第二十八話 『その先へ』
合宿地が北海道ということもあり、食堂には海鮮丼や豚丼・ジンギスカン・寿司・さらには十勝のアイスクリームをはじめとしたスイーツまでが並んでいた。
もちろんそれだけではなく、しっかりと栄養が取れるように副菜もそろっている。
響が選手のみんなに食事をよそっていると、名産品の区画を通り過ぎていく暁の姿が目に入る。
「暁っち、なにしてんの?あーしがよそってあげるから、きなー」
お玉を掲げて「特盛にしてあげてもいーよ」と嘯く響にしかし、暁は。
「いりません。そんなの、消化も悪いし栄養も偏る。もっとすぐに筋肉になる食べ物にしないと。ご飯系は晶の『プロテインおにぎり』でいい」
その言葉に、響はガツンと、世界がひっくり返ったような衝撃を受ける。
「あの暁っちが、『栄養』『消化』。
しかも栄養は計算しても味は二の次なあの晶ちゃんのおにぎりを?この高級寿司より選んだ?」
ありえない、こんなことはありえてはいけない。
「暁っちが、壊れちゃった……」
「壊れてません。ちょっと真剣度が足りなかったと考えを改めただけです」
すん、とした顔でなんでもないように答えてくる。
「あはは、冗談冗談。でも体の栄養重視もいいけど、心にも適度に栄養やりなよ。なんならあーしがいつでも届けてあげっから」
冗談めいて言いながらも、響の目の奥に悲痛めいたものが一瞬混じる。
その超視力で、崩れ落ちた瞬間の暁の慟哭をはっきりと目の当たりにしてから、特段守ってあげたい後輩というカテゴリーに暁をあれ以来入れていた。
今も、思いつめすぎていないかと心配を心の底に抱きながら、自分がそれを表に出すのはいいことにならないと押さえつけている。
「はい、ありがとうございます。それじゃ」
野菜と果物を乗せてその場を離れようとする暁に対して、横から手が伸びてきて。
「暁、ジンギスカンは食え。肉は必要だろう。羊肉は高たんぱく低脂肪、ビタミンBも豊富だそうだ」
ひょいひょいと、暁の皿に盛りつけていく田代。
「そうなのか。助かる、田代」
「気にするな、俺が礼を言われる道理じゃない」
田代はそう暁の言葉を受け流し、少し離れた場所からこちらを見ている零をちらっと流し見。
そう、この入れ知恵は健康管理担当の零からのもの。
零はあの日以来、暁に必要な時以外は一定以上近づかないようになった。職務には前以上に忠実で、そのあり方は鬼気迫るほど。しかしことあるごとに遠くから暁を見続けている。
あの日、暁の悲嘆をもたらした側だと定義づけた零は、もう二度と繰り返さないよう、ベストコンディションで選手を送り出すことを強く誓った。
本当は自分も傍で暁を支えたい。でも、あんなミスをしでかしてしまった自分を拒否されるのも怖い。
そんな心が、今はまだ零を支配していた。もう少し、時間が彼女には必要なのだ。自分に自信が持てる時間が。
暁と怜が今日も今日とて投球について話し合いを進めているさなか、胸の部分がパツパツのユニフォームを着た紫苑が室内に入ってくる。
「ここにいましたか。すでに気が付いているかもとは思ったのですが、有効な配球シークエンスを共有しておこうかと思いまして」
「ああ、これか。でも今は使い分けが未熟だから狙って出せないぞ、このパターンは」
「はい、了承しています。ですが、こうなった状態を前提にすれば、現状でも半々で発生させることはできるかと」
すっと、書き込んである図式を見せられて、暁は唸る。
「確かに、はなから否定するほどのことでもなかったか。成功すればメリットは大きいわけだし」
それに、怜もまた同意。
「そうだな。なにより失敗した時も、成功しなかった以上のデメリットがほとんどないのがいい。これ、さっそく合宿最後の対外試合で使わせてもらう。
プロの二軍に通用するのか、見てみたい」
「そうですか、では推奨タイミングはこちらです」
さらに、つかうタイミングまで提示してくる紫苑の積極性に怜は苦笑。
「お前、今の段階ではこれが起こるかは、賭けだって分かっているだろう?」
「ですが、条件が揃えばシステム完成時の効果を推定観測できます。
秋のトーナメント前にそれを知ることができるかもしれないというのがどれだけ大きいか、藤代くんには分かっていただけるかと」
その場の勝利を目指すか、実験を優先するか、少し怜が迷っていると。
「やろう怜。紫苑の言うとおりだ。
俺の理論はまだ机上のもの。その有効性を確かめなきゃこれから先の時間を費やすべきか、それとも軌道修正すべきかが分からない」
「……そうだな、お前たちの言うとおりだ。俺も少し目の前にとらわれ過ぎていた。
最大目的は甲子園。この合宿も秋大会ももう期間がない以上、出来そうなことはしておこう」
「それなら、あちらも導入いたしますか?」
「いや、さすがにそれはトーナメントへの影響が大きい。大会後まで保留すべきだろう。もしもの時の影響力が違い過ぎる」
「でも、そうなるとお前」
「大丈夫だ。これは俺自身が進んで選んだ道。大会中くらいはどうにかしてみせるさ。
幸い、暁の担当できるイニング数は今そう長くないしな」
「分かった、じゃあこっちは……」
「私の理論によりますと……」
3人による作戦会議は、秋の近づく夜長に続いていった。
夏合宿4日目、この合宿2回目の練習試合。
東京に本拠地を構えるものの、この時期北海道で開催されるリーグに例年参加している亜細亜大学との対戦枠。
亜細亜大学は甲子園でならベスト4以上は確定、あるいはそれ以上の力を持つとされる大学チーム。つまりは今まで星海学園が戦ったどの相手よりも強い。
向こうが星海を深く研究してはいないという点はメリット。
一方で星海側は一通りこの夏合宿での対戦相手のことも調べている。もちろんトーナメントで対戦する高校相手ほどの深度ではないが、得意不得意を調べる程度には。
力では亜細亜大学、情報では星海学園に分がある。
初見殺し性能の高い暁は、大学上位のパワーによって1点を奪われるものの、3イニングをどうにかこうにか各回ランナーを出しながらも切り抜ける。
そして、暁のバフを受け取った田代が登板する。それと同時に怜も下がり、キャッチャーが交代。
田代にとっては二軍で1ヶ月ほど組んだことがあり、夏の決勝後も含めると約1ヶ月半のバッテリー歴。これは高校野球という文脈では短い期間にあたる。
(梅本先輩とも、藤代とも違う、セオリー型のリード。意図は分かりやすい分助かるが、どうにも慣れないな)
こちらを包み込むようなリードと、攻撃的に相手を仕留めようとするリードを経験した田代には、どうもこのキャッチャーのリードは味気が無いものに感じられた。
だが、こんな短期のバッテリーでも生じる問題が少なめなのは、それがセオリーに即しているという共通理解があるためでもある。
(低めに変化球を集めてストレートで高めを仕留める。シンプルで分かりやすい。配球の攻略は簡単そうだ)
割と、球筋を見ている亜細亜大学のバッターは余裕があった。
田代と室井の差。それはMAX球速と平均球速。その差は数値にして3~4km/h程度のものでしかないが、同時にこれは暁の球速との相対差や速度過敏による増幅幅に影響する。
つまり、室井が魔法によってMAX160km/h以上に感じられる一方、田代はMAX155~157km/hほどの体感速度になるロジックだ。
そしてこの田代の増幅された体感速度は、亜細亜大学のバッターにとって比較的慣れている。
(速いが、見たことはあるレベル。制球も安定しきっていないし、これなら慣れれば十分打てる!)
そう、彼らにとってはその程度だ。
もちろん田代の重さやホップする球は通用するだろう。1巡をしのぐ程度であればまだ。
キン! キン!
だが、その武器のストレートの前段階を叩かれる。
配球がセオリーということは相手からも読みやすいということ。
散発的ではあるが、押し込むことができずヒットは出ていく。
(くっ、強い、厳しい。だが、この程度、踏ん張って見せる)
田代は追い込まれて、リミッターが外れる。
火の出るようなストレート、MAX149km/h。まだ完全には意図的に出せないが、意志が高まった時ならば。
それが暁の魔法によって増幅、一時的に160km/hに迫る体感速度と球威。
(くっ、これは)
さしもの亜細亜大学の打者も打ちあぐねる。
だが、リミッター解除はわずかな時間しか持たない。一度ベンチに下がれば集中は切れ、再び元の状態に戻ってしまう。
暁も田代も、いまだ未完成。
そして、さらに暁による速度過敏の魔法まで解けてしまえば。
どんどんと、打ち込まれていく。
スコアに点数が記されていく。
だがそれでも、田代の目は死なない。
(ぐ、くぅぅ。まだ、まだだ!暁が決勝で感じたつらさは、プレッシャーは、この程度ではないはずだ!
俺は並ぶ。並ばないと、支えられないだろう!あの1人で背負ってる馬鹿を!)
友、ライバル、仲間。どれでもあり、どれでもない、複雑な関係。
そんなやつが傷ついているのをよしとするような性格では、田代はない。
不器用な自分には、プレイでしか語れない。ならそれで語ろう。
ガチン
脳裏に撃鉄が落ちる。
リミッターのさらにその先に。再び意志の力でトリガーを引く。
MAXのその先へ。
「おおぉぉ!」
軌道に火が走るような、ぐんと浮き上がるストレート。
MAX150km/hの大台へ、到達した。
ストライク! バッターアウト!
田代はまた一つ、暁の領域へ手を伸ばす。
限界などないと。あっても何度でも突き破るという意志を込めて。




