第三十五話 『本当の笑顔』
秋県大会の準決勝まであと3日となった時、練習後のグラウンドの外れに懐かしい顔があるのに暁は気が付いた。
「澪先輩、久しぶりですね。元気にしてましたか?」
歩み寄って話しかけると、澪は長い銀髪を指でふわっと流してから軽く口の端だけを上げる。
「ええ、暁くん。メインマネージャーに持ちあがりした波間さんとは仲良くやってる?」
「ぼちぼちですね。相変わらず口うるさいですし」
さんざん世話になっておきながらこの言いよう。照れて言っているのかと思えば、ただの素朴な感想。しかも感謝は別にしっかり存在しているのに切り離している。
「ところで、用件は?」
暁が問いかけると、澪は紙束を差し出して。
「これ、部のトラッキングデータを私がスクリプト解析したもの。
本当は引退後にこんなことするのはよくないんでしょうけど、後継にトラッキング部門の専門はいなかったでしょう?だから、ね」
あとで電子データも送っておくと付け加える澪。
「正直ありがたいですけど、どうしてここまで?」
「……忠一も、いまだによくここを眺めてるから」
婉曲的に、暁のことを気にしているのだということを示す。この言い方であれば、暁は気づかないだろうと数ヶ月メインマネージャーをやっていた経験で澪には分かっていた。
「あれ?澪先輩って梅本先輩のこと名前で呼んでましたっけ?」
当然澪の思いに気付かぬ暁は、そんな別のところに注目。
「……ああ、引退してちょっと気が抜けちゃったかしら」
唇の端に人差し指が当たる仕草をして、失言を誤魔化すように澪は話を変える。
「暁くん、何かやろうとしてるんでしょう?それが何かは私には分らないけど、たまにならこうして解析データを持ってきてあげる」
「いいんですか!?嬉しいです。真央先輩のおかげで自分でもトラッキングデータの見方は覚えましたけど、澪先輩のようにはいかないので」
簡単にえさに飛びつく暁。これでまた理想への道に舗装が敷かれたと内心燃える。
「じゃ、私はこれでいくわ」
「あ、はい、それじゃ。ありがとうございました」
クールビューティらしく長い髪をたなびかせて、澪はその場を去り、自室に戻る。
彼女は自室に入ると真っ直ぐベッドに向かい、脇に置いてあるクマのぬいぐるみを抱き上げて胸に寄せ。
「ねえ忠一、あの子はいつ自分を許せるのかしら?そしてあなたも」
そう切なげにつぶやく声が、窓から差し込む夕焼けに溶けた。
10月2週目に入り季節の変わり目を実感できるようになってきた頃、秋季県大会の準決勝が行われる。
対戦相手は東海大相模。
そう、あの夏の決勝での相手、そのものである。
暁は言葉にはしないまでも、ピリッと張り詰める空気を纏っている。
「暁っち、気合い入れるのはいーけど、力入れ過ぎは違う、みたいなことましろんにも言われてるっしょ?
ほらほら笑顔笑顔。もし怪我せずに無事に帰ってきたら、今日だけは特別に胸に触らせてあげても……なーんてね!」
自分の体を張ってまで、リラックスをもたらそうとする響であるが。
「あ、いいです。響先輩はその冗談でうら若き男子をからかうのやめたほうがいいですよ。いつか痛い目見るかもしれませんし」
「ド正論!?」
メンタルケアの専門家でないゆえに、滑っただけではなく暁による心無いツッコミまでその身に受けてしまう。
(でもね、あーし、君が笑顔になるならそれだけで嬉しいんだよ。あの日から、本当の笑顔見せてくれないんだもん)
洞察力に優れる響には、装う笑顔の底にある暗いものがはっきりと伝わっていた。
この試合は、心に一つの区切りをつけてくれるものになるかもしれないと響は態度に出さないが期待していた。
(暁っちのこと思ってるの、あーしだけじゃないよ。前までの君に戻れるように、あーしたちも頑張るからね。一緒に、進もうね)
いつも以上にこの試合は役に立とうと、響もまた気合いを入れる。
「今日も『響ちゃんレポート』、やっちゃうよ~」
明るくベンチを盛り上げながら、響もまた共に戦う意志をさらに固めた。
本日の星海は先攻、根付が相変わらず覇気もなく地味にバッターボックスに降り立つ。
だがもはや、根付のことを甘く見るものは神奈川の高校野球界にいない。
異常な粘りもそうだが、それをしながらも今大会出塁45%近くを保ち続けていることもまた警戒対象。
二塁打などの長打がないことは減点対象だが、それでもこの出塁率は脅威。
そして根付の中核といえる粘り性能も、今大会平均13.2球と夏より高まっている。
無論、試合間隔の空く都合上、今大会でその本領は発揮できないでいた。
だが、準決勝と決勝の期間は3日間と今までに比べて少ない。
つまり、相手の頭の中には球数温存がちらつき、その計画を破壊できる根付の価値はこの準決勝と決勝において一気に高まる。
淡々と、感情を見せない不気味さを持つ根付は、バットをいつものように極端に短く持ってバッターボックスに入る。
『プレイボール!』
審判の宣言が球場に響き渡り、星海学園のリベンジ戦が始まる。
『『かながわCATV情熱プロジェクト』。
今年の神奈川県高等学校野球秋季大会・準決勝第1試合、星海学園VS東海大相模高校の試合をお届けします。
先攻は星海学園、高校は東海大相模高校となっています。
星海学園、夏のリベンジができるか。東海大相模、夏に続いて秋も勝ち進むか。因縁の試合となっています。
中継は私、斎藤。実況解説は鈴木さんでお送りします』
『いやー、根付選手は早速この試合でも粘りますね。
通常でいえば、粘るほどに出塁率は下がっていくものですが、それでも4割5分の出塁をキープできているのは普通ではありません』
『鈴木さん、ではなぜ他の選手は根付選手のように粘らないのでしょうか?昭和の頃は今に比べてもっと粘る打者がいたと聞きますが』
『それは、打者を評価する最新の指標のせいですね。かいつまんで言うと、『どれだけ得点を創出できるか』という指標なのですが、これの計算式では粘る打者はかなり不利になるんです。
根付選手も、この指標に基づけば突出した選手にはならなくなってしまうほどですね』
『つまり、根付選手は評価されない打者だということでしょうか?鈴木さん』
『比較的、そうなります。最新指標もこんな形でチームに貢献する打者が出てくるとは想定していなかったのでしょうね。
ああただし、根付選手の真似をするのはお勧めしません。ここまで粘り続けながら出塁もできるのは、明らかに特殊な才能ですから』
『おっと根付選手、我々が長々と語っている間に14球でフォアボールを選びました。一塁に向かいます』
『根付選手がバッターボックスにいる間、たくさん話せるのはいいのですが、解説する点がなくならないか少し心配になりますね(笑)』
『それは私も分かります。だんだん話すことがなくなってくるんですよね。まさに実況泣かせ(笑) 泣かせるのは投手だけにしてもらいたいものです』
『星海の4番打者、2年生の虎杖レオン選手がバッターボックスに向かいます。今日も威圧感がすさまじい。
虎杖選手といえば、夏には『ホームランか三振か』という印象が強い選手でしたが、大きく変わりましたね』
『はい、虎杖選手はバットを持ち換えることにより、強豪の上位打線並みの打率を誇りながらも、ホームランは前以上に量産するという、大きな進化を遂げた選手です。
その打数当たりのホームラン率は50%近く、これは常識外と言えます』
『星海には常識外が多すぎますね』
『全くです。起用している監督も常識がないのでしょう。
ですが、その常識から逸脱した起用と采配だからこそ星海はここまでこれたと言えます』
『ああ、そういえば鈴木さんは星海の監督と大学が一緒だったとか?』
『ええ、彼は当時から変人でした。
おっと、話がそれました。虎杖選手、豪快なスイング。彼はこのスイング速度が素晴らしい』
『打った打った打った!しかし打球は惜しくもフェンスに阻まれました。勢いよくフィールドに打球が戻ってきて二塁打』
『先ほどした話ですが、最新の打者指標では今の虎杖選手は打率に比べて非常に高い評価をされます。ホームランをはじめとした長打の割合が非常に多いので、そうなるんですね』
『なるほど、最新の評価で評価される選手とされない選手が同時にレギュラーを張っているわけですね。
星海学園、その名の通り綺羅星のようなタレントを多く集めているようです』
星海VS東海大相模の試合は始まったばかり。
この試合から放送が始まった実況解説を軸に、試合は進行していく。




