第十話 『GW合宿はGWにしない』
高校野球において、GW合宿と呼ばれる合宿は実はGWそのものには行われない。
春季県大会の準決勝及び決勝がGW本番ともいえる5月3日~5日の間に行われることが多いため、合宿はその直前、4月末~5月2日までのどこかを確保して行うのが通例だ。
そしてこの年、星海学園のGW合宿は4月28日~5月1日の4日間、県外の強豪三校とともに行う四校合宿であった。
バスに乗り合宿場へと向かっている田代の側には暁と晶と紫苑がおり、ババ抜きに興じていた。
なお、暁は響をも遊びに誘おうとしていたのだが、その当人から「あーしが参加したら優勝者固定しちゃうから」と固辞された。
さもありなん、あの洞察力はカードゲームでは無法に過ぎる。
「んー、こっち!」
「あら暁くん、3択でそんなに簡単に決めていいのですか?」
つい先ほど『わざとジョーカーを自分の手札に引き込んだ』紫苑が、暁に引かせようと迷いを吹き込もうとしていた。
他人への嫌がらせを目的としたプレイスタイル。一見すれば負けの可能性を増やしそうな行動だが、紫苑は『勝つこと以上に他人を負けさせることが好き』という少々方向性の違う勝利へのスタンスを掲げている。
結果的には勝ちを求めるのだが、その過程で敵の苦痛に歪む顔を見たいという欲求を隠すことをしない。
「紫苑、俺を舐めているようだな。お前は俺の行動を誘導しようとしてくる……つまり、お前相手には深く考えるほうがむしろ勝率が低い!
ここまでの3戦の敗北で俺は学んだんだ、紫苑の言葉をまともに聞くだけ損だとな!」
「まあ素晴らしい。その判断が正しければいいですね」
ただのババ抜きにやたらバチバチとしている二人の姿に、すでにこの試合であがりを確定している田代と晶は胡乱な目を送る。
暁は、このバスの中でババ抜きをするだけで紫苑との心の距離を詰め、すでに下の名前で呼ぶようになっていた。
田代はふと、バスの外の風景へと視線を移す。
この3人とまとめて配置されたのは、ただ同期だからではない。
この合宿の直前、田代は監督から告げられていた。
合宿中、一軍に帯同し結果を出すこと。それによって、以降のベンチ入りが決まると。
田代にとって岐路ともいえる重要なイベント、それがこの合宿になる予感がしていた。
「おかしい……なんで俺が負けるんだ」
「ふふ、全てシミュレーション通りです」
「お前たち、なぜそんなにババ抜きに真剣なんだ?」
それはそれとして、田代の周囲はやかましかった。
彼女はバスから降りてくる星海の選手たちが正確にウェアラブル端末を上腕部と胸部に装着できているかを確認、チェックシートにマークしていく。
前髪が目を覆うくらい長く、左より右側が少し長いショートボブ、ほんの少し毛先がくるりと跳ねている黒髪、マネージャーとして屋外に頻繁に出ているにもかかわらず白い肌。
身長は高校女子の平均に近くスレンダー体型、少しミステリアスな雰囲気がある彼女の名は海咲零。
星海学園の1年生で専門は健康管理担当、機器によるデータを用いて生理的なコンディションを判断する役目を担っている。
「暁くん、上腕部の方の装着が少しずれています。痒いからといって無闇に掻かないでください。これはあなたの腕を守るためのものです」
「なにをやっているんだお前は。この機器の数値と私の感覚、二つを照らし合わせて今基準値を作っているんだ。お前がちゃんと装着しなければブレるだろう」
零と晶、二人がかりで詰められる暁。この二人、軽い完璧主義と職人肌で割と相性が良かった。
詰められている側の暁からすれば、正論で追い詰めてくるので体を縮こますしかない。
「はい、すみません……」
後が詰まっているためにこの時は長く拘束されることなく、続けて他の選手のチェックに回る零。
暁は説教が長引かずに済んでほっとしながら、晶とともに合宿場の方に向かっていく。
零はちらりと暁の背中に視線を送ったものの、すぐに目を外して田代のチェックを進める。
「はい、問題ありません。今日から一軍、頑張ってください」
「ああ。海咲も合宿中忙しいだろうが無理しすぎるなよ」
鷹揚に頷いた田代は、零への気遣いもしつつ荷物を持って合宿の寄宿舎へと向かう。
実際のところ、この合宿においては選手以上に女子マネージャーが忙しい。
三食の食事以外に練習の前後に食べる補食やドリンクの作成、様々な練習サポート、アイシング用の氷嚢の用意や監督の目の届かない所への見守り、日に何度も汚れるユニフォームや練習着の洗濯に備品管理。
そういった一般女子マネージャーの仕事にプラスして、星海では専門分野への貢献が要求される。
中でも零は、全ての部員の健康管理をこの3日間できるだけリアルタイムで行い続けなければならない。
起きている間、データから目を離す時間はほとんどない。その間になにか異変があれば零は自分を許せないだろう。
一軍だけに対象を絞る、なんてこともできない。
戦力的な予備という意味だけではなく、怪我で一時期を選手が棒に振るなどということは防ぐべきなのだ。
零にはこの合宿中、休み時間というものが許されていなかった。
ブラック企業も真っ青である。
一番困るのは、監督が休むように言っても零が恐らく聞かないことなのだが。
「零ちゃん、今から気合入れてたら後でばてちゃうよ。リラックス、リラーックス」
「いえ、3往復目の天川先輩にそれを言われましても」
両脇に部の機器を詰め込んだ大型バックを吊り下げた響が、零に対して声をかけてくる。
ギャルでありながら、彼女はかなりの体力派であった。
「あーしはこれでも2年目だもん。配分は分かってます。
でも零ちゃんは今年が初めてでしょ。選手が体調崩さなくても、零ちゃんが倒れちゃ元も子もないんだから。
これは、真央やマネ統括からの伝言ね。零ちゃんも元気で楽しむように」
「……はい、わかりました」
先輩方に気を遣わせているのだな、と感じた零は意識して肩の力を抜く。
その合間も、バスから降りてくる部員のチェックは欠かさないのだが。
本当に分かっているのかなあ、などと響は思いながらも、気を回してあげようと決めて荷運び作業を続けていく。
片側10kg近いとは思わせない足運びであった。上体がほとんど揺らいでいない。左右の重さが似たものを選別しているとはいえ、体幹が選手並みである。
「すごいですね、あの人は」
1年生にして部員の健康という土台を任せられている己を棚上げして、零はなにやら呟いていた。
次々と合宿場に到着してくる他校の生徒がまず目を引かれたのは、星海学園の女子マネージャーたちだった。
総勢12名の特色豊かな美少女・美女たち。澪、真央、響、晶、紫苑、零、そして名前こそいまだ出てきていないが存在する残り6名。
高校野球の共学化は行われて久しいが、これほどまでに近い距離に美少女集団がいることは、普段練習にストイックに打ち込んでいる高校球児にとって刺激が強い。
なお、星海の選手面々は日常的に接することで慣れている上にその能力値の高さに触れているため『ただの女性』として見る向きが少なく、監督の方針もあって『性別は違うがともに戦う人間』という認識が強い。
ゆえに他校の浮ついた様子に(ああ、俺たちも入学してすぐはあんな感じだったな)などとなにやら生温かい目を送る余裕がある。
ちなみに、彼らは同伴の自校のマネージャーたちに、自分への態度との違いから軽くカチンとこられているのだが、それに気づく気配はない。
各々の高校が準備を終え、四校による合同合宿が開始。
各自が練習に打ち込む中で、ある一人の男子が零へと近づく。
顔を赤らめ、少しきょどきょどと自校の生徒が周囲にいないかを確認し、そして。
「あの、君、名前は……」
勇気を出して話しかけたその生徒の顔を見て、零は即座に。
「少し顔が赤いですね。軽度の熱中症では?
このドリンクを差し上げますのでそちらの日陰で飲んで休むといいかと。
お気になさらず。ドリンクはまた作ればいいので」
さらりと無自覚に、体調不良判定を出して相手を退ける。
そこから少し離れた場所では、完成した特注ユニフォームに袖を通した紫苑が。
「股間のバットを膨らませる前に野球の打率を上げてはいかがですか?
失礼。そのバットでは女の子の打率は見込めないとシミュレートできてしまったもので」
などと過激かつ辛らつに言い寄る相手をこき下ろしていた。
少しお話をしてみたいと思っただけの純情な高校球児に対して、あまりにもひどい対応。
「ちょいちょいちょいっ、ごめんねー、この子、男慣れしてなくて。
でも、男の子はスポーツできるところが格好いいとあーしも思うなっ」
唖然とする相手が激高しないように響がインターセプト。
男慣れしてない、などという事実を作り上げ、あたかも紫苑が結果で語るタイプが好きという意味で言ったかのように解釈を捻じ曲げ、さらに自分も相手に興味があるように見せかけて矛先をずらす。
見事なフォローであった。
その後も上手いこと会話を続けて、どうにか穏当にお帰り願う。
そうして他校の選手を見送った後。
「ダメっしょ、紫苑ちゃん。あーしが見てたからいいようなものの、相手が怒っちゃったら力じゃかなわないんだよ」
「申し訳ありません。あまりにも発情した猿のようでしたので、口が本当のことをつい」
紫苑の全く反省の色が見えない返答に、響は「だめだこりゃ」と呟き、合宿中は紫苑を他校の生徒の近くになるべく配置しないようにと監督に進言することを決めるのであった。




