第二十九話 『確率の壁を越えて』
さて、守備では暁と田代が活躍するも、合計で5得点を7回とその半分までで取られ、高坂にバトンタッチしたものの高坂もまた9回に打ち込まれた。
ナックルボーラーと呼ばれる、その日その瞬間の空気抵抗によって誰にも予測不可能に揺れる球を扱う投手。
下手投げという、この球を使うのに適した投げ方をする高坂は、しかしナックルボーラーの宿命に悩まされもする。
すなわち、ボールの制球のコントロールが理論上不可能であるということと、投げるたびに急激に握力を消耗して行くという耐久性のなさ。
これにより、残り1イニング半を持たせることができず、2得点を追加されることになった。
これだけ聞くと対亜細亜大学戦には完敗したのか、と思うかもしれないがそうではない。
実は星海打線は夏に比べてそこまで弱体化していない。
実際にこの試合で星海打線にどんなことが起こっていたのかと言えば、こうだ。
1番打者根付がとにかく粘り、出塁を重ねる。
2番打者がバッターボックス内で不規則な予備動作――投手の投球動作に合わせてステップや構えを変えながら細かく動くことでリズムを崩す。
3番打者の新主将が、セオリー通りの打撃で打ち抜く。
4番打者レオンは、上がった打率で大きな打球とホームランを量産。
5番打者が高い野球IQで相手の隙をついてセオリーで間を抜く。
ここまでが上位打者。
特に注目したいのが新主将で、星海が伝統的に『なんでも高レベルでできるショートを主将に据える』という方針を取っているのもあり、元主将との打撃成績はほとんど差が開いていない。
それ以外も、夏までの先任者よりわずかに成績が下がっている程度。
そして、肝心のレオンは。
「はっはー!」
この試合でも陽気に、1.5倍になった打率でランナーごと返す大きなホームランを打っていた。
つまり星海の上位打線は、ほとんど弱体がみえない。
いや、レオンの進化により打線がつながることが増え、明らかに点数期待値は上昇している。
次いで6~9番の下位打線。
ここは怜が夏までの3分の2近くの打率に、暁に至っては繊細になった投球を守るために打てば点数が入るという状況以外は徹底した打撃放棄。
この2人によって大きく下がっているのだが、こいつらは大体が3~4イニングたてば交代する。
それ以外の者たちは、実はあまり前任者とそん色がない。ほんの少し劣る、という程度。惜しくも夏にレギュラーになれなかった者たちが順調に上がった。
そして、怜と交代するキャッチャーは打てるタイプであり、田代も3割に迫って打てる投手としてはかなりいい打撃力。
総じて、暁登板時は夏より打線が弱くなるが、それ以外はむしろ夏より強い、ということになっている。
原因のほぼ6~7割はレオンである。
レオンのせいで、3年が引退すれば打線が大きく弱体という世間一般の常識を覆していた。
なお監督はレオンに『カリブから来た衝撃の特異点』というあだ名をつけようとしたが、あまりに長くて定着せず、本人にも微妙そうな顔をされたためその話は立ち消えになったという。
粘って出て、リズムを乱し、確実につないで、大きく打ち、そんな風につないでいった結果、亜細亜大学戦での星海スコアは、7-5という割と接戦で負けた。
地力の差を考えれば奮闘したほうといえる。
星海学園は夏、層が薄い薄いと言われがちであったが、その実『二軍の有力メンバーとポジションや役割が被っていたためにベンチに入れにくかった』というのが事実であった。
星海の監督は戦術の拡張性を重視するため、ただの代わりになるだけの人間はベンチに入れたがらなかったのである。
もちろん、全体として特に下位打線の打撃成績の数値が神奈川の強豪校に比べれば少し低めであった、というのもまた、まごうことない事実ではある。
亜細亜大学との対戦を経て、打線には問題がないことと、投手陣には少し未熟さがあることを再認。
合宿場で練習メニューを見直しながらそれぞれが励むことになる。
そして、北海道での合宿最終日。日本ハムファイターズの二軍チームとの試合が始まろうとしていた。
二軍とはいえ、プロのチームが主力を高校生にぶつけるわけがない。
若手・リハビリや調整中の選手・育成枠、といったところを中心に編成されている。
それでなお、プロ二軍の方が勝る、というのが実情である。
「さて、胸を貸してもらいに行くとするか」
監督はそう口にしたが、全くそんな雰囲気ではなく食い破る気の獰猛そうな顔を浮かべている。
ベンチには響もいて、星海の編成はベストメンバーのみ。相手方の情報はなし。正面からの殴り合い。
「まずは暁、4イニング頼む。途中で球数がかさむか疲労と違和感が出るなら代える。
その後は『新・黄金リレー』につなぐが、高坂の後は工藤にも出てもらう。
4人で9回を投げ切ってくれ。
打線はいつも通りだ。こっちの先攻だから試せることは全部試してこい」
相も変わらず揃わない掛け声で皆が返事をし、根付が淡々とバットを持って打席に向かっていく。
試合が、始まる。
(前提条件はそろった。1打席目で低確率を超えて種まきは済ませた。この打席の1球目で横に意識も向けてある。
さあ暁、来い)
1球目の外角に遅い方の横にボールゾーンへ逃げる球を投げ込んだ後に握りを確認していた暁の元に、怜による特殊サインが発令される。
(ついに来たか……遅い方、遅くなれ)
体を回転させながら遠心力を乗せた球は、真ん中少し下の方のゾーンを目掛けて飛んでいきそこから急激に推進力を失ってほぼ真下へその姿を消す。
打者の目線からは消えて見える新球、キックチェンジ。だが、
(違う、速い方になった!怜、もう1度だ)
50%の狙いを外す。
ぎりぎりのところでバットの動きを止めた日ハムの二軍打者は、ボール宣告を受けてもう一度構え直す。
(2連続ボール。次はストライクを入れてくるな。そこを叩く)
そう考えて打者はしっかりと下半身のためを作り、重心を低く保って、バットを引き付ける。
そうやって待ち構えたところに飛んでくる、先ほどと全く同じ軌道。
(騙されるものか、これはストレートか小さな変化をする……な、消えたっ)
同じ球種。2連続でキックチェンジが投じられ、意表を突かれた打者は空振りしてストライクを増やす。
(高校生がよくやる。
だがボール先行だ。どう配球してくる?セオリーなら――)
そんな打者思考とは別に、暁と怜は目を合わせ。
(条件はすべて満たされた。来い、暁。ここからの成功率は50%)
(確率の壁を越えて――成立しろ、必殺シークエンス)
怜が内角の高めにミットを構える。
セオリー通り。遅い落ち球の後は高めのストレート。
打者にも当然分かる。それなのに。
(なんだ、速すぎ!?)
体が反応しない。
急激に速くなった球に体が追い付かず、バットが動かない。
打者の脳裏に軌道と速度が焼き付いていく。
引き延ばされた時間間隔の中で、ストライクとコールする審判の声が少し遠いように彼には感じられた。
――これこそが、『急加速ストレート』と名付けられた暁たちの切り札である。
直前にサイドの遅いキックチェンジを、直後にスリークォーターの速いストレートを投げ込む。
すると、キックチェンジ単体の緩急性能にフォームの速度差がプラスされ、+17~19km/hという緩急となる。
これは、暁の投球の肝であるピッチトンネルを崩さない限界値に近い緩急差。そしてそこにリリースの見えづらさと、トンネリングによるストレート擬態性能。
この3つが合わさった時、打者の視点では『ありえないほど速い球』として映る。
通常緩急は一般に10km/h前後と言われ、劇的緩急においては統一された定義はない。あるものは20km/hを超えたら、あるものは30km/h以上などと好きに言っている。
であるからして、この話においてはこう定義づけよう。
『暁の速度過敏を受けた状況下においては、+15km/h以上を『劇的緩急』とする』と。
少なくともその条件下なら、世間で劇的緩急と呼ばれるものと同等以上のインパクトをもたらす。
(こいつのMAXは140じゃなかったのか?だがあれは、まるで160ほどに)
速度認識とは、球速の絶対値ではなくいくつもの要素が複合したものである。
この配球シークエンスは、それを最大限に利用していた。
衝撃から立ち直る間を与えないというように、暁は打者の内側に食い込みながら沈む球を投じる。
プロの意地でそれに対応しようとして振ったスイングが、たわむ。
無理やりに当てようとしてしかし待ちきれず、泳いだ体のまま空振り。
その姿を見て、暁と怜は視線をかわし、無言で頷いた。
星海の夏季合宿が終わって1週間がすぎたころ、日本ハムファイターズの球団施設で、球団コーチが二軍でリハビリしている選手に声をかけた。
「そういえば、少し前に高校生と試合したんだろう?面白い奴はいたか?」
「そうですね。将来の怖いのが何人か。投手に、打者にそれぞれ。楽しみそうなやつも」
「おいおい、そこまで言うか。どんなのだったんだ?」
「とにかく意味不明な投手でしたね」
「気になってきたな。星海だったか、少し調べてみるか。
お前もあまり根を詰めるなよ」
「はい」
そう口にしたものの、彼はコーチが去るとまたバットを振りだす。
「なんだか、最近調子がよくないな」
そう呟いて、修正しようと練習を重ねていくプロの鑑であった。




