第二十六話 『秋への変容』
8月2週目、高校野球の聖地では絶賛試合が行われている頃。
9月上旬から始まる秋県大会まで3週間ほどになったこの時期、星海学園は北海道にて夏季合宿を行っていた。
GW合宿よりもレベルが上、プロの下部チームや大学チームとの練習試合が組めるこの合宿での目的は、もちろん新チームの練度を上げ全国で通用するようにするためのものだった。
この合宿で現在、特に目立っているのは2人。
1人は言うまでもなく暁。
暁はこの合宿までに晶の手を借りまくり、緩急用の新球キックチェンジを、制球以外はかなりの精度で使いこなせるようになっていた。
キックチェンジ、正式名称はキックチェンジアップ。指でキックするように球を弾いて投げる、タイミングを外す球であることが名の由来とされるが、そんな薀蓄はどうでもいい。
大事なのは、これが暁の述べた条件を満たす球であることである。
ストレートとほぼ同じ軌道を途中まで描き、直進した後に打者の手前で急激に大きく沈む。
暁は今これをストレートに対して-12km/hという一般的な緩急性能でしか扱えないが、トンネリングの優秀さは非常に高く、何よりその落ちをストレート比-50cm前後という、暁にとっても最大の変化量を手にした。
さすがは最新の魔球の一つ、と野球界で語られる球。その性能は極めれば恐ろしい。
世間的なキックチェンジに対して、暁のそれは少々毛色が違う。
まず、一般的なものは-20km/h以上の大幅な緩急性能をもつのだが、暁は緩急性能の底上げは後回しにしていた。とりあえず他の完成度を高めてからという考え。
次に、変化方向。一般的なものは下に落ちるだけではなく、投手の利き腕方向に球が逃げていく軌道を描く。だが、暁はほぼ真下、横への変化はほとんど見られない。その代わり、落ちはプロでもトップクラス。
これは、元々暁が決め球として使用していたものが大きく急落させる球であり、その系統を得意としていた、というのが大きい。
あえて横への変化を増すのは捨て、ひたすら縦へ尖らせた結果、プロレベルの変化量を獲得するのに成功したのである。
まだ完成した、とは言えない。
だが実戦で猛威を振るえるレベルの魔球、いや暁の投球の軸となりうる球を会得した。
(ここ二週間、本当に苦労した……)
手ごたえを確かめている暁の目は思わず遠くなる。
とにかく投げては修正の繰り返し。これはという握りを見つけると、晶がその握りを0.1mm単位で再現するように要求。
この段階になると投げはせずに、振りかぶるところまでで握ることを繰り返させ、ほんの少しでもずれたら即座に修正してやり直し。
その次に今度は実際に投げてリリース段階で同じことを繰り返し。
握りとリリースが安定したら、今度はフォームを含めてのピッチトンネルの維持と変化の維持をこれまたmm単位で要求され続ける。
ついでに体を休ませている間はイメージトレーニングだと言われてトッププロのキックチェンジの画像を延々と見せられた。
(鬼か修羅に見えた。よく俺はノイローゼにならなかったな)
ひどい物言いではあるが、暁は晶に感謝をしっかりしている。
彼女がいなければ絶対にこんなに早く形にならなかった。
(その代わり、肝心のシステムの方はほぼ手付かずのままだけどな)
そう、ほとんどこの新球会得にリソースをすべて割いた。
システムに必要な根幹の方は気分転換程度にしか練習できてなかった。
(それでもどうにかできそうなのは、あいつがあらかじめ種まきしておいてくれたおかげだな)
この合宿で試すことができるのは、本当に晶に頭が上がらない。
もちろん試すのは、完成した時の効果ではない。『未完成のままどこまで戦えるか』である。
「俺の『微差緩急』が完成さえすれば」
そのシステムの名を、暁は口にした。
一方、暁とは全く別に目立っている人間がもう1人いた。
それこそが虎杖レオンである。
目立っているのはその風貌、だけではない。
スイングが一変していた。
夏まで使っていた155gの重いバットを捨て、極端に細く軽いバットへと持ち換えた。
その結果圧倒的なバットのヘッドスピードを得ると同時に、前まで重さでスイング軌道が歪んでいた欠点を解消。
さらに打撃専門の女子マネージャーの力を借りることで、スイングフォームを改良。
結果、打率が劇的に改善。
圧倒的なスイング速度で『芯を外していてもスタンドまで持っていく』という、暁の『今この時の微差』を部内で唯一無視できる存在となっていた。
この劇的な進化には、女子マネージャーの多大な貢献もあるが、同時にレオン自身が持つ異常な適応力のたまものである。
そうでなければ、こんな短期間で打率を2割程度から約3割5分などという、おおよそ1.5倍に引き上げられたりはしない。
しかも、打数に対するホームランの割合も下がるどころか向上。打てれば半分ホームランという異常性を保っていた。
夏までは暁や根付といった1年生の『異常個体』の陰に成績が隠れがちであったが、彼もまた異端の中の異端であったことを証明し続けている。
一般的な強豪上位校でも上位打線の一つの基準になる3割5分の打率に、ありえないホームラン率。
まさに生まれ変わり進化した、打撃の化け物である。
そしてこの2人とは全く別の、逆方向の理由で見られている者もいた。
それこそが藤代怜。
夏まで3割あった打率は2割を少し超えたところで留まり、正捕手の座から暁専用捕手へと立場が変わっていたのである
その姿を、多くの者たちはスランプかと心配の目で見ていた。
「すまなかったな田代、2週間ろくに相手ができないで」
晶がクールダウン中の田代に軽く頭を下げ、謝罪。
「いいさ。何かやってたんだろ?中身は知らないが、お前たちがそこまで根を詰めるってことはチームに必要なんだろう」
おおらかに受け止める田代、人間ができている。
「だが、ようやく手が空いた。これでお前のストレートに着手できる」
「ああ、あれか」
田代は夏の試合がすべて終わってから少しして、己のストレートが2種類に分岐していることを口頭で説明されていた。
「もう体は十分覚えたと判断した。これからは意識的に使い分けるためのスイッチを作成する段階に入る」
田代が頷くのを見て、具体的な練習法をこれからどうしていくかを晶は説明していく。
そしてふと浸るように。
「全く面白い偶然もあるものだ」
「ん?何の話だ」
なにやら呟いた晶に、田代は訊ねるが、晶は小さくかぶりを振る。
「いや、なんでもない。それより、お前の要望も聞かせろ」
「そうだな、俺はやはり制球をどうにかしたい。今は出力を上げるより安定性だ。
室井先輩の代わりを務める以上、長いイニングで乱れる可能性はできるだけ消したい」
「妥当だな、なら下半身強化を重点的に。
スタミナと制球を向上させながら、基礎をしっかり固める」
ストイックに、確実に田代は成長しようとしていた。
正統派剛腕投手として、チームの柱たらんと愚直に突き進む。




