入れ替わり、バッターボックスに入るのは根付。
相も変わらず覇気も気合も見せず、淡々とバットを極端に短く持ち、さあ今日も料理するかと相手エースを眺めて。
そしてここで、帝京長岡、ベンチが動く。
申告敬遠――いきなりの対戦拒否、根付を1球もボールを投げずに塁へと送り出す。
粘る?知るか。ランナーが出る?エースを守るほうが大事。
プライドを完全に捨てた、大胆な策。2番手以下の投手陣が大きく劣る帝京長岡だからこそ踏み切った対策。
この場での点数期待値を上げてでも、長いイニングをエースに投げさせることを選んだ。
これにはさしもの星海の監督も「やられた」と呟く。
格下だからこその策の連続に、想定を上回られてしまった。なにより、この対策があると世間に明示されてしまったのが痛い。
それが、多くは精神的抵抗から取らないものだとしても、だ。
この回避策に、根付は嫌な顔を一瞬した後に一塁へと大人しく向かう。
だが、横を通る際に彼は横目で相手エースに目で語りかける。
(だがこれでこの回、確実に虎杖先輩に回るが、本当にこれでよかったのかな?)、と。
続く2番打者は、バッターボックスの中で不規則に動いて帝京長岡のエースのリズムを乱しにかかる。
その上で、初球バント――すかさず一塁に走るものの、そこは間に合わずアウト。しかし根付はしっかりと二塁に送ると、最低限の仕事はこなす。
3番、高次元でまとまった星海の主将、鏡峰。打撃の安定感においても星海最高峰。相手が確実にストライクを稼ごうとした2球目を狙い打ちにし、単打で一・三塁とした。
そして――2m10cmの巨体がバッターボックスを占拠する。
4番、虎杖レオン。カリブから来た星海最強のホームランバッター。
冬を経て、ますます増した圧倒的スイングスピードですべてを吹っ飛ばさんとする。
4球目、引き付け引き付け切った状態でようやくバットが始動、残像すら残さず、風を切り裂く音とともに、打ち返す。
ギィィンッッ!
鈍い、振り遅れて芯を外してしまった打球音。だが関係ないとフェンス上段に豪快な音を立ててぶつかり、跳ね返され……ライトの守備位置まで、打球が戻ってきてしまった。
三塁に向かっていた鏡峰は慌てて引き返し、瞬時の判断に救われアウトから逃れる。
だが、これだけの打球を放っておきながら結果は単打で根付を返しただけ。
1点と一・二塁に終わってしまったという不幸。
だが、まだこの回は終わってはいない。まだ1アウトのみ。
依然、チャンスは残っている。
星海の5番打者が追加点を狙ってバットを振り、ボックス内に入った。
野球エリートとしてセオリー通りの野球をする彼は、低めの球を左方向に打つ。ライナー性の当たりはしかし、三塁手の真正面。
真っ直ぐに勢いよく飛んできた打球を、一瞬とり落としそうになりながらもしっかりとつかみ直して、2アウト。
この打者がこの回最後になるのか、6番打者。そしてここでいきなり星海ベンチが動く。
代打、なんと1回からの代打の起用。
6番打者を下げ、代わりにバッターボックスに送り出す。
入った代打はしかし、簡単に2ストライクまで追い込まれてしまう――そして、帝京長岡のエースはこの回に何度か投げた決め球を、自信を持って投げ。
キィン!
軽く、掬い上げるように弾き返された。
外野の間を抜く二塁打、鏡峰が帰ってきてこの回2点目。
この代打は、『特定の球種だけに強い』タイプのバッターだった。
星海監督は、この回の帝京長岡エースの投球を観察し、このバッターが得意な球種を決め球にしていると気づいた。
ならば、小技に特化した本来の6番打者よりもこっちの方がこの試合での得点期待値は高い。
そして運よく、守れる位置も合致していた。ならば、これ以上の選択はない。
ここまで運で上回られてきた星海、だがそれを実力で引きちぎらんとする。
続く7番、これは繋げられず凡退し、この回を終わらせてしまう。
だが、星海の方が実力で上回ることを明確に示す1回の攻防であった。
運を味方につけるのもいいだろう、奇策で隙をつき嚙み千切らんとするのもいいだろう。
だが、こちらはそれらを跳ね返して見せると、上位者の振る舞いで星海監督はどっすりとベンチに座ってニヒルに帝京長岡を見渡した。
以降の試合は、概ね星海のペースで進んだ。
何度も何度も、食らいつこうとする帝京長岡を容赦なく跳ねのけ続ける。
点差は縮まらず、むしろじりじりとではあるが広がっていく。
そして、ついに焦りから相手エースが乱れた時、すかさずそれを3ランホームランへと変換する。
7回、8-1。もう絶望に近い点差まで広がってしまって、心のどこかが折れた。
そして、心が折れれば――気持ちでここまでやってきた帝京長岡が崩れるのは早かった。
最終回、12-1。結果だけから見れば、星海は圧倒したままこの戦いを終えたのである。




