第十二話 『それぞれの理由』
怜が二軍側の練習試合を終え、キャッチャー用の防具を黙々と手入れしていると手元に影が差し込んだ。
「藤代くん、少しよろしいですか?」
「よくない、と言っても聞く気のない顔をしているけどな。
それで、なんだ?霧島」
横目でちらりと確認しただけで手を止めることも顔を上げることもせず、怜は紫苑に話の先を促す。
「藤代怜、あなたには私の、いえ私たちの『作品』になっていただきます」
「なんだ唐突に」
いきなり変なことを言い出した紫苑に、意味が分からないとわずかに眉を顰める。
「スカウティングにより得た相手のデータと、私の配球理論をインストールし、天川先輩から受け継いだ洞察力を用いて適時現場で調節する……そんな最高のキャッチャーになっていただくと申し上げています」
「ふむ、確かに強そうに聞こえるが、俺に目を付けた理由は?俺はまだ一軍にすら上がっていないぞ。梅本先輩にすればいいじゃないか」
「お分かりでしょう。あの方は、あまりにぬるい」
ピタリと、怜の手が止まる。
「人格的には優れているのでしょう。人望もおありになる。しかし、他人を活かすことばかり考えて敵が嫌がることをしようとしない。
いえ、それだけであれば主義主張の違いとして受け止めもします。ですが、私の配球理論を検討もしない。使えるところだけ摘まもうとすら、です。
それは、勝率を下げる行為です。キャッチャーとしては怠慢に近い」
「霧島、思想は勝手だ。だが公然とレギュラーを批判すべきじゃない。それはチームに波風を立てる。
お前流に言うなら、勝率を下げる行為だ」
ため息をついて紫苑の目を見て忠告すると、「はてそんなにひどいことを言っただろうか」と言わんばかりに目をしばたたかせている。
「……ふむ、気には留めておきます。
ですが、今は二人きりなのでいいでしょう?」
(こいつ、ブレないな)などと怜は思った。
「他にも理由はあります。1つは、あなたの担当マネージャーにこのすべての専門家が揃っていることです。
スカウティング担当、海原玲奈。配球シミュレート及び負けパターン分析担当、霧島紫苑。心理戦担当、天川響。
時間の許す限り、ノウハウをあなたに叩き込めます」
「なるほどな」
常に敵の情報を得るため飛び回り、他のマネージャーに比すれば部員の前に姿を現すことの少ないスカウティングの専門家の顔を脳裏に浮かべながら、怜は頷いてみせる。
「しかし一番の理由は――あなたが私の同類だからです」
はっきりと、紫苑はそう口にした。
「勝つため、味方を勝たせるためなら手段を選ばない、合理的な勝利至上主義者。
敵に対する倫理感もなく、弱点は突くべきものと考える。その結果相手がどうなろうと知らない、興味がない。
そして、野心家。違いますか?」
「失礼な。倫理観ならあるさ。ただ、相手がどうなるかは相手の責任だと思っているだけだ」
怜は笑みを浮かべる。うすら寒い、悪役貴族のような笑みを。
「どうでしょうか?」
「そうまで言うなら、本格的に教えてもらおうかな。
ただ、俺はお人形にはならない。梅本先輩からも十分に学ばせてもらうよ。手札はいくらあってもいい」
「それでこそ、私が目を付けた甲斐があります」
今ここに、同盟がなされた。暁と晶の相棒感とは異なる、冷たく利用し合う同盟が。
昼食の時間、暁は練習試合中の自身の宣言通り田代の器に豚丼を大盛り、いや特盛に盛り付けていく。
「田代、お前にこれをやる。たっぷり食べるといい」
「うん?ああ、まあ、もらうが。なぜおまえが給仕係になっているんだ?」
「お手伝いすると、代わりに多めに杏仁豆腐をつけてもらえるんだ」
「そ、そうか。お前がいいんなら、それでいいんだろう」
甘味への期待感を隠さない暁に対してちょっと引き気味になりつつ、これもこいつの個性かと受け入れて田代は器を受け取って自分の席に着く。
しばしして、給仕役を終えた暁が田代の隣に座る。
暁の田代側とは逆には紫苑が、正面には晶が既に着席していた。
メニューは豚丼・味噌汁・サラダ・梅シソささみ・ヨーグルト・バナナ・杏仁豆腐。
これは選手用で、女子マネは量も少なく梅シソささみがついていないが、非常に美味しそうで栄養も取れるものになっている。
そう、そのままなら栄養がしっかりとれそうなのだが。
「し、紫苑、その真っ赤な豚丼はなんだ?」
戦慄しながら暁が刺激臭に身を引きつつ訊ねる。
紫苑は、これが普通ですよと言わんばかりにテーブルの上に瓶を乗せて。
「私物のデスソースです。とても美味しいですよ。暁くんもいかがですか?きっと食が進みます」
ずい、と紫苑が笑顔でテーブルの上を滑らせてくる瓶状の調味料から必死に目を逸らして、暁は己の豚丼を腕でガードする。
「いや、俺は、ちょっと、いいかな」
「そうですか。暁くんにも味わってほしかったのですが」
紫苑は心底そう思っているようで、暁には逆にそれが恐ろしかった。
「波間さんはいかがですか?」
「悪いが私は薄味が好きなんだ。遠慮しておく」
一方で晶はさらりとかわす。
相手を否定もせず、己は安全圏に置く大人の態度。
普段ぶっきらぼうであるくせに立ち回りは意外とうまい。
わちゃわちゃとやっている暁たちのすぐ後ろを、長いアッシュブルーの髪がよぎる。
「ねえあなた、その杏仁豆腐は、どこに置いてあるの?」
170cmという高身長に大人っぽい顔立ち、少し冷たげな声質に落ち着いた所作。
メリハリのあるスレンダーボディも相まって、初見で彼女がまだ高校1年生だと思うものはまずいないだろう。
「ああ、海原か。杏仁豆腐ならほらそこの奥まったところに」
「ありがと。あと、食事中にあまり騒ぐと他校に馬鹿みたいだと思われるわよ」
それだけ言って、玲奈はまっすぐに杏仁豆腐置き場に向かって歩き、真剣に見比べてからそのうちの一つを大事そうに持って少し離れた自分の席に戻っていく。
「相変わらずツンとしてるな」
「冷血というべきでは?」
「人づきあいが苦手なんだろう」
「クールで格好いいと言ってやれ」
暁・紫苑・晶の順にあまりにも好き勝手言うため、思わず田代はフォローに回る。
あと、どの口が言うのかという評を下しているやつが2名ほどいる。
田代はもう付き合ってられないとばかりに、特盛豚丼をかき込み始めた。
実は周りからは田代も含めて仲良し集団に見られているということを、田代はまだ知らなかった。
食事もまた高校球児にとっては大事なトレーニングの一環。
楽しくしつつも彼らはしっかりと体の資本を取り込んでいく。
初日の練習と夕飯も終わり、選手たちは宿の割り当てられた部屋に入っていく。
そして女子マネージャーたちは備品チェックや選手たちが本日使用した最後の練習着を洗っていく。
得意な方に分かれて、各々が作業を進める。
その中でも最も洗濯の手際がいいのは、意外にも紫苑である。
汚れを見れば、どう頑張って練習しているのかが伝わってくる。それを把握しながらごしごしとしていくのが彼女は好きだった。
備品チェックにおいては玲奈が最も活躍する。
彼女は管理系の裏方が得意で、こういうチェック作業では速度と正確性の両面で他者を引き離す。
星海の女子マネージャーたちは専門性ばかりが目立ちがちだが、しっかりと裏方作業もできる子ばかりが集められている。
得意不得意な分野はあるものの、裏方を何もできないタイプは採用されることはほぼない。こういった地味な作業もまたチームを支えているのだということを監督は知っているからだ。
そんな監督も、ほんの少し裏方作業をしてから自室に戻って今日のデータを整理するのが大体の習いだ。
別に女子マネと仲よくなりたいとか距離を詰めたいという意図ではなく、作業を通して話しながらそれぞれの女子マネからのフィードバックを得るのが目的である。
一人一人呼び出すよりもこの方が効率がいいという判断。
だがそういう態度が、選手にも女子マネにもスタッフにも壁を作らないと評価されているポイントでもある。
調子に乗りそうだから誰も監督に直接そう言ったりはしないが。
「ん。悪いが先に上がるぞ。データ整理と明日からのプラン調整をやってくる。
澪と海咲は一緒に来てくれ。海原も、チェックが終わったら他校のデータを持って合流を頼む」
腰をトントンと叩きながら伸びをし、指示を出してから監督用の部屋に向かう。
残る人間で作業を終えた後、女子マネ達も自分たちに宛がわれた部屋に分かれて移動していく。
監督の部屋でデータ共有をした後、零と玲奈はともに自分たちの部屋へと戻っていく。
この部屋は4人部屋、面子は真央・晶・零・玲奈となっていた。
1年のうち3人を教育担当の真央が面倒を見る形である。
なお同じ1年でありながらこの部屋にいない紫苑は、他校の生徒と接触して厄介ごとを発生させないために響が見張るように部屋割りが変更された。
紫苑は今頃上級生3人に囲まれて大人しくさせられているであろう。
合宿場について早々にやらかした内容を考えれば妥当である。
この部屋の真面目な1年生トリオは日が暮れても自分たちのデータとにらめっこしている。
晶は動画を見ながら自分の所感とデータを照らし合わせ、零はタブレット端末にある全部員の心拍・乳酸値データをまとめていき、玲奈は自分が偵察した他校のデータから何か他に収集すべきものがないか見直し。
「はいはい、もう終わり。休まないと明日に響くわよ」
真央があまりにも仕事熱心な3人から道具を取り上げていく。
このままだとこの子たちは睡眠時間も削りかねないし、休憩もしないだろうという判断である。
「ほら、気分転換しましょう。温かい飲み物でも飲んで、仕事と関係ない話でも。
……そうね、みんなはどうしてこの学園の野球部に入ろうと思ったのかしら?」
しぶしぶと差し出された白湯を口に運びながら、玲奈が端的に。
「人に聞く前に自分から言うべきではないですか、先輩」
生意気、と受け取られそうな口調に真央は怒ることもなく人差し指を顎に当てて。
「うーん、私のはあんまり大した話でもないんだけれど。
最初は姉さんの後を追って。でも、私には姉さんのように元から持っていた専門性はなくて……その時空いていた教育枠の後継役として運よく拾ってもらったのよね。
それで先輩たちにたくさん教わって、今に至る、って感じかしら」
出来過ぎる姉に憧れた凡人の妹、そういう構図だと真央は苦笑する。
実際には姉側がおかしいだけで真央も十分優秀だし、凡人側の気持ちがわかるからこそ人に教えることができるのだが、染みついた劣等感というのはどうしても残る。
空気が重くならないように、真央は「でも今は楽しんでいるのよ」と続け、1年生側に話を振る。
最初に乗ったのは零。
「私は、すぐに現場に出られると聞いたからです。あと、親がやっていたのとは別競技の知見も得たくて。それと……いえ、これは秘密です」
思わせぶりに、言葉を切る零。
ふと窓の外に目をやり、アンニュイな気配が醸し出される。
それに一顧だにせず、玲奈も口を開く。
「中学から野球部の女子マネはやっていましたし、スカウティングやスコアボードをつけるのが得意でしたから。ただの延長線上です。
付け加えるなら、この学校なら女だからと舐められることもないと思って」
正当に評価される場を選んだ、という趣旨を述べる玲奈。
分かりやすく、正統派の理由と言える。
残る晶に視線が集まるが、口が重い。
しばし時間が経って、真央が「無理に言わなくても」と気を使って口にしようとした頃。
「……男子選手になれないのは受け入れたが、甲子園は諦められなかった。だから支える側に回った」
かつて晶は幼少期、男になりたかった。望めばなれると無垢に信じていた。
人は性を選べないのだと、知ったのは小学校2年生の頃だ。成長しても男にはなれないと。
それでも、スポーツが好きだった。なよなよするのは嫌だった。運動神経も良かった。
特に野球が好きだった。テレビで甲子園を舞台に投げる高校球児に憧れた。
女は甲子園で競えないと知ったのは、小学5年の冬だったか。
女性選手では全国の決勝しか無理、そこまで勝ち抜かなければ夢は泡と消える。
男子はあんなにたくさん甲子園で試合ができるのに、女にはそのチャンスが少なすぎる。
泣いた。1週間毎日、夜ごとに布団に顔を押し付けて。
それでも、やっぱり諦められなかった。
晶には希少な目があった。それでプロのフォームを再現できれば女子選手としてトップに立てないかと希望を託した。
だが晶には土台が足りなかった。男と女では肉体の基礎が違う。日に日に女らしくなる己の肉体が恨めしかった。
なまじ見える目があったから、自分では女性選手としてトップになれないとはっきり分かってしまった。
それでも、それでも……甲子園は夢なのだ。だから託すことにした。己の力を持って、支える側として甲子園に選手を送り出そうと。
それが晶の理由だった。
こんな変わった自分を受け入れ、必要だと言ってくれたのが星海だった。
こんな自分を相棒だと呼んでくれる馬鹿な男がいた。
「だから私は、あいつらを甲子園投手にする。壊して青春を棒に振らせたりしない」
それが晶の誓いだ。
晶は己のバックボーンを詳しくはこの場にいる者たちに話したりはしなかった。それは自分が知っていればいいことだからだ。
だがそれでも、滲む重さと決意に部屋の空気は何とはなしにしんみりし、それぞれが自分の布団に入る流れになった。
部屋の電気が消え、各々が「おやすみなさい」と口にして静かになる。
零はゆっくりと自分の布団の中に潜り込み、今日あった様々なことを思い返していく。
自分が今日、ちゃんとできていたかをしっかりと振り返って。
そして、
(よし、今日もちゃんとミステリアスができましたねっ)
ぐっと小さく、布団の中で拳を握った。
海咲零、彼女はミステリアスに憧れ、それを自身が演出するのにこだわる、ちょっと中二病な気質のある痛い子だった。
彼女にとって、今日の自身のミステリアス点数(独自基準)は93点という高得点。
とても満足して、すやすやと眠りについたのである。




