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第5話 原譜にない接続で、村を救う

空が、不気味な赤紫色に染まり始めていた。


 王都へ向かう街道沿いにある、数十戸ほどの小さな農村。急ぎの旅の補給のために立ち寄った怜司たちが、村の広場で水袋を満たしていた時のことだ。


 生ぬるい風が突如として突風に変わり、村を囲む防風林が悲鳴のような音を立てて大きくしなった。


「……おい、なんだあの雲」


 怜司が空を見上げて目を細める。渦を巻くような分厚い雲の隙間から、青白い稲妻とも違う、不規則な魔力の光がバチバチと瞬いていた。


「魔力嵐だ!」


 ザフィラが戦弦槍を構え、鋭い声を上げた。


「局地的に暴走した世界魔力が、大気を巻き込んで刃となって降り注ぐ自然災害だ! まずいぞ、ここは遮蔽物が少なすぎる!」


 彼女の言葉を証明するように、目に見えない風の刃が村の家屋の屋根を容赦なく引き剥がした。干し草が天高く舞い上がり、繋がれていた牛や馬がパニックを起こして柵を蹴り壊す。


 逃げ遅れた村人たちが悲鳴を上げ、広場にうずくまって頭を抱えていた。


 王国魔術師団のレオンたちは、王都への急報を優先して先行しており、この場にはいない。この圧倒的な自然の猛威から村全体を庇いきれるような大規模魔法の使い手は、怜司たち以外に存在しなかった。


『くははは! 見事な荒れ狂いようじゃな!』


 突風の中、黒いドレスを翻しながら幼女の姿をしたエルネリアが宙に浮き上がった。


『さあ、どうする奏者よ! 個の武力ではどうにもならぬ自然の猛威じゃ。貴様の手印とやらで、この大気ごとねじ伏せてみせるか?』


「……性格悪いぞ、お前。少しは黙ってろ」


 怜司は舌打ちをして、広場の中央へと進み出た。


 頭の中で、遺跡の壁画や石碑から読み取ったいくつもの譜面を高速で検索する。この規模の嵐から物理的な被害を防ぐには、相応の広域防御譜面が必要だ。


(四拍子、BPM百四十。広域結界《大地の揺り籠》。……いける)


 怜司が両手を構えた直後、村外れの巨大な大木がへし折れ、猛烈な勢いで広場へと飛来した。


 結界を張る前に押し潰される――そう村人たちが絶望した瞬間。


 ベンッ!!


 空気を震わせる重い弦の音が鳴り響き、大木が空中で粉々に砕け散った。


「余所見をするな、異邦人!」


 ザフィラが怜司の横に並び立ち、回転させた槍の石突をトン、と地面に打ち付けた。


「私が壁になる! お前は自分の曲に集中しろ!」


 言うが早いか、ザフィラは飛来する瓦礫や木材を次々と槍で弾き落とし始めた。刃が空を切る音、弦の響き、地面を蹴るステップ。嵐の轟音の中でも、彼女の生み出す戦闘の「リズム」だけは、怜司の耳にクリアに届いていた。


(……相変わらず、最高に伴奏が上手い)


 怜司は薄く笑い、ザフィラの拍に自身の入力を乗せた。


 右手で空間を捉え、左手で魔力を編み込む。一歩踏み出し、手首を返す。百手を超える複雑な結界譜の入力が、淀みなく進行していく。


 怜司の指先から溢れ出した世界魔力が、黄金色の光のドームとなって広場を中心に展開し始めた。光の膜が村を覆うにつれ、荒れ狂う風刃が弾かれ、嵐の猛威が嘘のように遮断されていく。


 村人たちから安堵のどよめきが漏れた。


 結界の構築は順調だった。完全入力まで、残り三十手。


 だが。


「……ッ?」


 手印を繋ぐ怜司の指先が、微かに震えた。


 ミスではない。入力は完璧だ。だが、結界が完成に近づくにつれて、怜司の皮膚が『異常な圧力』を感じ取っていた。


(なんだこの重圧……。いや、違う。空気が圧縮されてるんだ)


 怜司は目を凝らし、自分が構築しつつある魔法の構造を再確認した。


 古代の結界譜《大地の揺り籠》。それは外敵からの攻撃を完全に遮断する「絶対防御」の魔法だ。だが、その絶対性を担保するために、結界内部の世界魔力を極限まで圧縮し、外界との循環を完全に断ち切る仕様になっていた。


 このまま原譜通りに完全入力し、結界を閉じてしまえばどうなるか。


 外の嵐からは守れる。だが、急激に高まった内部の気圧によって、村の脆い木造家屋は内側からひしゃげ、家畜の肺は破裂し、最悪の場合、村人たちも鼓膜や内臓に致命的なダメージを負う。


 古代の人間が何を想定してこの譜面を作ったのかは知らないが、少なくとも「一般市民や家畜を守るための設計」ではなかったのだ。


欠陥譜面クソゲーじゃねえか……!)


 怜司の額に脂汗が浮かぶ。


 入力を止めるわけにはいかない。途中で投げ出せば結界が霧散し、村は魔力嵐に飲み込まれる。だが、このまま最後まで正しい手印を叩き込めば、村は結界の圧力で潰れる。


 ゲーマーとしての本能は、目の前にある「正しい譜面」を最後まで一切のミスなく打ち切りたいと強烈に主張していた。


 しかし。


「……こんなエンディング、見たくねえんだよ」


 残り十手。結界が完全に閉じる直前。


 怜司は、原譜が指定する終端の手印を意図的に『捨てた』。


 ザフィラの奏でる拍の合間、ほんのコンマ数秒の隙間に、本来の結界譜には存在しない全く別の手印を強引に割り込ませる。


 それは、以前レオンの大火球を分解し、荷運びの少年に教えた「排熱・換気」のための極めて基礎的な手印だった。


 巨大な防衛術の流れへ、小さな排気の手印を無理やり接ぎ木するような荒技。


 ギィィィンッ! と、世界魔力が不協和音を上げて軋んだ。


 本来繋がるはずのない魔力の流れが反発し、怜司の両腕に皮膚が裂けるような激痛が走る。


「ぐっ……!」


 痛みを噛み殺し、怜司は呼吸の拍を変えずに最後の入力エンターを叩き込んだ。


 瞬間。


 村を覆っていた黄金色のドームの頂点に、ぽっかりと小さな「穴」が開いた。


 外側からの風刃は防ぎつつ、結界内部で致死的なレベルまで高まっていた気圧と魔力が、その小さな排気口から上空へと竜巻のように吹き抜けていく。


 プシューッ、という蒸気を抜くような音とともに、広場の空気が一気に正常な状態へと戻った。



 数分後。赤紫色の雲は遠ざかり、魔力嵐は完全に過ぎ去った。


 結界の役割を終え、黄金のドームが光の粒子となって消えていく。


 広場には、吹き飛ばされた家屋も、潰れた家畜も、傷ついた村人もいなかった。完全な無傷。自然災害を前にして、文字通りの奇跡が起きたのだ。


「あ、ああ……助かった……」


「アンタたち、神様の使いか何かかい!?」


 へたり込んでいた村人たちが、涙を流しながら怜司とザフィラに駆け寄ってくる。


 だが、ザフィラは村人たちの歓声よりも、怜司が今しがた行った事象の異常性に戦慄していた。


「……お前、今何をした?」


 ザフィラは槍を下ろし、信じられないものを見る目で怜司を見つめた。


「発動中の古代魔法を、途中で別の形に書き換えたのか? そんなこと、どんな高魔力者にも……いや、長年曲を継いできた我々戦奏士にだって不可能だぞ!?」


 空中に浮かんでいたエルネリアも、目を丸くして怜司の周囲を飛び回っていた。


『驚いたぞ! 完全な防御機構に、即興で排気弁の仕組みを接ぎ木するとはな! わらわの譜面を勝手に弄る不敬は万死に値するが、その処理速度は褒めてやろう!』


 常識外れの離れ業。誰もが怜司の圧倒的な対応力を認め、称賛の視線を送っていた。


 だが。


 当の怜司本人は、赤く腫れ上がった自分の両手を見つめ、ひどく不機嫌そうに顔をしかめていた。


「……褒められたもんじゃねえよ」


 怜司は舌打ちをして、忌々しそうに呟く。


「最後まで繋げられなかった。終わり際に、不格好な継ぎ足しをした。……正しい終端まで、綺麗に通せなかった」


 村人や家畜を守ったという事実よりも、「原譜通りに完全再現できなかった」という一点において、怜司は今回の行動を明確な「失敗」として苛立っていた。


 だが、怜司自身はまだ、その選択を成功とは認められなかった。

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