第十四話 『リードと封印』
GW合宿から1ヶ月の時が経ち、6月になろうとしていた。
春季県大会の結果は、準優勝。
既に夏の第1シードを取っていたため監督は勝つことの比率を下げ、準決勝は『室井なしの総力戦でどこまでやれるか』を試した結果、5点を取られたが、なんとそれ以上にレオンをはじめとする星海打線が大爆発。ぎりぎりの勝利で決勝に上がることになる。
これにより、監督は『やはり強豪の上位以上には室井なしは厳しい』そして室井なしでは『打線のその日の爆発具合頼み』になることを確信、『現実的にこのクラスの相手に勝つには『黄金リレー』しかない』と再確認することになった。
なお、春季県大会の決勝及び、その決勝に出場したことで自動的に出ることが決まる春の関東大会においては、もう勝っても実利はほとんどなく名誉が占める割合が大きいため、完全に育成に振った結果あっさり負けることになった。
そしてこの敗退具合で、星海学園の春季県大会での躍進は世間的には『やはり運』であるという見方が大きくなった。
直接対戦する神奈川地区の高校さえ、『当然実力はあるが、あそこまでの成績を残したのはかなり運が絡んだ』という認識で終わっている。
これは情報戦を好む星海の監督からすれば、油断してくれて優先的に注目されないで済みそうなのが、嬉しいものであった。
そうして春の大会が終わり、少し時間をおいて5月の下旬に始まったのが学生の敵、中間テストである。
星海はかなり進学校寄りの高校。テストの難度も高めになっている。
1年生の成績でいえば、怜は入試主席だけあって全科目余裕。田代は真面目ゆえ毎日勉強するため如才なく高得点をマーク。根付は高得点というわけではないが平均点はしっかりとっているという具合。
さて、ところで暁はといえば。
「ふー、どうにかなった」
理系科目は高得点、英語と社会はどうにか平均点ぎりぎり、そして国語が少し間違えれば赤点になってもおかしくないという低飛行だった。
「まあ暁くん、私よりも国語が悪いなんて」
同様に、国語が平均点よりも下の紫苑。ついでにいえば、紫苑は社会も成績は微妙である。一方で、数学や理科の科目に関しては怜と1位2位を紫苑は争っていた。
この2人、国語の失点の仕方も似ている。
小説と、古文が死んでいるのだ。
他人の気持ちへの理解がずれている暁、気持ち自体は理解できてもそれを軽視したり深読みしたりで回答から逸れがちな紫苑、この2人は国語があまり得意ではなかった。
論理思考で解ける評論はあまり外さないのだが。
「暁、お前赤点取ったらペナルティって分かっているのか?」
「だって、どうにかなるって思って」
晶に叱られ、縮こまる暁。
星海では、赤点なら大量の課題が課される。部活参加停止は行われないが、その代わり『もっと勉強しろ』と直接的に対応されるのである。
「でもほら、実際今回どうにかなったし」
結果論を振り回す暁に、晶は頭痛がするようでこめかみを親指と人差し指で押さえている。
「ちなみに、選手・女子マネ含めて暁くんほど危なかった人はいなかったそうですよ」
味方側だと思っていた紫苑が急遽手のひらを返して叩き落してくるのに、暁は目を丸くした。
紫苑は『自分は平均点を切ったとはいえまだ赤点には余裕がある、暁くんとは違うのですよ』と言わんばかりに嗜虐的に目を輝かせてじゃれている。
「だ、大丈夫。次は何とかするし」
まさか自分だけだったとは、と急に怯えだす。課題も嫌だが、『部内で一番勉強ができない子』扱いはもっと嫌だった模様。
実際のところ、暁は国語が突出して悪いだけで、総合点でいえば部内で中位程度に配置するのだが、情報を偏って与えられたことで危機感が生まれたらしい。
入学して2ヶ月が過ぎ、女子マネ達も暁の操縦の仕方を覚えだしているようにみえる。
「勉強なら藤代に教わればいいだろう」
晶は、1年の中で最も成績のいい人物の名を出す。
ただ頭がいいだけではなく、言語化も上手い。教えを乞うにはこの上ない相手だと。
「でも怜は一軍に上がるのが決まったばかりだし、忙しいんじゃないか」
そう、怜は6月から控え捕手として一軍に合流することが決まっていた。
それゆえ環境が変わることが確定しており、今は野球に集中させてやりたいと暁は考えている。
「なら、私が――」
「やっぱり真央先輩か、梅本先輩に教わろうかな」
なにやら言おうとした晶の言葉を意図せず暁は遮り、自己解決してしまう。
「……ああ、それでいいんじゃないか」
むすっとして話を終わらせる晶の様子を、紫苑はくすくすと含み笑いをしながら見つめていた。
6月に入り、1ヶ月と少しもすれば始まる夏の県大会に向けて、練習試合の数は週に2日ほどへと増えていた。
中でも、何らかの事情でベストメンバーを使えない場合を想定した実戦練習は必須だった。
ゆえに、控え投手になった怜と、投手陣の相性の確認や調整は急務である。
(室井先輩の最大の武器はストレート。だがそれは相手チームも当然分かっている。
ならばあえてストレートを撒き餌に変化球でかく乱し、時には空振りもとる。いくらストレートが強くとも分かっていればその効果は半減してしまう)
室井に対しては、単一の武器に頼るのではなく投球に幅を持たせながら配球していく。
制球が一定以上あるからこそ、厳しいコースを指定することで変化球も打たれにくくする。
そして、最大の武器はここぞという瞬間や意表を突く形で投げさせることで、その力を最大化させる。
(このバッターは内角低めの後に外角高めへの対応が少し遅れやすく見逃しやすい。
なら、内へストレートを投げ込んだ後、高めを外角へ少し逃げる球を要求する。
少し足位置を変えた、気圧されているのか?
問題ない、このプランを実行だ)
怜は女子マネージャーたちの専門を急速に吸収しつつあり、その精度は本家本元にはいまだ及ばないが、組み合わせて自分なりのリードに落とし込み始めていた。
中でも観察眼と洞察による心理読みは独力では安定しないものの、試合前に響とともに相手チームの過去の試合動画を見ながら解説を受けることで、注目ポイントのインストールを済ませるという対策を行っている。
(よし、このバッターは打ち取った。
次は7番打者。室井先輩はそろそろストレートで仕留めたがっているころか?
それなら、霧島の配球パターンEを使用するか。球数少なく、下位打者をストレートで空振りにとって先輩を調子に乗せる)
怜は己の頭脳をもってして、様々な人間から得たキャッチャーに必要な要素を組み上げていっていた。
怜は中学時代、弱小校に在籍しており相方のピッチャーに恵まれなかった。
早々に学校は敗退し、技術はあれども高校のスカウトには評価されなかった。
唯一特待をつけてくれた星海ですら、その枠は特待生としては最も評価されていないC特待。
だがそれは、正当であったとも怜自身は納得している。
入学時点で特異性や資質を見込まれていた人間たちとは違う。
怜自身は、普通に優秀なだけだったのだ。少なくとも入学時は。
そして今、星海の専門家によって魔改造をされている途中。
(よし、この回は終わりだ。室井先輩の出番は残り半イニング、その後井上先輩を経由して田代につなぐ)
今回の試合は、『暁と梅本が使えない試合』という想定。
ベンチの方で暁が元気そうに黄色いメガホンを振っている。
試合が進み、室井が井上と交代したタイミングで、クールダウンしている室井に梅本が話しかけた。
「どうだ室井、藤代のリードは?」
「お前よりも攻撃的に感じるな。俺はお前のリードに慣れているからお前の方がやりやすいが、人によっては藤代の方が好みだと感じるかもしれん。
だがまだキャッチャーの総合力としては粗さや不自然さが残っている。身体能力差もあるし、夏までではお前は越えられないかもな」
仮にそれらの要素が並んだとしても、経験値に大きな差があるためレギュラーの奪取は無理だろうと室井は判断していた。
「だが成長曲線はすごいだろう。今年は珠玉の年だな」
「おいおい、俺は玉じゃないと言いたいのか?」
「おっとこれは失礼。まさかプロ注目株のエース様にそんなつもりは」
同学年ということもあり、梅本も室井も後輩の前では見せない気軽な様子で会話をつづける。
クールダウンを終えた室井がベンチに戻って見たのは、自分の出番が今日はないことをいいことにチューブ型のアイスを楽しんでいる暁。
一方で、試合に出ている選手たちはなおも真面目に戦っている。
(井上先輩は、揺れ球が誰にも予測不可能な軌道になる。だからこの球にはコースの配球は無意味、出来るだけストライクになるように真ん中近くに投げてもらうしかない。
ストライクは他の球でできるだけ取って、コースを厳しくするよりも、継投での速度差のマジックが消える前に少なめの球数で逃げ切るのが最上。
これにはセオリーより、相手の苦手を突く形が有利)
今の怜には、目の前のバッターが速い球を待っているか遅い球を待っているかの判別は勘レベルでしか当てられない。響のような90%を超える精度など望むべくもない。
だから最初からその予測は捨てる。ただ、物理的に反応ができないように配球を組み立てる。
短いイニングには限定されるが、剛球に慣れたバッターたちは次々と空転していく。
(面白いくらいに対応できていない。だがいつマジックが切れるかのタイミングは計る必要がある。
115km/h単体じゃ、慣れられたら打ち込まれる危険がある。どう目くらましをするかがキャッチャーに求められるな)
普段練習などしない速度帯ということもあり、タイミングを壊す兵器として極めて有用。
その強力さの反面、どうあっても長持ちしないという構造的欠陥をもつ。
ある意味ではキャッチャーの実力を試されると言ってもいい。
だがそれも単体であればの話。リレー方式の投手運用であれば相手が慣れる前に逃げ切れる。
事実、この回は相手に一度転がる球を打たせただけで、井上の出番が終わる。
返す回に怜の打順が来た。
実は怜は、梅本よりも打てる。パワー不足でほぼホームランは期待できないが、打率でいえば3割程度はマークできる。
これは上位打線としては少し物足りないが、下位打線としてはなかなか打てる方、つまりは中くらいのバッターといえる。
(よし、この後は約70%の確率でこのバッテリーはストレートを外角に投げてくる。
計算通り!)
得意なのは、集めたデータに応じた打撃。
玲奈のスカウティングデータが怜の打撃を支えていた。
内野の頭を超える打球を放ち、怜は打撃でもアピールをする。
差別化ができることが試合に出るチャンスをつかむことだと理解していた。
再び、守備側に回り、怜は田代のリードに回る。
(田代は真面目で責任感が強いが、相手に当たりそうな球を投げても腕が縮こまったりしない。
「互いにベストを尽くした結果なら、当てても気に病むほうが失礼だ」だったか。なかなか面白い考え方だな。
おかげで、攻めの配球ができる)
制球が粗い投手をリードする際は、死球と四球に気を遣うのが常道。
本筋であれば、梅本式がセオリーに近い。
だがそれは、投手が気にして自滅していくきっかけになるからだ。
当人が気にしないメンタルの強さを持つなら、ある程度紫苑の理論を取り入れる価値も出てくる。
(田代、お前は勝ちたいんだろう?敵チームだけじゃなく、室井先輩や暁にも。
俺がもっと上にお前を連れて行ってやる。さあここだ、お前の一等いい球で相手をビビらせろ)
内角の高めギリギリ、内に外れればボールになるがバッターに圧力を与え、外に外れれば甘く入るが球威で押し込める。そんなストレートを要求する。
(田代剛、お前は内に熱い思いを秘めているはずだ。そのエネルギーを全部解き放て。
今は細かい制球なんかいい、自分の全部をぶつけてこい。制球を磨くのは日常だ。試合では自分の全部を出せ)
この言葉は、試合前に晶同席の状態で直接伝えた。晶もまた、否定はしなかった。
晶も分かっていたのだ。制球力を強化しようとする反面、田代が全力から遠ざかっていたのを。
ゆえに、田代は入学前から己に課していた無意識の封印から解き放たれる。
火の玉が走るような、うなりを上げて浮き上がるストレート。
受け止めたミットの手が、ビリビリと痺れるような重さ。
148km/h、田代のこれまでのMAXを更新する、最高の球だった。
(そうだ田代、これがお前の本当の球だ。これなら夏も戦える。
育成枠だなんて思っているやつらに目にもの見せてやれ)
怜は田代に球を投げ返すと同時に、己の思いも込める。
田代の成長なしに甲子園は目指せないと、怜には分かっていた。




