第三十話 『普段の行い』
暁たちが北海道の夏季合宿で鍛えている頃、地元で二軍の合宿に同行していた真央は一抹の寂しさを抱えていた。
それは目標の一部であった姉の澪がいなくなったこともあるが、部内の空気がなんだか変わっていくことへの戸惑いも含む。
「どうしたの、真央。こんな窓辺で黄昏れちゃって」
ふわっと、腰の上まである白髪をたなびかせて、ゴスロリ服装の女性が真央の隣に座る。
平均身長に、平均よりほんの少しだけ慎ましい胸。柔らかな印象で白みを帯びた灰の瞳が特徴的な、ロシアの血を引くクォーター。
補食づくりをだれよりも得意とし、暁の好物とするクッキーの作り手。
星海学園のメンタルケア担当マネージャー、潮音真白。
真央と響の親友でもある。
「真白……ううん、なんだか夏の前までといろいろ違うなって思って。
ねえ真白、どうして真白は暁くんを助けてあげなかったの?」
数言のフレーズやルーティンで選手の精神状態をある程度誘導できる真白であれば、暁をどうにかできたのではないか、とわずかながら責めるような色が真央の目に混ざる。
「そうね。あの子が求めていたのが救いじゃなかったから、かしらね」
ふっと、思い出しながら窓の隙間から入り込んでくる風をはらんでたわもうとする自身の髪を手で押さえて、真白は言葉を続ける。
「あの子が欲しがっていたのは、罰。そして贖罪。
聞こえのいい言葉で表面を覆い隠すことはできたでしょうけど、それじゃ目を逸らすだけの結果になったかもしれない。今だけ癒すことはできても、傷跡はきっと残す。
私に今できるのは、少しの慰め、かしら」
専門知識のない真央にはその言葉がどれだけ正しいのかは分からなかったが、真白という己の親友を信じることにした。
「先輩方、ここにいたんですか?明日からまた他校のスカウティングに出かけるので、引継ぎをお願いしたいのですが」
玲奈が印刷した紙の束と、端末をもって歩み寄ってくる。
この時期、玲奈は他高校の新チームの情報を集めるべく、とても忙しい毎日を過ごしていた。
「あらごめんなさい。またあまり寝てないの?目の下にクマができてるわよ。
今度、一緒にお茶しましょう。あの子も一緒に。」
後半は小さく、玲奈にしか聞こえないように告げた真白は、柔らかく笑って紙束を引き受ける。
「そうですね……ひと段落つけば、その時に」
玲奈もまた、小さく。
実のところ、玲奈は暁と同じく真白のお菓子に餌付けされていた。
隠れ甘党の玲奈は、自分のイメージを崩すとして隠匿したがっているが、時折暁とともに真白のお菓子をお相伴にあずかりながらお茶を飲んでリフレッシュするのを楽しみにしていた。
これは薄々感づいていた梅本がいない今になれば、三人だけの秘密のティーパーティである。
「玲奈ちゃんも無理しないでね。私たちをもっと頼ってくれていいのよ、1年なんだから」
「お気遣いは受け取りますが、私の仕事が情報戦の支えなので。では失礼します」
自負を見せた玲奈は、軽く頭を下げると、すぐに身をひるがえしてクールに去っていく。
自己実現目的で星海に入学した彼女にとっては、己が何を成したかが重要。完全な仕事人間状態であった。
「もう。あの子も気の抜き方を覚えてくれればいいんだけど」
でも真央にとっては、そういうところが少し心配だった。
何しろ、専門家集団の女子マネージャーの多くが自分に厳しい。うまく休むタイプの方が少ないのである。特に今年の1年たちは。
比較的休み方を覚えた自分たちが、彼女たちがキャパオーバーする前に教えてあげなくては、などと『教育係の仕事』と捉えるのだった。
真央もあまり、人のことを言えない。
「真央、そろそろみんなのところに戻りましょう。
あと数日すれば一軍の皆も戻ってくるでしょ。そしたらデータ共有にトーナメントに向けてのミーティング、忙しくなるわ。
私たちにも手伝ってほしいと声がかかるでしょう?」
真央は日常で効果を発揮するタイプの専門で、トーナメント中は自分だけの仕事が減る。真白も試合に臨むメンバーのメンタルケアに忙しくなるが、それでも手が空かないほどではない。
なので、忙殺されている女子マネの応援に駆り出されるのが習いなのである。
「9月になったらすぐ、トーナメントか」
「そうね。みんなが力を出せるようにしましょう」
親友二人は連れ立って、しばしの休憩を終えて仕事に戻るのだった。
秋季県大会のスケジュールは、夏の過密日程に比べて随分と余裕がある。そのため投手はそれまでの試合での疲労をあまり引きずらない。
つまり、割とどこの学校もエースを連投させ気味になる。
また、どこの高校も3年生が引退したために新チームは大きく弱体している。経験値という面でも、能力面でも。
そしてこれらが、この秋大会で星海学園が有利な要因である。
相対的に弱体幅の低いチーム戦力、レギュラーの半分程度が夏の経験もちという残留率、そしてエースを多投させられる環境。
直前の夏よりもよほど、勝率は高くなっていると監督は判断していた。
星海は夏に県大会で準優勝をしているためシード権を獲得、試合は2回戦から。
そして、神奈川の秋季県大会は事前に地区予選で高校を絞るため、夏よりも総試合数は少なくなる傾向にある。
そして、夏のベスト8をシード校として各ブロックの端にくじ引きで位置させ、それ以外のノーシードもまたくじ引きで決める。
つまり、ベスト8以外にも実力の高い高校がゴロゴロいる神奈川においては、シード校においてもくじ運が大事になるということだ。
監督はくじ結果を見やりながら。
「横浜高校は真反対、東海大相模も当たっても準決勝。他も慶應なんかの強いところは二強と潰し合う。かなり理想的じゃないか。
2~3回戦もうちはそこまで強いところと当たりそうにない。ここまでくると、運の揺り戻しが怖いな」
己ではどうにもならない運というものをあまり好きではない監督であったが、この時ばかりは万々歳。
素晴らしい仕事をしたと、ただくじを引いただけなのに意気揚々と学園に帰ることになる。
学園に戻った監督は、あまりにも学園に戻り選手たちに素晴らしい手腕を褒め称えられ、「普段の行いがいいとこうなるってことだな」などと語り、(どこがだろう)などと皆は思ったものの、突っ込まないであげるという優しさを発揮したのだった。
そして、9月上旬の日曜日、神奈川秋季県大会・2回戦当日。
夏に比べて注目度の低いこの大会は、シード校であっても序盤の試合は観客席がガラガラなのが通例。
実際、この日も観客自体はほとんどいない。
が、他校・大学・プロのスカウトという関係者たちは星海の規格外の1年生たちを一目見ようと集まっていた。
もちろん、大学やプロのスカウトは彼らがまだ1年ということもあり、半分興味本位できたレベル。夏の甲子園に詰めかけるほどの人数や熱気ではない。
それでも、ガラガラの球場の中に明らかな関係者が集まっている光景は、なかなか独特だった。
「暁、今日は3回まででいい。その後は田代に代わってもらう。
今日は暖気するつもりで投げてくれ」
「了解しました。怜、今日は温存気味でいいか?」
「そうだな。ここで情報を与える必要はない。基礎スペックだけで圧倒しよう」
もちろん、油断はしていない。だが相手高校のレベルを考えれば、『油断はできなくとも余裕はある』程度の温度感だ。
この秋の状態において星海と七里ガ浜高校の間にはそれだけの力の差がある、というのが客観的事実である。
この『油断できない』要素が何かと言えば、この秋において暁の投球の種はかつての横浜高校が認識していた程度の精度で種が割れているからだ。
なお、使い分けが半々で、予測のしようがないことには世間は誰も気づいてはいない。気づくためには、スカウトしたイニング数が絶対的に足りないのだ。思い至るには、最低30~40イニング分のデータが必要となるだろう。
公式試合だけで足りる訳もなく、練習試合をどうにか隠れて偵察してもなお足りない。星海は他校の偵察を排除しようと画策する毎日であるし。
ともあれ、夏の挑戦者視点とは異なり、上から叩き潰す視点で試合は始まった。




