第十八話 『恩義』
3回戦、対戦相手は茅ヶ崎高校。
公立校であり、積極的な全員野球を好む高校ではあるが、その実力は下位寄りの中堅。時折勝ち上がってくることもあるが、強豪に対しては力負けする試合展開が近年は多い。
そしてここ相手に、田代が先発として登用された。
GW合宿時には先発としては安定感を欠くと監督に評された田代。
しかしそれから2ヶ月の時を経て、いまだ甘さは残るものの、実戦投入には問題ないほどにその能力を高めていた。
それでも残る不安はバックアップによって対処し、主力温存のための要になってもらう。
ある意味では前座扱いであり、腐る人間もいるのかもしれないが、田代に関してはそんな心配はなかった。
「田代~、頑張れよ~」
マウンドに上がらなければ子供っぽい暁がベンチから応援してくるのに対し、田代はふっと笑う。
「この試合はお前の出番がないようにしてやる。4回戦から出ずっぱりだからな、お前は」
「そうなんだよ。途中で休憩挟むといっても監督も1年を使い倒すよな」
あるいは監督批判ともとられかねないようなセリフを吐く暁。
だがこんなものもあっさりスルーされるのが星海というチームの特色である。
「それだけ期待されてるってことだろ。俺はお前が羨ましいよ。すぐに同じ立場になってやるから待ってろ」
「うん?ああ、そうか?」
(同じ1年だし、ベンチ入りしてるし、そんな違いあるか?)などと、かなり本気で思っている暁だが、田代はそんな様子に苛立ったりはしない。
暁という男は天然でずれているところがあるが、他人を下に見ることはほとんどないと思っているからだ。
それでいて投球は異端にして圧倒的、超えるべき壁であると同時に友であり同じチームの仲間でもある。
複雑な感情はあるが、それを不快だとは思ったことはない。
結局のところ、田代にできるのは一段一段上っていくことだけだ。
だからそのチャンスを与えてくれたこの采配にも、田代は感謝している。
暁は田代を見送ると、自分と並んで座っている怜に話を振る。
「怜には今日は出番ないんだっけ?」
「今日、というかよっぽどのことがなければ以降はずっと、だな。
大会特有の経験値は俺にはほとんどない。理論で済む部分はいいがそれ以外への対抗は、今の俺では知識も心構えも足りない。
今大会では先輩方からできる限りを勉強させてもらうさ」
謙虚なようでいて、その実貪欲。
ベンチという最も現場に近い場所から情報を食らい、己がものにして秋以降に備える。
羽化を待つ蛹のように、野心を隠して怜は淡々と答える。
「そっか。なんか雲行き怪しいけど、あいつ大丈夫かな」
「問題ないだろ。田代は雨には強い。相手がそれより弱体化するなら、有利にすらなる。
エラーが増えやすくなるのだけは気になるが、それもお互い様だ」
曇天の空を見上げて心配する暁の右肩をポンポンと怜が叩くと、暁はにこやかに。
「おー。怜、まるでお母さんだ」
「おいおいやめてくれ。そういうのは天川先輩にでも」
軽口をたたいていると、話に出た本人がひょこっとスコアブックから顔を上げる。
「え、なに暁っち、お姉さんに甘えたいの?いや、流れ的におかーさんかな?うりうり」
「うににに、やめてくらひゃぁい」
ほっぺを人差指でぐりぐりと錐もみ回転させてくる響に、情けない声を出す暁。
だが緊張感のないのも、号令がかかるまで。
すっと響は立ち上がって、バッターボックスの近くの打者に視線を注ぐ。
「軸足を引いて半身で田代っちを見てる――警戒心強め。
バッターボックスの足元を注視してる――慎重派の可能性。
肩と視線の動きの落ち着き――不安からではないと思われる。
総評、少し見てくる先頭打者の可能性高し。あんまり揺さぶりは効果ない選手かも。でもこれはまだ不確定なので確かめてからかな」
『響ちゃんレポート』と本人が称する、非凡な観察力による心理読み。
彼女が不動のベンチマネージャーである理由。
「なあ怜、お前あれできるようになった?」
怜が響に師事していることを知っている暁は、ちらりと響に視線をやりながら訊ねる。
「2ヶ月でできるわけないだろ。事前に天川先輩に個々の選手の見るべきポイントを聞いて、その上で精度は先輩よりずっと低い」
「だよなあ」
実はこの学校内でもトップクラスにおかしいのは、響の方なのではないか、などと自分を棚に上げて暁は思うのであった。
ぽつぽつと、小さな雫がまばらに会場に降りだした。
濃い鼠色の空から、風にあおられて雫が飛ぶ。
天気予報では、大降りにはならないということだったが。
梅本はキャッチャー用のヘルメットを着けながら、丁寧にロジンの粉を利き手にまぶしている田代を見る。
(この程度の雨なら田代にはほとんど影響はないだろう。もっと雨脚が強くなればバッファを大きくとればいい。
それより問題は、風の強さだな。レフト方向に飛ばされて風に乗られると困る。少し配球をいじろう)
この会場は、海風の影響を受けやすい。
そのことをこれまでの高校生活で知る梅本は、打たせるならライトにしようと判断。守備位置も調整するようにチームメイトに指示を出す。
海風は基本的に時間帯により一方向に吹きがちだが、時たま方向を変えることもある。
風の変化には気を遣おうと頭の棚に入れた。
(田代、お前の成長は俺もよく知っている。
風も打者も、一緒にお前のストレートで薙ぎ払ってしまえ。今日も球は走ってるぞ、自信を持っていけ)
投球練習の球を、バシンッと大きな音をわざと立てて受ける。
この音が、投手を乗せるのだと梅本はよく知っていた。
『プレイボール』の呼び声がかかる。
梅本はどすりと、改めて安定感を思わせるように足を開いて座り直す。
(ここだ、ここに投げてこい)
内角真ん中あたり、初球からフルスロットルの直球がビシリと決まる。
それを見て、ベンチの怜はわずかに首を傾げた。
「珍しいな。あの人が最初から内角ぎりぎりを要求するなんて。高さは、らしいって感じだけど」
それに対して監督が解説をしだす。
「風だよ。梅本は外角の球を減らしたいんだ」
それに対して、暁と怜はすぐさま理解を示す。
「つまり外角はボール球中心になるから、先に内に縛り付けてから上下に揺らそうってことですか?」
「となると、今日の配球は内角と低め中心にしつつ、ボール球を振らせる構成ですか。悪くはないですが、田代が荒れたらリスクも高くなりますね」
そしてそれに対して、響は『なんか難しいこと言ってるなあ』という目で見ている。
響は最低限の野球知識はあるし、心理読みはプロ級だが、そこからどう攻略するかは専門ではないため特に学ぼうともしてこなかった。
響にとっては詳しくない自分のバイアスがかかるのはよくないと思っており、分業でいいと考えていたのだ。
ゆえに、少し高度になると野球の話についていけなくなる。
「ん?あのバッター、今少しビビったかも」
しかし専門においては、響は他者を圧倒する。
響の洞察したとおり、田代の初球を見た茅ヶ崎高校の先頭打者は、冷や汗を一筋流していた。
(数値より速く見える。140台後半のはずだろ。それに、動画で見たのと印象の違う真っ直ぐ飛んでくる軌道。まさか、ストレートが2種類あるのか?)
その打者の洞察は、正解だった。
田代のストレートは入学時、ホップはしないが垂れもしない、真っ直ぐ軌道のストレートのみだった。だがその後、数ヶ月の晶によるフォーム修正により、重さが加わる。
そして梅雨時期に怜が精神的封印を解いたことによって、火の出るような浮き上がるストレートを新たに習得した。
田代本人はギアを上げて全力投球をしているだけのつもり。
だが、実質は2種だ。
通常の重く押し込むストレートと、球速の微増した空振りを増やせる浮き上がるストレート。
制球が少し甘かろうと、通用してしまうようになった所以。
確実にこの数週間で田代は成長していた。
田代に自覚はない。女子マネージャーたちが秘匿したからだ。
もちろん、悪意からの秘匿ではない。
これはまだ、脳内のリミッターが一時的に外れたことで起こっているだけの現象。体が覚えていない。
この時点で認識してしまえば、真面目な田代は再現性を求めて練習しだすだろう。
だがそれは、逆に遠回りになるのだ。
先に体に覚えさせ、脳のスイッチが強固になった段階で初めて制御段階に移る、それが最短ルートだと専門家たちは判断した。
知るのは会議した女子マネと監督、そしてキャッチャーの梅本と怜だけ。
(いいぞ、田代。今のお前のストレートは、室井にもない武器だ。育てばお前は、室井を超えるかもしれない)
バシィッと、大音を立てて再びミットが白球を包み込む。
打者の腰は、引けはじめていた。
(まずい、初回なのに圧されては……しかも1年なんかに。
ずるいだろ、なんで星海に……新興校に、お前らみたいな規格外がまとまって入学するんだ。
俺たちのところに来てくれれば)
彼は知らない。田代が星海を選んだのは『恩義』である。
中学時代まだ体が小さくあまり活躍できず、しかし大会後に急速に体が育ってスペックが上がった。
しかし実績がないがゆえに強豪校からの声はかからなかった。
そんな時、田代の素質を練習場所の公開データを漁ってまで見つけ、最初に声をかけてくれたのが星海学園のスカウトだ。
しかもA特待という高評価までつけて。
その時、田代は決めたのだ。この恩は高校3年間で必ず返すと。そして田代は星海に入学した。
だから茅ヶ崎高校の打者の思いは、不当なひがみである。
田代が欲しければ、真っ先に声をかければよかった。そうすれば、田代ならば応えてくれたのだから。
バシィッ!
三球連続ストレート。先頭打者の未練を断ち切るように、火の出るようなストレートが内角の高めに決まった。
肩を落として、ベンチに帰っていく打者。
田代はその後姿を少し見送ってから、改めて次の打者に向けて気持ちを引き締めた。




