第二十二話 『50%の祝福』
「星海……あんな球を今まで秘匿してたのか」
横浜高校の監督は苦虫を嚙み潰したように呟くも、すぐに表情を整えて、自信ありげに。
「非常にレベルの高い球だが、何らかの弱点があるはずだ。制球が甘いとか、曲がりが安定しないとか。そうでなければこれまでに投げていただろう。多投はしてこないはずだ。
ただ、あの投手は短いイニングしか出てこない。今からデータにもない球を探るのは無謀。事前の打ち合わせ通り、他の球を狙っていけばいい」
選手たちに安心を与えるように。優勝候補は振る舞いも洗練されている。
選手たちの統一された返事を受けて、さらに横浜高校監督は続ける。
「あの投手の正体は割れている。今更新球種を引っ提げてこようが、それは変わらない。打ち崩してこい」
何度でも言おう、勘違いである。
目の前に新たに対応すべき事柄ができたせいで、事前の『思い込み』は無意識に『前提』の域に近づいていっていた。
暁は今までの試合に比べ、横浜高校を少し手強く感じていた。
暁の投球を『安定しない』と断じた者たちは、実際は2種類ある球速の中間を基準にしてきた。
だが、横浜高校の打者達は『速い方』と『遅い方』の2つを基準にしてどちらかに絞っている。
前者の相手はどちらの球速でも芯を外すことになりやすいが、後者は読みが当たればそれだけは打てる。
この回2本目のヒットが出る。
それに、暁は嫌そうな顔を一瞬浮かべ、再び集中の海に没入しなおす。
なにしろ暁はここまで1イニングにつき2本以上のヒットを受けるという経験が、ほぼない。
これがどれほど異常なことか。
(次を三振で仕留めよう)
一・二塁にいるランナーたちを見てから、きゅるっと白球を指で回転させ、打者に集中。
梅本のサインを確認する。
熊のように安心感を与える梅本の、堂々としたサインに即座に頷く。
初球、ストレートと全く同じ軌道で、ライフルのように高めに突き進んだ白球が、急落。
4番打者のバットの下を通り過ぎる。
使う武器が増えたことで、この本来の決め球を、追い込んだ時の三振用以外でも使いやすくなった。
こうやって、ストレートとして誤認させて空振りを誘う、今までの公式戦では見せなかった組み立て。
練習で梅本と話し合い、パターンとして使用すると打ち合わせた配球シークエンス。
続く2球目。
同じくストレートの軌道で始まり、マウンドからの距離が半分以上進んだところで白球がクククッと暁の利き手と反対側へ曲がり始める。
引き付けてスイングを我慢した4番打者は、これをスイング直後に視認してスイングを修正しようとして――しかし乱れた。
捨てると決めていた球、そのベンチから見た大きく曲がる軌道の残像が、目の前の同方向に曲がっていく球に重なってしまう。
違う球だ。
頭では分かる。
あれに比べれば曲がりが少ない。変化始めも遅い。
だが、体がわずかに残像に引きずられた。
(このまま打ち取られてたまるかっ)
ガキン。
それでも、意地がある。
彼は神奈川最強校の4番を張る男。
無理やりに打球をファールゾーンへ引っ張り、凡退を防ぐ。
2ストライク。
3球目。見せ球にして、しっかりとホップするストレートの軌道を打者の脳裏に刷り込む。
2ストライク1ボール。
最後、再びの落ち球。
ライフルのように空気を切り裂く、暁最強の空振り生産球。
4番打者にも来ることが分かっている、セオリー通りすぎる配球。
だが、分かっていてもなお届かない。
バットのスイングが、わずかにボールの上。
神奈川最強のバッターが、体をスイングの勢いで回しての三振。
2アウト。ランナーは動けず。
見事な三振劇に、会場の観客が沸いた。
日常ならば得意そうにする暁も、戦闘モードに入っていて、すっとミットを耳の近くにかざして歓声を遮るように、あるいはノイズを排除するように振舞う。
(いいぞ暁、お前の球は通用する。恐れず投げてこい)
梅本がミットを叩き、暁の集中を自分に引き戻す。
鷹揚に頷き、信頼を投手に伝える。
続く5番打者も、隠し球を交えて見事に三振に取ってみせた。
横浜高校のクリーンナップを相手取り、見事に翻弄。
普段はあまり使わない球種を用いた、幅のあるピッチング。
横浜高校打線と勝負できる1年生がいると、SNSで急速に広がり始めた。
『1年生No.1候補を見つけた』と、そんなセンセーショナルな文言すらイニングが進むにつれて飛び交っていく。
2イニング目、3イニング目を1安打のみで押さえ、凡打3、三振3で抑えきった頃には、もう会場は熱狂どころか、息をひそめ唾をのむものまで出だした。
ふーっと、細い息を吐きながらベンチに戻った暁はクッキーを取り出し、2枚重ねて口に運ぶ。
熱気ではがれた汗を、ドリンクで補い、塩タブレットを舌に乗せてころころと転がした後にかじる。
そうしていると、監督がすぐ傍に立って、顔色を覗いてくるので、暁は軽く首を傾げた。
「暁、もう1イニングいけるか?すまんが相手クリーンナップにストレスを与えたい。だが無理はするな。球数が多くなったらすぐ休ませる」。
「あ、はい。いいですけど。監督は心配性だなあ」
「お前が万が一壊れたら俺の進退は終わるわ。
こっちもまだ点を取れてないからな。根付が球数で削ってくれているから今のピッチャーはもうすぐ降ろせると思うが。
いや、準決勝以降をみて引っ張ることもあり得るな。そうなったら、球威の落ちたところを打ち込みやすくなる。その方が楽だな」
夏県大会の過密日程では投手のローテーションが非常に大事。
次戦以降に楽になるように回したいと色気が出れば、そこが付け入る隙になる。
そしてそれは、横浜高校のように必勝を課せられている場合、強く働く。
「とにかく頼んだぞ暁。俺もここまでやれるとは思っていなかった。お前を見込んで起用した甲斐がある」
そうしてやたらと褒めた後。
「この三振率、強豪相手に抑えでも問題ないだろうなあ」
独り言をつぶやいて去っていく監督に対し、暁は。
(よし、期待されちゃったし、頑張ろう!)
素直に気合いを入れ、本日3枚目のクッキーを頬張った。
4イニング目、この回の先頭は再びの4番打者。
プライドにかけて今度こそ捉えると、目を野獣のようにぎらつかせ、わずかにたわむように重心を落とす。
(このキャッチャーのリードは基本に忠実だ。奇をてらったことをほとんどしてこない。それなら次に来るのは、ストレート!そしてこのパターンは、速い方を投げてくる!)
その配球読みが、当たる。
高めストレート。ホップする錯覚を伴って飛び込んでくるその球を、全身のタメを活かして迎え撃つ。
そして50%が、この時神奈川最強打者を祝福した。
キイィィン。
高く、長く響く快音、スタンドに白球が滑り込む。
横浜高校4番打者は片手をあげ、ぐるぐるとベースを回ってくる。
単独ホームラン。暁、夏の公式試合で初めての失点。
やっちゃった、というばつの悪そうな顔をしていた暁のことをホームベースに戻ってきた最強打者は、ふんっ、とまるで見下ろすかのように見てきて。
いや、それはもしかしたら暁の被害妄想だったのかもしれない。だが、少なくともそう感じた暁は。
(いいさ、続くやつら、全員三振で終わらせる)
半ばむきになった暁は、梅本のリードに首を振り、隠し球と決め球を多投。
35㎝を超える変化量という分かりやすい暴力で、蹂躙していく。
梅本はその反骨心を受け入れ、暁が気分良くなるように合間にそれ以外の球を配置。
いきなり隠し球で意表を突き、ストライクを整え、落ち球で外角を落として物理的に手が届かないように。
三振。
ボール球を多めにしつつストライクカウントを丁寧に進めて、決め球でストライクゾーンを縦に割る。
三振。
決め球を2連続で投げ、それぞれのフォームが異なったために球速と変化のキレの差に対応できず追い込まれ、見せ球を2つ挟んでの、大きく弧を描いて横に掃く白球を内角に。
三振。
1点を失ったものの、出力全開で3連続に切って捨てた。
ぐっ、と暁は左手を握って。
ぴりっ、と一瞬、軽い痺れのような熱が。
走ったような、走らなかったような。
(ん?まあいいや。気のせいだろ。
さすがにちょっと疲れたから、ベンチに戻ったら4枚目食べちゃお)
ちゃんと内心の宣言の通りに三者三振にとって満足げに、暁はベンチに戻る。
(やっぱピッチャーは決め球で決めてなんぼだよな)
役割をしっかり果たし、暁は帰還する。
もう点数を取られたことは都合よく忘れていた。
ベンチに戻った暁は、監督にバシバシと右肩を叩かれる。
こんな時も利き腕の方は叩かないのはさすが野球部の監督。
「よく最少失点で切り抜けてくれた。これで相手の脳にはしっかりストレスが刻まれたはずだ。しっかりクールダウンして休め。
室井、次の回から頼むぞ。フルスロットルでいい。
相手も徐々に球威が落ちている。確実に当てて点を取っていけ。ああ、虎杖はいつも通りホームラン狙いでいいからな」
檄を飛ばしている監督から離れ、ポイっとクッキーを口に入れて暁は長く息を吐く。
さすがに疲労がのしかかってくる。
だがそれが、気持ちいい。
「暁、平気か?」
ドリンクを渡してくる怜に暁はにっこり笑って。
「大丈夫だって。知ってるか?俺って期待されてるんだってさ」
そんな当たり前で、チームメイトの誰もが知っていることをいまさら、「新大陸を発見しました」みたいな感じで言われても、と怜は苦笑するしかなかった。




