第三十一話 『風の微差』
七里ガ浜高校は、神奈川において中堅では下位よりの学校である。
夏の県大会でも秋の県大会でも、1~2回戦で大抵消える。
そんな彼らにとって、新興校でありながら設備に優れ強豪となり、今年に至っては準優勝まで上り詰めた星海学園のことは、羨ましくもあり妬ましくもある。
去年までは神奈川ベスト16を掲げる七里ガ浜にとって、星海とは『あの程度の力をつければあるいはベスト16~32内も現実的』というベンチマークにちょうどいい高校だった。
ところが、今年になってそれが大きく変わった。
即戦力の怪物ルーキー、それも複数人が星海に入学し、そしてこれから3年生になるまでい続ける。
それは、『うちに来てくれたら目標がかなったかも』という思いを生む。『どうしてうちじゃなかったのか』という妬みも生む。
もちろん、言っても詮無いことではある。だが、心はそんなに簡単に納得してはくれない。
だから、この対戦はモヤモヤを晴らすきっかけになるのではないか、と思っていたのだが。
(これ、本当に速度違うの!?見分けがつかない、当たっても変なとこに飛ぶ!)
横浜高校などの神奈川の強豪上位以上の高校でも見分けにくい速度差、リリース、トンネリング。それらによる非常に高いストレート擬態力。
七理ガ浜高校レベルの選手たちが判別できるようなものではない。
そして、暁の投球スタイルも変質している。
夏までの三振を目的とした投球ではなく、さくさく打たせて取りながら、追い込むかピンチには三振に移行する省エネスタイル。
このスタイルは本来不慮の安打も増えやすいのだが、暁はそれを自身の特性で解決していた。
そして実は、以前のスタイルよりもこの形の方が暁の投球には相性がいい。
(速度も同じに見えたり速く見えたり遅く見えたり。球種も区別つかない!)
大体の打者は、ストレートを基準として軌道と速度でなんとなく球種判断している。
であるからして、軌道が同じに見えストレートとの速度差が毎回違って見えると、脳が混乱していく。
もちろん、高レベルな打者はこれをデータとの照らし合わせで配球を読みつつ、見た後で自身のデータに反映させてある程度区分できたりするのだが、悲しいかな七理ガ浜にそのレベルの打者はいなかった。
ただ混乱しながらやみくもに手を出し、次々と空振りや凡打を量産していく。
「こんな、意味の分からない投手――」
『蜃気楼』と、そう夏の大会から呼ばれだした目の前の投手を、七理ガ浜の選手たちは畏れの混じった視線で見る。
対する暁は淡々と、敵意すら感じさせることなく七理ガ浜の選手を翻弄する。
凡打凡打三振凡打凡打凡打。
夏に比べてインパクトは少ない。成績が悪化したとみる向きも三振主義者にはあろう。だが、コスパはこちらの方がずっと良かった。
力の差を見極めに来たはずだった。なのに、何が起きてるのかさえ分からない。どれだけの差があるのかなんて全然。
一方で、次に登板した田代は分かりやすかった。速さと重さで終始圧殺してくる。
だがバフ状態の田代は、彼らにとって手が付けられないほど力に差がある。
手が出ない、出てもバットが押し返される。分かりやすい力の投球。
分かりやすいがゆえにどうにもならないのが分かってしまう。
心が折れた頃、5回に十分以上の点差がついていたことでコールドゲームが成立する。
振り返って、七理ガ浜の選手たちはこう言った。「もうあの高校とはやりたくない、むしろあんな変な選手がうちに来ないでよかった」と。
それは悔し紛れではなく、本心であるように見受けられた。
4回戦までくると、まず強豪校同士の対戦になっている。
組み合わせの妙によっては3回戦までなら強豪と当たらないこともなくはないが、それすら少ない。それだけ神奈川には強豪が多い。もし強豪でないなら、それは大概がその強豪を破った今年のダークホースだ。
ここで、世間における今年の秋季県大会における神奈川校の力関係の認識はこうだ。
まず押しも押されぬ神奈川最強、横浜高校。
次いでそれに対抗できると言われる、東海大相模。
さらにそこから少し落ちて、慶應義塾高校。
さらに劣って4番目、ここに星海学園。
その後、ゴロゴロと近いレベルで他の強豪が並んでいく。
それはただの認識であり事実ではなく、イメージが大きく入り込んでいるが、少なくとも多くがそう考えていた。
いや、人によっては星海の位置はもっと低いかもしれない。春県大会・夏県大会の躍進を経てもなお、やはり新興のイメージが足を引っ張る。
だがその侮りを、星海の監督は朗報と受け取っている。
夏においては暁の核心を隠し、そして今この秋季大会ではレオンが隠れていた。
レオンは派手だからすぐにばれるが、それでも心のどこかに『運の偏り』という思考が混ざれば、その分優位になる。
星海が今日対戦するのは近年復活した古豪、法政二高。基礎と結束力を重視し、打線をつないで守り勝つ、バランスのいい高校である。
その一方で、個々の選手の身体スペックは神奈川最上位に及ばないとも言われている。
そしてこのつなぐ野球をする相手は、新スタイルの暁にとって消耗を避けながら有利に戦うのに適した相手であった。
ただでさえ欺瞞性の高い投手は芯外し効果が高いと言われる。暁はそこにフォーム差のガチャが作用、さらに芯外しが加速する。
打っても打っても打球は弱くなり、相手守備が取りやすくなる。
実力で淘汰した後にギャンブルゲーの強要、それが新たな暁の投法。
(俺はヒットを打てたが、後続が……)
ギャンブルゆえ、当たることもある。以前のスタイルよりもヒットは少し出やすい。
だが、後ろが続かなければ意味がない。
仮に15%でヒットになるとして、それがアウトになる試行回数までの間に積み重なって点数になるのはどれだけの確率か、という話であり、これの壁が高い。
そんな運ゲーに期待するのならば、パワーによるホームランに期待したほうの可能性が高かった。それも芯を外してくるので確率が普通より下がるが。
なお、先ほど挙げた数値は分かりやすくするためのイメージであり、実際の暁の投球結果を統計したものではないので誤解なきように。
『まず、当てられるかが最初の関門。
6種類の全てがストレートにしか見えない球、変化方向や変化の量はバラバラ。球速で見分けはつかず、リリースも見えにくい。
うまくミートできるだろうか?
第1関門突破おめでとう。さあ、次の関門に行こう。
フォームによる球速と球質の微差のお時間だ。くじ引きしてくれ。
突破できなかった?ベンチにお帰りください、またの挑戦をお待ちしております』
こう言われているようなものである。
結果として、法政二高は暁の担当する4イニング中、1点も奪うことはできなかった。
本日、暁の後を任されたのは、高坂揺という男。
田代を温存したい今日は、締めではなくこの中継位置で高坂を使う。
彼の球は握力を大量消費するため、登板は1イニングのみ。後ろは工藤に託す。
体が沈み込み、腕が下から掬い上げるように弧を描いて、ふわっとボールが浮かび上がり、風を受けてゆらゆらと揺れながら100km/h前後の速度でミットに到達する。
井上も使っていた揺れ球、ナックルと呼ばれる球種。別名、無回転ボール。
本来投球には高い方がいいとされる回転数を逆に抑え、空気抵抗による不規則な揺れを実現する、投手にも制御不可能と呼ばれる球
暁が『フォームの微差』ならば高坂は『風の微差』。不規則で読めないという点では同じ。
この球はストレートに比べて球速が低いのが特徴で、事実高坂のそれも100km/h前後。だがこの遅さは暁や田代の後に配置された時、かつての『黄金リレー』と同じように速度差のマジックが発生する。
ゆらゆら、ゆらゆらと、幻惑するように、風に木の葉が舞うように、動きもその変化の仕方もその瞬間瞬間で変わっていく。
彼の名前はまるでこの球を投げる運命だったよう。静かな投球がしんしんと降り注ぐ。
(下手投げのナックルボーラー、こんな相手用の練習してないぞ!)
純粋にナックルに特化した投手など、同時期に全国4000校の中に1人いるかいないか。井上のような混ぜる投手も含んでも、数人程度というレベル。
そんな人間用の練習など、積むわけがない。しかも高坂はこの大会で出て来たばかり。井上が引退し、対策を考えなくてもよくなったタイミングでこれだ。
対戦校からすれば、こんなのはだまし討ちにしか思えない。
短イニング限定の攪乱兵器、それが高坂揺である。
経験のない球筋。暁によって鋭敏にさせられた感覚が、独特の不規則な軌道と変化、そして継投の速度差を増幅させて感じさせる。
継投でこそ真価を発揮する、『振幅の調律師』と未来に呼ばれる異質な投手の卵だった。




