第7話 殴られるほど、曲が完成する
セナが青い瞳を開き、恒久的な最上位目標を登録した直後だった。
地下空間の最奥、壁面と一体化していた巨大な隔壁が、轟音とともに内側から吹き飛んだ。
濛々たる粉塵の中から姿を現したのは、先ほどの多脚兵器とは比較にならない絶望的な質量だった。全高十メートルに迫る、岩と鋼鉄を無造作に繋ぎ合わせたような巨躯。眼窩には赤黒い魔力の炎が燃えたぎり、腕の先端は城門すら粉砕しそうな巨大な鉄槌になっている。
「チッ……まだいやがったか。遺跡の奥に引きこもってる真のボスってやつだな」
怜司は悪態をつきながら、即座に両手を構えようとした。
だが、守護獣の反応速度は巨体に似合わず異常だった。怜司が手印の第一手を組むよりも早く、その巨大な鉄槌が頭上から振り下ろされる。
回避は間に合わない。ザフィラも距離が遠すぎる。
怜司が舌打ちをした瞬間。
無表情のまま、美少女型ゴーレム――セナが怜司の前に躍り出た。
彼女の華奢な腕が展開し、どこに収納されていたのか、身の丈ほどの分厚い大盾が瞬時に形成される。
ゴアァァァンッ!!
鉄槌が大盾に激突し、地下空間を揺るがす爆音が響き渡った。
セナの足元の頑強な石畳がすり鉢状に粉砕され、破片が弾け飛ぶ。だが、セナ自身は一歩も後ろへ退かなかった。
膝のサスペンションが極限まで沈み込み、装甲が嫌な音を立てて軋むが、彼女の肩から伸びる魔力光が瞬時に損傷部位を這い回り、壊れた端から自己修復していく。
「……マスターはそのまま。私の背後から出ないでください」
セナは感情のない平坦な声で告げると、大盾を斜めに傾け、守護獣の追撃の横薙ぎを受け流した。
ガィィィンッ! という鋭い金属音が鳴る。
守護獣は怒り狂ったように、左右の腕で怒涛の連続攻撃を仕掛けてきた。
大盾で防ぐ。腕の装甲で弾く。胸部装甲で衝撃を散らす。金属の脚が床を滑って姿勢を制御する。
圧倒的な質量による蹂躙。だが、その猛攻を至近距離で観察していた怜司の耳は、戦闘の騒音の中に奇妙な『法則性』を捉えていた。
(なんだ、この音……)
セナが攻撃を受けるたびに鳴る音。
大盾が弾く重い音、腕の装甲が鳴る硬い音、脚部が床を擦る高い音。それらは決して無秩序な雑音ではなかった。
それぞれの部位から、明確に異なる『ピッチ(音程)』が発せられているのだ。
ドンッ、カンッ、キンッ。
セナはただ無骨に殴られているのではない。敵の攻撃軌道と衝撃を瞬時に計算し、自身のボディを一種の『打楽器』として利用することで、この無秩序な死闘の中に、完璧なまでの『基準拍』を作り出していた。
(なるほど、そういう設計思想か。ただの盾じゃない)
怜司は笑みを深くした。
手印魔法最大の弱点は、入力中の無防備さだ。そして、焦りや恐怖による拍の乱れは暴発を招く。
だが、もし目の前に、どんな攻撃を受けても絶対に壊れず、殴られるたびに強固なリズムを刻んでくれる存在がいたらどうだろうか。
怜司は一切の恐怖を捨て、ただその確かな拍に乗って手印を繋げばいい。
「――ハッ、悪くない音だ」
セナが作り出す強烈なビートに、最も早く反応したのはザフィラだった。
戦奏士である彼女の耳が、この極上の拍を聞き逃すはずがない。ザフィラは戦弦槍を構え、守護獣の側面へと滑り込んだ。
セナの重い被弾音に重なるように、ザフィラが床を蹴るステップと、槍の弦を弾く鋭い音が響き渡る。
ドンッ、タ・トン! ベンッ!
機械の盾が刻むベースラインに、民族の槍が奏でる旋律が絡み合う。打ち合わせなど一切ない。だが、音楽という共通言語を通じて、前衛二人の連携は一瞬にして完成した。
ザフィラが守護獣の意識を側面へ引きつけ、最も重い一撃をセナが正面で受け止めてリズムを安定させる。
「じゃあ、俺も混ぜてもらうぜ」
怜司の指が、虚空で爆発的な速度で動き始めた。
二人によって作られた、これ以上ないほど入力しやすい強固な『曲』。怜司が担うのは、この曲に魔法という名の破壊をもたらすことだ。
右手で空間を抉り、左手で魔力の束をねじり上げる。
ザフィラの弦の音が鳴るたびに、怜司の手印がバチィッ! と青白い火花を散らして共鳴する。
雷撃の連鎖を編み上げる。数十手にも及ぶ大魔法の入力が、かつてないほどの滑らかさで進行していく。
守護獣が、己の不利を悟ったかのように咆哮を上げた。全身の魔力回路を赤熱させ、両腕を高く振り上げる。この空間ごと叩き潰すような、最大出力の一撃。
「来ます」
セナが短く告げ、大盾を斜め六十度に構えて完全に足を止めた。
「合わせるぞ、異邦人!」
ザフィラが跳躍し、槍を上段に構える。
怜司の目には、守護獣の振り下ろす腕が、ゲーム画面の最後に落ちてくる巨大な『ロングノーツ』に見えていた。
ゴオォォォォンッ!!!
守護獣の渾身の一撃が、セナの大盾に直撃した。
セナの足元の床が十メートル四方にわたって陥没し、装甲の隙間から冷却液が噴き出す。だが、彼女はその絶大な衝撃を完全に受け止めきり、この戦闘で最も重く、最も長く響く音を空間に轟かせた。
完璧な、最後の一拍。
「そこだッ!!」
怜司が最終手印を解放する。
ザフィラが空から槍を振り下ろした軌道に沿って、怜司が編み上げた極大の雷撃が直角に曲がりながら迸った。
眩い閃光と、鼓膜を破るような雷鳴。
雷の刃はセナが受け止めて無防備になった守護獣の胸部装甲を紙のように貫き、内部で渦巻いていた魔力回路の中枢を完全に焼き切った。
ピタッ、と。
守護獣の動きが完全に停止した。
眼窩の赤い光が消え失せ、巨体がグラリと傾く。次の瞬間、内部からの誘爆によって、岩と鋼鉄の巨躯は木端微塵に粉砕され、ただの瓦礫の山となって崩れ落ちた。
*
戦闘が終わり、静けさが戻った地下空間。
「ふぅ……」
ザフィラが額の汗を拭い、槍を下ろす。
セナは軋む音を立てながら大盾を収納し、損傷した各部の装甲を自己修復の青い光で包み込んでいた。数秒もすれば、元の傷一つない美少女の姿に戻るだろう。
怜司は無傷の両手を下ろし、満足げなため息をついた。
(タンクが被弾で拍を作り、アタッカーがそれに旋律を乗せ、俺が入力で魔法を叩き込む。……最高じゃないか)
この三人の連携があれば、どんな未知の難曲でも越えられる気がした。
怜司がそう確信した時。
ふと、自分のジャケットの袖が、グイッと下に引っ張られるのを感じた。
「ん?」
見下ろすと、そこにいたのは幼女姿のエルネリアだった。
彼女は今まで、実体を持たない幽霊のように宙に浮いているだけで、物理的な干渉は一切できなかったはずだ。
だが今、彼女の小さな白い手は、確かに怜司の服の布地をしっかりと握りしめていた。
「……おい。お前、物に触れるようになったのか?」
怜司が驚いて尋ねると、エルネリアはふんぞり返り、得意げに笑った。
『当然であろう。貴様が上の村で結界の曲を修復し、さらにこの地下で失われた守護機兵を目覚めさせたのだからな。世界に散らばったわらわの譜面が奏でられるたび、わらわの力はこうして着実に戻っていく』
エルネリアは怜司の袖から手を離し、今度は彼の頬をペチペチと軽く叩いた。確かな感触と、微かな冷たさがあった。
『よいか奏者よ。大祭までに第一曲を止めたいのであれば、さらに多くの譜面を探し出し、入力することだ。だが忘れるな。それは同時に、わらわという絶対の支配者をこの世界に完全復活させる手伝いをしているということをな!』
高笑いする幼女魔王を見下ろしながら、怜司は困ったような、しかしどこか楽しげな笑みを浮かべた。
魔王の成長は厄介だが、新しい譜面を開放していくゲームの報酬と考えれば、悪い気分ではなかった。




