第6話 百二十八手で、美少女ゴーレムを起こせ
魔力嵐が過ぎ去り、静寂を取り戻した夜の村。
無事に守り抜かれた家屋の中で村人たちが安堵の眠りにつく中、怜司は借りたベッドの上で一人、暗闇の中に目を開いていた。
眠れないわけではない。彼の耳と皮膚が、ひどく規則的な「音」を捉えていたからだ。
「……BPM六十。一秒に一回の完璧な等間隔」
怜司は身を起こし、床に耳を澄ませた。
ズン、ズン、という重低音が、微かな振動とともに地中深くから伝わってくる。風の音や動物の足音のような自然の揺らぎが一切ない。まるで時計の秒針のように、機械的な正確さで刻み続けられる拍。
気になってしまえば、音ゲーマーの性として無視することはできなかった。
怜司は上着を羽織り、音の震源を探るため静かに外へ出た。
「こんな夜更けにどこへ行く気だ、異邦人」
村の広場に出たところで、背後から声をかけられた。振り返ると、戦弦槍を立て掛けて腕を組むザフィラと、その足元でふんぞり返る幼女姿のエルネリアがいた。
「起きてたのか」
「あの嵐の後だ、警戒を解くわけがないだろう。それでお前は、何を探している?」
「足元から、変なビートが聞こえるんだ。ずっと一定の速度で鳴り続けてる」
怜司の言葉に、エルネリアが楽しげに口角を上げた。
『ほう。聞こえるか、奏者よ。あれは旧き時代の残滓。わらわが世界を統べていた時代に作られた、魔力駆動の心臓部の鼓動じゃ』
エルネリアの案内(という名の尊大な命令)に従い、三人は村外れの枯れ井戸の底へと降りた。そこには、土と岩で偽装された金属製の重厚な扉が隠されていた。
扉のロックは、怜司が三手ほどの基礎手印を打ち込むとあっさりと解除された。
冷たい空気と、古い機械油の匂い。
長い階段を下りた先に広がっていたのは、青白い魔力光に照らされた広大な地下空間だった。壁面には無数の幾何学模様の回路が走り、一定の間隔で明滅している。
そして、その空間の中央。
「……なんだ、これは。人間の……女?」
ザフィラが息を呑んで呟いた。
円形の台座の上に、一人の少女が眠っていた。
透き通るような白い肌、腰まで伸びた銀糸の髪、そして精巧なガラス細工のような整った顔立ち。だが、彼女が人間ではないことは一目でわかった。関節部分には滑らかな金属の球体が見え隠れし、首筋や背中には、台座から伸びる何十本もの太い魔力ケーブルが直接接続されていた。
『守護機兵じゃな』
エルネリアが空中に浮かび上がりながら言った。
『大昔の遺跡の防衛用ゴーレムの一種じゃ。ただの土人形とは格が違う。だが、長き時を経て魔力が枯渇し、休眠状態にあるようじゃな』
怜司は少女の眠る台座に近づき、そこに刻まれた無数の図形と線に目を走らせた。
それは、このゴーレムを再起動させるための『譜面』だった。
「……なるほど。この台座へ世界魔力を通して、眠っている守護機兵を起こすのか。でも、これ」
怜司は図形を追いながら、呆れたように、しかし口元には明確な笑みを浮かべて呟いた。
「百二十八手もあるぞ。しかも後半は、右手で三拍子をキープしながら左手で八分音符を叩くような非同期の連続入力だ。完全なスタミナ譜面じゃないか」
一度でも入力を間違えれば、これまでに注ぎ込んだ魔力が逆流して腕が消し飛ぶ。それを百二十八回、一切のミスなく連続で成功させなければならない。常人であれば発狂するような難易度だ。
「やめておけ。いくらお前でも、初見でノーミスで通せる長さじゃない。失敗した時のリスクが高すぎる」
ザフィラが警告する。
しかし、怜司はすでに両手を構え、最初の形を作っていた。
「未プレイの高難易度曲を目の前にして、帰れるわけないだろ」
怜司の指が、虚空を叩いた。
一手、二手、三手。指先の動きに合わせて世界魔力が収束し、台座の回路が一つずつ青く点灯していく。怜司の目は完全に譜面に釘付けになり、恐るべき集中力で周囲の空間から意識を切り離していた。
だが、十手目を超えた瞬間だった。
――ビィィィンッ!
空間全体が赤く明滅し、耳障りな警報音が鳴り響いた。
『愚か者め。重要施設の中枢を外部から不正に叩き起こそうとすれば、防衛機構が作動するのは道理であろうが!』
エルネリアが呆れたように叫ぶ。
壁面の装甲がスライドし、中から六本足の蜘蛛のような多脚型機械兵器が五体、不気味な駆動音を立てて這い出してきた。
赤いレンズ状の感知眼が怜司へ向き、侵入者として正確に捉えた。
手印の入力中、怜司は一切の防御行動がとれない。ここで足を止めて回避に回れば、その瞬間にコンボが途切れ、魔力の逆流で死ぬ。
絶体絶命の無防備。
しかし、怜司は視線すら台座から外さず、次の手印へと滑らかに指を移行させた。
「任せた、ザフィラ」
「この、狂人がッ!!」
怒声とともに、ザフィラが怜司の前に躍り出た。
跳躍してきた多脚兵器の刃を、戦弦槍の柄で受け止める。鋼と鋼が激突する甲高い音が鳴り響いた。
ザフィラはそのまま槍を回転させ、石突で別の個体を打ち据えると同時に、指で弾いた弦の音を空間に響かせた。
ベンッ! トン、タ・トン!
彼女の戦闘行動が、無機質な警報音をかき消し、地下空間に力強い八ビートの『曲』を上書きしていく。
(……相変わらず、完璧なタイミングだ)
怜司は視界の端で火花を散らすザフィラの背中を感じながら、彼女の奏でる拍に自分の入力を乗せた。
防衛機構の攻撃は激しい。ザフィラは怜司を守るため、通常よりも移動範囲を制限されながらの過酷な防衛戦を強いられていた。それでも彼女は、決して曲のテンポを落とさず、怜司が入力しやすい正確な拍を供給し続けている。
五十手、八十手、百手。
怜司の指が残像を描く。左右非同期の複雑な入力も、ザフィラの生み出す強固なリズムの土台の上であれば、決して迷うことはない。
残り二十手。機械兵器が包囲を狭め、ザフィラの槍が限界の軋みを上げる。
怜司の意識は極限まで澄み渡り、最後の大サビとも言える難解な連続手印へと突入した。
【○ ● △ ―― ◆】
右手で空間を穿ち、左手で流転させ、両手を合わせて魔力を圧縮し、四拍の維持。
ザフィラが最後の一体を槍の薙ぎ払いで両断し、弦が最も強く鳴り響いた瞬間。
怜司は百二十八手目、解放の手印を叩き込んだ。
――ガシュンッ!!
凄まじい魔力の奔流が台座に流れ込み、接続されていた無数のケーブルが一斉にパージされて床に落ちた。
赤く明滅していた空間が、本来の穏やかな青白い光へと戻る。
台座の上で眠っていた少女が、ゆっくりと目を開いた。
水晶のように透き通った、青い瞳だった。
「……中枢機構、異常なし。世界魔力による強制起動を確認」
機械的で感情の読めない声。
少女は台座からゆっくりと身を起こし、滑らかな動作で床に降り立った。一切の衣類を纏っていないが、関節の継ぎ目と人工的な肌の質感が、彼女が人間ではないことを雄弁に物語っている。
彼女はまっすぐに怜司の前に立ち、その青い瞳で彼を見上げた。
「個体名『セナ』。起動者を認識。直ちに、最上位の命令を要求します」
ザフィラが警戒を解かずに槍を構えたままでいる中、怜司は汗ばんだ手を振り、赤くなった指先を休ませながら息を吐いた。
「……百二十八手。さすがに指が攣りそうだな」
怜司はセナを見下ろし、少し考える素振りを見せた。
この世界で手印魔法を使う以上、自分には決定的な弱点がある。入力中の長い無防備な時間だ。ザフィラのカバーがあるとはいえ、彼女に防御と伴奏の両方を負担させ続けるのは効率が悪すぎる。
必要なのは、どんな攻撃を受けても揺るがない、強固な盾。
「俺の命令は一つだ」
怜司はセナの目を真っ直ぐに見据えて言った。
「俺が手印の入力を終えるまで、何があっても俺を守れ」
セナは瞬きを一つし、首をわずかに傾けた。
「命令を受諾。最上位目標『マスターが手印入力を完了するまで保護する』。……当該命令を、恒久的な絶対遵守事項として中枢核に登録しました」
セナは感情のない顔のまま、深々と一礼した。
「以後、私の全機能を、マスターの保護へ優先配分します」
「……おい。なんだその気味の悪い人形は」
ザフィラが不満げに眉をひそめて歩み寄ってくる。
「私の曲があれば十分だろう。そんな得体の知れない機械を連れて歩く気か?」
『ふん、手のかかる玩具を拾ったものじゃ』
エルネリアもまた、怜司の隣に立つセナを面白くなさそうに睨みつけていた。
だが、怜司は文句を言われながらも、頼もしいパーティメンバー(タンク役)の加入に、密かにガッツポーズを握っていた。




