第三話 『あの大谷の――』
入部5日目、土曜日。暁の在籍する星海学園の二軍は練習試合のために、朝から自校のグラウンド整備を軽くしていた。
暁が器具でグラウンドの土の表面を整えていると、同じく器具を持った男が話しかけてくる。
「よ、試合前に少しいいか?」
「ああ、いいけど。確か、藤代、だったっけ?」
暁の確認に、藤代怜は軽く頷いて。
「そうだ。苗字でも名前でも好きに呼んでくれ。
で、今日なんだが、1年生中心で回すことは聞いているだろ?それで5回までのキャッチャーを任されることになったんで、挨拶をって思ってな」
「こっちこそよろしく。初めての高校での試合だし、少し緊張するな」
「おやおや、期待のルーキー様でもそんなもんか?人間らしいところがあるんだな。
ところで本題だが、今日投げたくない球種や逆に調子のいいのはあるか?直前のウォーミングアップでも調子は確認するが、本人の要望も大事だからな」
暁は器具を握り直しながら少し考え。
「俺は日によってのブレは少なめなんだよな。というか、中学時代は『その日の中でブレてる』とか言われるほうが多くて」
「それは、フォーム混在のせいじゃないのか?」
「今にして思えばそうなんだろうけど、当時は俺含めて誰も気づいてなかったからな。
だからまあ、配球は基本的に任せる。どうしてもいやな時だけ首振るから」
怜は、(かなり割り切ったタイプのピッチャーだな。リードしがいがある。これで結果が出せないと俺の責任になるな)と微苦笑。
「了解。俺の好みでリードさせてもらうよ。お前の力、できるだけ引き出して見せる」
「おお、よろしく。あんま固くならず気楽にやろうぜ、気楽に」
暁はポケットからクッキーを2つ取り出し、1つを怜に渡してもう1つを自分でかじり始めた。
怜は試合中の糖分補給用に回そうとクッキーをポケットにしまい、片手を軽く上げて整備用の器具を持って暁の元から去るのだった。
対外練習試合の直前ミーティング。
監督代行を任されているコーチは集まった選手を見渡して話し出す。
「今日は午前と午後の合計2試合。新入生と上級生をそれぞれ半々で混ぜながら、それぞれの試合の前半と後半で入れ替えていく。
練習試合で何度か結果を出したものは一軍に上がることも十分ある。うちは実力至上主義だ、常に一つ一つのプレイの意味を考えながら自分なりにやってみせろ」
続いて、二軍のキャプテンも口を開く。
「相手も積極的に新入生を起用してくるはずだ。データがない以上、その場その場の柔軟な対応が肝になる。相手のデータを引き出しながら対応するのを意識しろ。
こっちも向こうも時期的に連携は甘い。どこが隙になるのか、どうすれば埋められるのか、しっかり課題とするように」
監督たちの後ろに並んだ二軍帯同の女子マネの内、真央がにこにこと微笑んで締める。
「みんな、怪我にだけは気を付けてね。私たちらしく、頑張りましょう」
試合開始直前、暁は怜とサインの最終確認を済ませてマウンド上に登る。
数回ボールの握りを確認していきながら、深呼吸して体の前でボールを持ち、静かに目を閉じる。
思考が冷たく、冷たく水底に沈んでいく。頭は冷たく、戦意だけが高まっていく。
この、高揚と妙な冷たさが入り混じり鋭敏化していく感覚が暁は好きだった。
審判の『プレイボール』の掛け声をどこか遠くに感じながら、暁は怜がキャッチャーミットの下で出しているサインを視認する。
(へえ、いきなりそう来るか。面白い奴だな、こいつ)
相手先頭打者は地面に2,3回バットの先端で地面を叩いてから体に引き付けて構える。
3年生の彼は、まだどこか華奢に見える暁を見据えながら不敵に笑った。
暁が振りかぶり、この試合最初の球が投げられようとする。
(ふん、二軍とはいえ俺はこれでも強豪の1番を任されているんだ。去年まで中学生だった坊主の投げる球なんか……
なっ!いきなり暴投か!?肩口に向かって、ふざけるな!怪我をさせる気か!?)
咄嗟に先頭打者は上半身を後ろに傾け、地面を蹴って、ボールを避けて後ろに倒れ込もうとした。
その瞬間、明らかに肩口に向かっていた球がギュイン、と大きく弧を描いてストライクゾーンの外側に構えられたミットに吸い込まれていく。
(……は?ちょっと待て、あれが、俺の体に当たろうとしていたボールが、ストライク、だって?)
信じられない、という目で地面に尻もちをついたまま、ミットにおさまっている白球を何度も見直す。
怜は暁にボールを投げ返しながら、驚愕に染まっている打者の顔色を冷静に分析していた。
(……さすがに衝撃だったみたいだな。無理もない、この球は『あの大谷翔平の切り札』だ。
一時期中高で流行ったとはいえ、オリジナルに匹敵するほどのこの大きな曲がりに慣れているようなやつなんていない。
今までは劣化コピー相手に「どうとでもできる球種」だとでも勘違いしていたんだろうな)
相手を冷静に戻す時間を与えず、怜はすぐさま次のボールを要求する。
打者から最も遠い、外角低めぎりぎりに真っ直ぐ、ストレートが投げ込まれる。
先頭打者は、直前の球の影響を引きずり、スイングが泳いで振り遅れ。
(そんな引けた腰で届くわけがないだろ。さあ、次はこっちだ、暁)
怜は容赦せず、傷口を広げるためにボールゾーンの内側高め、胸の近くにストレートを投げさせる。
先頭打者は、ピクリと反応したが、バットを途中で止めて静止。肩に担いで息を整えだす。
それに、怜は少し感心した目でちらりと先頭打者を見やる。
(逃げも、無闇に当てもしない、か。もっと崩れると思ったが高校の強豪レベルは高いな。だけど、これならどうだ?)
怜の要求に従って暁は体を捻じり、腕を巻き付けるようにして独楽のように回転、しなる腕から4球目を放った。
先頭打者は暁を強く睨みつけながら内心歯噛み。
(くそ、腕が体に隠れて見にくい、うざったい。だが、舐めるな!)
ストライクど真ん中、先の2球と同じ軌道でライフルのように空間を突き進むボールを正面から迎え打つ先頭打者のスイング。
バットが体の後ろから加速していくタイミングで、向かってきていた球は突如、真下にグンッと急落する。
既に加速したバットは止まらない。落ちていく球の遥か上の空間を、意味もなく通り過ぎる。
(……は?なんだこの落ち?ストレートじゃなかったのか?)
何の情報もなく、プロトップレベルの変化球2種に晒された先頭打者は無様に三振。
一方、怜はというと。
(とと、危ない危ない、取りこぼすところだった。
今のは、サイドで投げた球になったのか?事前にどっちのフォームになるか分からないから取りにくいな。もう少し俺も慣れが必要か)
感知しにくい暁の微差にキャッチャー自身も少し振り回されていた。
続く敵2番打者は、データのない新入生。
練習試合とはいえ、4月最初の試合にいきなり2番打者として起用されていることから期待されていることがよくわかる。
(いきなり上位打線に起用されるのは、星海のような環境でもない限り、強豪野球部では異例。おそらく打者版の田代クラスか、それに少し劣るくらいの能力と推定するのが妥当か。
2番打者はつなぐ役割だからホームランなどの長打力は少し低いのかもしれないが、伝統校の気質を考えれば単に新入生を中核の3~5番に置くのは早いという心理が動いただけの可能性もある。決めつけるのはリスクが大きい。
となると、『当てさせない』配球にすべきか)
怜は冷静に分析を続け、2番打者が構えたところで暁にサインを送る。
右打者の2番打者にとって、外角の中段より少し下、ボールゾーンからクククと内側に曲がってストライクゾーンに入る。
2番打者は、初球にピクリと反応するも、見逃し。
(よし、1番打者が粘れず球種を引き出せなかったから、初球は見に入るという読みは当たった。それなら次は)
続けて、2番打者の中段内角側のボールゾーンを目掛けて投げられた球が、打者の手前で外角側にククンと滑りつつ少し下に沈む。
内角下ストライクになるその球を、2番打者は当てに行くが、ファウルになった。
(暁は未完成な球種だと言っていたが、少し今回は沈みが浅かったか。
まあいい、逆方向の横変化をする球というだけで採用価値はある。完璧じゃないことと、使えないことは同義じゃない。ストライクカウントを増やせたなら十分)
3球目、暁が放った球がホップする感覚を伴って、内角を高めに外れる。
打者はこれに反応なし。淡々とバットを構え直す。
(この球を無視してくるか。かなり選球眼と度胸があるタイプだな。仕方ない、方針転換だ)
4球目、ストレートの軌道で外角下段に。2番打者がバットを振った瞬間、小さくクンと内角側にボールが切り込む。
バットの芯から根元に当たる場所がずれ、打球が二塁に向かって転がっていく。二塁はそれを危なげなく拾って一塁に投げ、アウト。
(ほぼすべての球種がストレートに見える優秀なトンネリングに、フォームによる微差。合わせれば理論上は打ち取りやすいとは分かっていたが、思った以上に効果的みたいだな、これは。
とはいえ、三振の方が確実性は高そうか。せっかくあれだけレベルの高い変化球持っているんだし)
投手の手を球が離れるリリースの瞬間から、打者のいるホームベースから7~9m付近までの距離。
この間の球の軌道がストレートと同じであれば打者からはバットを振り始めるまでストレートとそれ以外の見分けがつかず、結果反応が遅れる。
これが『ピッチトンネル』だの『トンネリング』だのと言われる理論である。
要するに、打者に手元で変化するその瞬間まで「ストレートだ」と信じ込ませる技術のことだ。
暁は中学時代からこの技術を取り入れていた。
この騙しのテクニックが、暁の独特のフォームと極めて相性が良かった。
知らず知らず、暁は己に最適の技術を身につけていたのである。
そしてマウンド上の暁は今も、ただ次の打者を仕留めることに集中していた。




