第二十七話 『意図的使い分け』
夏合宿が始まって2日目、大学チームやプロの下部チームとの練習試合が1日おきに組まれていた。
この練習試合のチームとしての主眼は『新・黄金リレー』が生まれ変わったチームでも正しく働くかどうかを確認すること。
そして当然、それぞれの選手ごとに課題があった。
あるものは、出塁と削りの両立。
あるものは、投手へのリズム乱し。
あるものは、全能力の押し上げ。
そして暁の課題は。
この日試合となった相手は、東京農業大学北海道オホーツク。
北海道の大学野球リーグの絶対的強豪にして、その強さは高校野球だと神奈川の強豪上位に匹敵する。
それに対して先発で相手するのは、1年生エースとなった暁と専用捕手たる怜のバッテリー。
怜は頭をフル回転させ、玲奈と紫苑からインストールしたデータと理論を組み合わせていく。
(この右打者は最初に内角の球への反応が鈍いパターンが多い。なら、内から外に逃げるように)
(じゃあこっちだな)
暁の独特のフォームから繰り出される、ストレートにしか見えない球筋。内角高めのボール球だと思われたそれが、打者の手前まで到達したところでストライクゾーンへと入り込むように、グィンと斜め下へと変化する。
審判のストライクコールを聞きながら、暁は。
(よし、狙い通り遅い方になった)
そう、自分の球がどちらのフォームから繰り出したのかを認識するようになっていた。
暁が、あの日怜たちに提唱したシステムに絶対に必要とする根幹の能力、それは2種のフォームの意図的使い分け。
それまでの無意識の自然混在から、制御できる使い分けへと移行しだしていた。
現在の使い分けの比率は50:50。思い通りになるのとならないのが半々。そう聞くと、無意識の時と何も変わっていないように聞こえるだろう。
だが、大きく違うのは暁自身の使い分けようとする意志と、これがどちらかという速度認識である。
さて、では晶の種まきがどう影響しているのか?
普通、無意識だったものを意識的に変えようとすれば、その変化の途中で乱れが起こりやすい。これは、フォーム変更などの際に一時的に成績を落とすことになる要因の一つである。
ところが現在、暁にその乱れはない。これは、晶が徹底的にフォーム固めを夏までずっと体に教え込み続けた結果、意識のスイッチのみで意図的使い分けを選択できるようにレールを引いていたのだ。
もちろん、使い分けの精度自体は今現在なにも向上していない。だがそれは、これから上げていけばいいだけの話だ。
そもそも、新球の習得でこれまで手いっぱいだったのだから、これ以上のことをする時間などなかった。
成功したか失敗したかすら分からないのでは、フィードバックによる学習が進まなくなってしまう。それを克服したのが現状の最も大きな進化といえた。
(暁、次はボール球のストレートを外角に外して横に揺さぶる)
(了解、じゃあ速い方でいく)
では、なぜ怜が速度指定をしていないのか?それには2つの要因がある。
1つはそもそも、怜の速度認識がまだ曖昧だということ。暁は己の投げた時の感覚と実際の視認の2つの情報で正確に速度を認知できるが、怜はそうはいかない。
キャッチャーはバッターと近い位置にいる以上、得られる速度情報もそう変わらない。バッターが検知しにくい5~7km/hの速度差は、当然怜にも検知しにくい。
2つ目の要因は、怜の処理する情報量が膨大になったからだ。暁が速度を使い分けるということは、それを前提に配球を考えなければいけない。使い分けが確率でしかない以上、1球ごとに配球を考え直す必要がある。
さらに、使い分けるということは実質球種が倍になったのも同然、配球の組み合わせは一気に増大。
その上、キャッチャーが通常すべき、打者の傾向把握・配球理論の選定・打者や投手の状況に合わせた調整、などなども外せない。ついでに響の手ほどきを受けている心理読みもだ。
あまりにも、あまりにも負荷が大きい。
ゆえに、速度に関しては暁が管理をし、結果を怜にサインで適時知らせるという分業制になった。
二人のやり取りは増え、テンポが少し犠牲になったが、割と暁はこの作業を楽しんでいるので問題は起きていない。
(さっきのストレートは遅い方、か。横に揺さぶったから次は縦。ボールになってもいいから新球、行くぞ)
(試合形式では初めて投げるな。遅い方になるように)
二人で共同して作り上げていく感覚。夏までとは少し違うあり方に、暁は新鮮さを感じていた。
一方で相手打者はというと、「全てがストレートにしか見えない投手」「2種のフォームがあるらしい」という情報は得ていたものの、予想以上に区別がつかず困惑していた。
大学が普段戦わない高校のことなんてそんな深掘り分析するはずがない。SNSや動画で軽く調べ、監督が人づてに聞いた、という程度の情報精度。
これほどに意味不明に感じるなど、想定していない。
(たった2球じゃ判断できない。両方同じ速度に見えたのに1球目は変化した。今度はどうなるんだ?
なに、ど真ん中ストレートだと?こいつ、舐めてるのか!?高校生のくせに、許さん!)
真ん中に真っ直ぐ向かってくるボールを放ってきた1年生投手に憤慨し、それまでの困惑を沸騰した感情に変えて、フルスイング。そしてその瞬間。
(!?消えた!?)
視界から、白球が消える。あまりの上下の落差に目が追い付かない。『落ちる』のレベルの球とは驚愕の方向が違う。
いわば『落ちる』球へは「すごい!」、しかし『消える』球は「なんなんだ!?」となると言えばわかりやすいだろうか。
打者はフルスイングしたバットが音もなく相手の球をかっ飛ばしたのかと一瞬錯覚したが、もちろんそんなわけはない。
何もない空間をただスイングが通り過ぎただけ。
(っと。速い方になったか。2連続で思い通りに行かないとは。もう少し低め狙ったのにど真ん中へ行ったのも悪い。
やっぱりまだまだ不安定だ)
暁はそう自身を分析しているが、その不安定のまま翻弄している。
フォームの使い分けも新球の精度も足りない状態で、情報を集めていないとはいえこのレベルの相手に、スタイルを変えて間もない時期に通用する。
初見殺し性能がさらに高まっていた。
(早く完成させたい。させなきゃ)
だが当の暁は一切満足していない。
彼の中では理想を体現した後の自分が対戦相手を狂わせ、甲子園の舞台で勝利をつかむ姿を想定している。
それに比べれば、こんなものでは全然全く足りないのだ。
癒えない、あの傷が――先輩の夢を奪ったあの瞬間の感触が。
勝利に次ぐ勝利、癒すにはそれしかないのだ。そのために敵は全て潰す。
暗い暗い冷たい氷の目で、暁は叩き潰す相手を見ていた。




