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第8話 主人の隣は、戦闘配置です

魔力嵐から村を救い、地下遺跡で巨大な守護獣を打ち倒したその日の夜。


 村長から最大限の感謝とともに提供されたのは、村で一番大きくて頑丈な空き家だった。それぞれの部屋があてがわれ、ようやくゆっくりと休息が取れる。


 そう思って怜司が自室の木扉を開けた瞬間、彼は深い溜め息を吐くことになった。


「……なんでお前らがここにいるんだ」


 ランプの灯りに照らされた部屋の中には、すでに二人の先客がいた。


 一人は、壁際に直立不動で立つ美少女型ゴーレムのセナ。もう一人は、この部屋に一つしかない柔らかいベッドのど真ん中を陣取っている幼女姿のエルネリアである。


「マスター。私の最上位目標は『マスターが手印入力を終えるまで保護する』ことです」


 セナは感情の読めない青い瞳を怜司に向け、平坦な声で告げた。


「睡眠による肉体の修復と維持は、次回の入力前準備期間に該当します。よって、私が同室で二十四時間の護衛を行うことが、目標達成のための最善の選択であると判断しました」


「理屈は通ってるような気がするが、俺のプライバシーは無視か」


『くははは! よいではないか奏者よ。この寝具はなかなかに柔らかく、魔王の玉座として申し分ない。特別に足元を使わせてやってもよいぞ?』


 ベッドの上でドレスの裾を乱しながらふんぞり返るエルネリアは、すっかりこの部屋を自分の領土として認識しているようだった。彼女は古い時代から封印されていた反動か、甘い菓子と柔らかい寝具にひどく執着を示す。


「おい! お前たち、異邦人の部屋で何をしている!」


 そこへ、開け放たれた扉からザフィラが怒鳴り込んできた。


 彼女は自分の部屋で荷解きをしていたはずだが、こちらの異常に気づいて飛んできたらしい。


「いくらなんでも、男女が同室で夜を明かすなど風紀が乱れるだろうが! ほら、そのベッドから降りろ、偉そうな幼女! お前もだ、無表情な人形!」


 ザフィラがずかずかと足を踏み入れ、セナの腕を掴もうとした。


 だが。


 ガキンッ! という金属音とともに、セナの腕から瞬時に大盾が展開され、ザフィラの行く手を物理的に遮った。


「警告します」


 セナの声は相変わらず平坦だったが、その動作には一切の容赦がなかった。


「マスターの休息を妨げる騒音、ならびに突発的な接触行動は、入力精度の低下を招く『入力妨害要因』と判定されます。これ以上の接近は、排除対象として処理します」


「はあ!? 排除だと!? やってみろ、このガラクタ!」


 ザフィラが背中の戦弦槍に手を伸ばし、部屋の中で一触即発の空気が流れる。


 しかし、怜司は彼女たちの騒動を完全にスルーし、部屋に置かれた丸太の椅子にどっかりと腰を下ろした。


 彼にとって、女性陣との同室による緊張感などよりも、はるかに優先すべき重大な問題があったのだ。


 怜司はランプの灯りに両手をかざし、真剣な眼差しで指先をチェックし始めた。


(……ひどいな。第二関節まで腫れ上がってる。右の中指は少し皮が剥けてるな)


 今日の戦闘は過酷すぎた。村で結界へ別の手印を接ぎ、地下遺跡では百二十八手を通した。その代償として、怜司の指は限界に近い悲鳴を上げていた。


 手印魔法において、指の怪我やコンディション不良は命に関わる。一ミリの角度のズレ、コンマ数秒の遅れが暴発を招くのだ。女性の好意や風紀を気にする暇があるなら、一秒でも早く指のケアをして入力精度を維持しなければならない。


「……おい」


 いつの間にか、口論を止めたザフィラが怜司の隣に立っていた。


 彼女は怜司の赤く腫れ上がった両手を見ると、忌々しそうに舌打ちをした。


「なんだその手は。そんな状態で、明日ちゃんと私のテンポについてこれるのか?」


「努力はする。とりあえず冷たい水で冷やして……」


「馬鹿を言え。そんなことをしたら関節が固まる」


 ザフィラは背負っていた腰袋をあさり、小さな陶器の壺を取り出した。蓋を開けると、独特なハーブの香りが部屋に広がる。


「手を貸せ」


 ザフィラは丸太の椅子に怜司と並んで座ると、彼の右手を取った。


「戦奏士の一族に伝わる軟膏だ。弦を弾きすぎて指の皮が破れた時によく使う。少し染みるが我慢しろ」


 ザフィラの褐色肌の指先が、怜司の痛む関節に丁寧に薬を塗り込んでいく。彼女の普段の好戦的な態度からは想像もつかないほど、その手つきは優しく、ひどく慎重だった。


「……悪いな。助かる」


「勘違いするな。明日、私の曲にお前が遅れたら、なんだか私が勝負に負けた気がするからだ。万全の状態のお前を、私の主旋律で圧倒してやる」


 あくまで勝負のためだとツンとそっぽを向くザフィラ。


 だが、怜司は薬を塗ってくれる彼女の指先に、固く分厚いタコができているのを見逃さなかった。


「ザフィラの指、弦の跡がすごいな。どんだけ弾き込んだらそうなるんだ」


「……私から槍と曲を取ったら、何も残らないからな。物心ついた時から、これだけを磨いてきた」


「そうか。綺麗な指だ」


 それは女性の容姿に対する抽象的なお世辞ではなかった。彼女がどれだけの時間をかけて、己の技能をその高みまで引き上げたのか。その過酷な反復練習の歴史に対する、純粋な称賛だった。


 ザフィラはピタッと手を止め、顔を真っ赤にしてうつむいた。


「ばっ、馬鹿なことを言うな! ほら、左手も出せ!」


 乱暴に怜司の左手を引き寄せ、顔を隠すように薬を塗り始めるザフィラ。


 部屋の隅では、セナが大盾を下ろし、直立不動のまま二人のやり取りを静かに観察していた。


 青い瞳の奥で、無数のデータが処理されていく。


 ザフィラの微かな衣擦れの音。二人の心拍と、規則的な呼吸のペース。薬を皮膚に擦り込む時の、極めて小さな摩擦音。


 セナはそれらの『生活音』を、戦闘時以外の基準として記憶核の深部へ密かに刻んでいた。命令されたからではない。彼女自身にも、まだ理由を説明できない行動だった。



「さて」


 指の治療が終わり、痛みが嘘のように引いていくのを確認しながら、怜司はベッドの上で菓子をかじっているエルネリアを見た。


「王都の大祭まで、あと二十日だ。あんたの第一封印曲《還天掌》を止めるには、どうすればいい」


 全人類の体内魔力を奪う巨大な魔法。それを止めるためには、暴走しないための『安全な速度で動かす曲』、そして魔法を終わらせるための『別の拍』が必要だ。だが、それ以前に大前提として解決しなければならない問題がある。


『魔法の対象を変えることじゃな』


 エルネリアが指を舐めながら答える。


『今の第一曲は、王都にいるすべての人間へ狙いを定めておる。その指定を解き、別のもの――たとえば空気中の澱んだ魔力へ向け直せば、王都の民は助かるであろうよ』


「どうやって対象を変えるんだ。俺の手印だけじゃ、王都全域に掛かった指定は外せないぞ」


『歌、じゃよ』


 エルネリアの言葉に、ザフィラが顔を上げた。


「歌だと? 聖歌隊が歌うようなものか?」


『似て非なるものじゃ。世界魔力に直接意味を乗せ、魔法の対象と性質を書き換える力を持った、古い時代の共鳴歌。……今の時代、その技術を無意識に受け継いでいるのは、ただ一人しかおらんはずじゃ』


 エルネリアはニヤリと笑い、その名を口にした。


『追放聖女、ノエラ・アストレア。神の奇跡を貧民のために私物化したとして、教会から異端認定を受け、追放された女じゃ。そやつを見つけ出し、歌わせるがよい』


 ノエラ・アストレア。


 それが、第一曲を止めるための『歌』を持つ追放聖女の名前だった。


 怜司は立ち上がり、軽く両手の指を鳴らした。ザフィラの薬のおかげで、動きは完璧に戻っている。


「よし、次の目的地は決まりだ。その聖女を見つけて、俺たちの楽団へ迎えるぞ」


 怜司のブレない攻略姿勢に、ザフィラは呆れながらも頼もしそうに笑い、セナはただ静かに「了解しました」と頷いた。

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