第十九話 『壊れる計画』
田代が茅ヶ崎高校の打線を順調に押しているのを眺めながら、暁はふと疑問を口にする。
「なあ、田代ってさ、今7回まで持つのかな?」
「それどゆこと、暁っち?」
不穏そうな内容に、すぐさま響が少し心配そうに眉をひそめて飛びつく。
「田代のあれって、つまりは出力アップだろ?出力が上がれば消耗も激しくなるのが普通。
常にじゃないにせよ要所要所でギアを上げてたら、GW合宿の時よりも体力が持たなくならないのかな、って」
確かに理屈は通っている、と響は暁と視線を合わせて、同時に知っているであろう監督へと目を移す。
「ああ、それなら心配はいらん」
しかし監督は軽く、何でもないと言わんばかりに軽く手を振って。
「増えた消耗と同時に、下半身の強化によるスタミナの向上で、実質プラスマイナスゼロだ。海咲のデータと照らし合わせて検証したから間違いない。
7回まではまず持つと考えていい。あいつは大丈夫だ」
ホッとする2人。
一方で怜はそんなことは最初から分かっていたのか、梅本の挙動を真剣に見つめて盗めるものがないか集中している。
「そっかー。ならよかった。それにしても田代のやつ、ちょっとこの回は当てられすぎじゃないか?差し込んでるから点には結びついてないけど。
俺なら、もっと三振に取るのに」
「お前は三振好きだな。俺からすれば、点にさえならなきゃ凡打も三振も変わらんとしか思えないが」
「それは監督が投げないからですって。ピッチャーは三振が一番気持ちいいんですから」
「そんなもんかあ?」
1年選手と監督が対等に、何の気も置かずに試合中だろうが会話できる。
それが星海の緩さでもあり、よさでもある。
田代の躍進は彼らが見守る中も続く。
ただ一人で投げ抜き、1-9で7回コールドゲーム。
不運が重なって1点を奪われたものの、相手を抑え続けての勝利。
なによりも、他の投手を温存させるという最大目標を見事に果たした。
これにより、監督の田代への信頼値は大きく上がることになる。
強豪同士が対戦し始めるのはこの次、4回戦から。
そして同時に、吹奏楽部や学校の人間が応援に駆け付けだすタイミングでもある。
一気に会場が埋まり始め、華やかさもプレッシャーも上がる。
それがどんなものなのか、1年坊たちはまだ実感できていなかった。
「暁、お前ベンチ入りしてるんなら言えよ!」
星海学園の教室で、お弁当を開けて食べていたら急にそんな発言が、普段話もしないクラスメイトから飛び出した。
「んあ?あにが?」
もぐもぐと口に詰め込む手と口の動きは止めないまま、暁は胡乱な目つきでそのクラスメイトを眺める。
「昨日、流れて来たんだって。ほらここに映ってるの、暁だろ?SNSにも、2回戦で投げたって」
暁は鶏のから揚げをかじりながら「うまー」などと小さく呟いたうえで。
「それがどうしたのさ。隣のクラスの田代なんて、2回戦だけじゃなく3回戦だって投げてたぞ、先発で」
さらに言うならば、この教室の隅で目立たぬよう机に突っ伏している根付はレギュラーの1番打者である。
「え、なになに?暁くんが何投げてるって?」
発端のクラスメイトだけではなく、これまたよく話したこともない女子が集まってくる。
「だからこれがさ。うちの高校の大会で暁がピッチャーしてるんだって」
「え、なに、甲子園ってやつ?」
「やだ、甲子園ってもっと後じゃなかった?」
あまり知らないらしい女子たちに暁はさらっと。
「その前段階だよ。甲子園は全国大会で、今やってるのは地区大会。だから大したことないって」
大したことないわけがない。
神奈川地区の野球と言えば全国屈指の激戦区、ここでベスト4にまで行けるなら他地区では甲子園に行ける力がある、とさえ言われるレベル帯である。
まあ、そんなことは言っても伝わらないだろうから言わないのであろうが。
いや本当に思っているのか、暁の場合はいまいち判断がつかない。さすがに思っていないと信じたい。
「え、でも1年生で大会出るってすごいよね。うちのお兄ちゃん、バスケやってたけど3年になってもレギュラーなれなくて」
「おいおい暁、次投げるとき事前に教えろよ。応援行くからさ」
教えられるわけがない。それは情報漏洩だ。さしものあの監督でも、かんかんになるだろう。
「そんなの教えたら俺が怒られちゃうよ。でも、応援してくれるのは嬉しいな。
あ、そうだ、あいつのことも――」
根付のことも応援してもらおうと思って指さそうとすると、いつのまにか彼は自分の席から忽然と消えていた。
しかも、Discordにメッセージが一件。
『俺のことは言うな』
善意が完全に空ぶった暁は、どうにか自分の言葉を誤魔化そうとして。
「あいつ――あい――そう、アイスが好きだから、今度差し入れしてくれると嬉しい。溶けても困らない、チューブのやつ」
さらっと、自分の得になるように軌道修正するしたたかさが、どうでもいいマウンド外で発揮された瞬間である。
4回戦当日、試合前ミーティングで監督が重々しく切り出した。
「これは海原がスカウティングで得た情報だが、昨日相手のエースが利き腕をねん挫したらしい。軽いものらしいが、数日は安静。今日投げてくることはありえない」
「ありゃ~。みんなも気を付けよーね」
「話を終わらせようとするな、天川。本題はここからだ。
相手の2番手投手は3回戦で5イニング79球、3番手は2回戦で6イニング91球投げているそうだ。つまり、それなりに疲労が残っているかもしれん。
そこで――根付、今日はこの2人を潰すまで出塁を完全に捨てて、限界までファウルで削ってくれ」
「了解しました」
中々にえぐい作戦だが、根付にとっては本懐を果たせるようなものだろう。断る選択などするわけもない。
「こちらの投手陣は予定通り『黄金リレー』でいく。暁に2イニング、その後に室井を投入する。
根付以外は積極的に打ちに行っていい。相手の得意球のデータはこれだ、目を通しておくように。
それじゃ、解散」
さくっとミーティングを終わらせて、監督は部屋を出ようとして、ふと思い出したように入口で立ち止まり。
「ああ、いいニュースを伝えるのを忘れていた。天気予報では――例年より早く、今日から梅雨明けだ」
(それ、別に試合日に絶対に雨が降らないって意味じゃないんだけどねー)などと響は思うも、格好つけている監督に水を差すのもなんなので黙っていた。
白球を握る手に、力が入る。
どこに投げ入れればいいのか、どの球種を使えばいいのか、引き出しが急速に枯れていく錯覚。
(なんなんだ、このうざい奴は!?)
すでに13球、最初の打者に対してそれだけの数を投げている。
コントロールがわずかに狂い、ボール球になったものも数球あった。なのに、塁にも出ていない。
地味な顔、そこにこちらを打ってやろうという気概も感じ取れず、ただ延々と粘り続けてくる。
(何がしたいんだ!?嫌がらせか!?)
その通り、根付は嫌がらせがしたいのだ。
この試合、監督から出塁を消していいと言われた。それはつまり、普段いつ四球を選ぶか考えるのに使っているリソースをすべてただ長引かせることに注いでいいということ。
相手スタンドから早くもブーイングが大きく響く。
こちら側のスタンドからすら、なんとはなしに飽きたような空気が流れる。
だがそれを根付はどこ吹く風と、むしろ心地よさげに受け止めて構えを崩さない。
(今日は、自己ベストを更新できそうだな)
根付にとって、打席に立つということは投手と戦うことではない。
自分の限界に挑戦し、相手を苛立たせ、削られていく姿に愉悦する、そういう類のものだ。
快音は響かない、何度も何度も、鈍い音が連続する。
そしてついに。
物理的に絶対に届かない外角を大外れした球が投じられ、根付の記録は17球で止まった。
根付はバットを軽く放り、からんと音を立てるそれを見ることなく、冷たい目で鎌倉学園の2番手投手をじっとりと見つめる。
(ああ、お前は逃げたんだな。もう終わってくれと、これよりも長引くなら塁に出られたほうがましだと。
確かにその選択もありだ。だが、そんな弱気になった心で俺の後ろを抑えられるのか?)
冷淡に、不満を見せることもなく根付は一塁にゆっくり向かう。
それが投手には不気味で不快で、そちらに注意を引かれてしまっている自分に気付かないまま、散逸な心で星海の2番に甘く入るカウントを取る球を投げてしまった。
キイン、と初球から振ったバットが奏でる鋭い音。一塁と二塁の間を低く抜ける。
(しまっ、くそ、あいつのせいだ!)
いまだ根付の影にとらわれている。
そのままずるずる行くのか、と思われた時、鎌倉学園のキャッチャーがタイムを取ってマウンドに駆け寄ってくる。
「おい落ち着け。最初のやつがむかつくのは分かるが、焦ったら相手の思うつぼだ。
後続を抑えてやるのが一番あいつを悔しがらせることができる。分かるな?」
「……ああ、そうだな。すまん、切り替える。
お前の言うとおりだ。一人一人対処していこう」
さすが強豪に名を連ねる高校でベンチに入ってはいない。
気持ちをリセットして打者に集中を始める。
だがすでに、鎌倉学園の投手運用計画には、ひびが入り始めていた。
続く3番打者、星海で最も高い打率を誇り、全ての点で全国トップクラスと言われる男が待ち構えている。
普通に、そう、ごく普通に痛打。
厳しい球を捨て、懐に呼び込んだ球をライト方向に流れるように打つ。外野の頭を超え、1点を奪う。
ノーアウト。そう、ノーアウト二・三塁。
そしてこの時点で、球数が22球。
そして現れるのは異形の巨漢、虎杖レオン。
2m10㎝の体躯にドレッドヘアと浅黒い小麦肌、カリブの血を引くハーフはただバッターボックスに入るだけで威圧感を与える。
「おう、よろしくな」
朗らかに挨拶する彼の道は二つ、扇風機か大砲か。
割合でいえば扇風機だが。
巨体には内角低めと、差し込むために投じた渾身の一球。
これはという、確信を持てる球。
ギイイン!
音は鈍い。明らかに芯を外した音。
確かに芯を外させる、いい投球をした。そのはずだった。
なのに、叩きつけるような打球は、そのままフェンスにめり込む勢いでぶつかる。
なにかが決定的に崩れる音がした。
ベンチが動く音、交代を告げる声、それらがどこか遠くに感じられて仕方がなかった。




