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第34話 完璧すぎる演奏には、誰も入れない

完璧な原曲と、結界の向こうで必死に自分を呼ぶ仲間たち。その間で怜司の指先が揺れた、その時だった。


 ギャァァァァンッ!!


 尖塔を包み込んでいた、絶対に何者も通さないはずの高密度の魔力防壁。その分厚い壁が、外側からの凄まじい衝撃によって大きくひび割れた。


『……何?』


 大人の姿となったエルネリアが、微かに眉をひそめる。


「マスター!!」


 無機質な叫び声と共に、防壁の亀裂に純白の大盾がねじ込まれた。セナが自身の装甲が軋むのも構わず、ブースターを最大出力にして魔力の壁を抉り開ける。


「開けぇぇっ!!」


 そのセナが作ったわずかな隙間に、ザフィラが飛び込んだ。彼女は渾身の力で戦弦槍を突き立て、全身のバネを使って分厚い魔力の壁を物理的にかき裂く。


 さらに、その背後からノエラの嗄れた歌声が響き、強固だった結界の『何者も通さない』という意味ルールを一時的に書き換えて相殺した。


 パァァァンッ!


 ガラスが砕けるような音と共に魔力防壁が吹き飛び、嵐の中心へと三人の少女が転がり込んできた。


「……お前ら!」


 怜司が目を見開く。


 立ち上がった三人の姿は、ひどい有様だった。ザフィラのスリットドレスはあちこちが破れて素肌から血を流し、ノエラの藍黒のドレスも泥と埃にまみれ、セナの純白のケープと装甲には無数の焼け焦げた痕が残っている。


 エルネリアの異常な魔力密度の中を、無理やり突破してきた代償。


 息も絶え絶えになりながら、それでも三人は一直線に怜司の無事を確認し、彼を守るようにエルネリアとの間に立ち塞がった。


「ハァ……ハァ……待たせたな、異邦人。私たちを置いて、一人で気持ちよくプレイできると思うなよ」


 ザフィラが足の震えを隠すように、強気に口角を上げて嗤う。


『……愚かな伴奏どもめ。せっかくの完璧な舞台に、不純物が入り込みおって』


 エルネリアが、忌々しげに紫の瞳を細めた。


「来るなと言ったはずだぞ。ここから先は、第一曲を書き換えるための最後の手印だ。王都の魔力がどう逆流するか予測がつかない」


 怜司の言葉に、ノエラが首を横に振った。


「……機能が劣っていても、一緒にいさせてください。久瀬さんが一人で、全部背負う必要なんてありません」


 彼女たちの瞳には、怜司をただのプレイヤーとしてではなく、絶対に失いたくない仲間として想う強い光が宿っていた。


 王都の崩壊を止めるには、一刻の猶予もない。


「……わかった。合わせろ!」


 怜司が両手を構え直した瞬間、ザフィラたちが即座に動いた。


 トン、タ・トン! ベンッ!


 ザフィラがステップを踏んで速度を作り、セナが大盾を打ち鳴らして基準拍を刻み、ノエラが対象を限定する歌を紡ぐ。


 だが。


(……っ!?)


 三人の音が入った瞬間、怜司の脳内に強烈な『不協和音』が響き渡った。


 手印の入力タイミングが、激しく狂う。


 原因は明確だった。先ほどまで、怜司はエルネリアという世界で唯一の完全な理解者と共に、『遅延ゼロの完璧な二人用譜面』を構築していた。


 エルネリアの用意する判定ラインは、怜司の思考とコンマ一秒のズレもなく完全にシンクロしていた。その極限まで研ぎ澄まされた超高速・高精度のテンポに、結界を破って疲労困憊のザフィラたちの音が、全く追いついていなかったのだ。


 ザフィラのステップはエルネリアの拍よりもコンマ数秒遅く、ノエラの歌は息継ぎの分だけ途切れが生じ、セナの盾の音は重すぎて全体のスピードを落としてしまう。


 完璧だったはずの曲が、三人が入ってきたことでガタガタに揺れ、濁りだらけの不格好な旋律へと変わった。


(判定がズレる……! 遅い、これじゃテンポが……!)


 寸分の遅れもない合奏から、突然、息継ぎと疲労の揺れへ戻された感覚。


 王都の命運が懸かっているという焦りも相まって、怜司の脳内に、ゲーマー特有の反射的な苛立ちが沸き起こった。


「お……っ!」


(遅い! 拍を乱すな!)


 そう怒鳴りつけようと、怜司は無意識に口を開きかけた。


 だが、その言葉を発する寸前。彼の視界の隅に、ボロボロになりながらも必死にステップを踏むザフィラの、血のにじんだ脚が映った。


 ノエラの、限界を超えて喉を震わせている苦しげな横顔が見えた。


 セナの、装甲から火花を散らしながら懸命に盾を打ち鳴らす姿が見えた。


「…………っ!!」


 怜司はハッと息を呑み、血が出るほど強く自分の唇を噛み締めて、出かかった暴言を喉の奥へと強引に飲み込んだ。


(俺は……今、何を言おうとした?)


 自分のために傷だらけになり、必死になってテンポを合わせようと食らいついてきている彼女たち。


 その仲間たちに向かって、俺は『役に立たない』『道具として邪魔だ』と怒鳴りつけようとしたのか。


 以前セナが再生した完璧なノエラの歌に対して「本人の意志がない記録じゃ、合奏にならない」と言い切ったのは、他でもない自分自身だったはずだ。


 それなのに、エルネリアが用意した『完璧な原曲』の圧倒的な快感と速さに陶酔し、少しでも拍の遅れた仲間を不要な音として切り捨てようとした。


 自分が一番、仲間を『機能』としてしか評価していなかったのだ。


 その事実に気づいた瞬間、怜司の胸の奥を、吐き気がするほどの強烈な自己嫌悪が焼き焦がした。


 怜司の指の動きが乱れ、手印が一時的に停止する。


「……久瀬さん?」


「マスター、入力の遅延を検知」


 怜司の異変に気づき、ザフィラたちも音を止めた。


 ザフィラは、自分たちの音が怜司のテンポに全く追いついておらず、むしろ邪魔になっていたことを、その耳と肌で痛いほど自覚していた。彼女は悔しげに唇を噛み、それでも真っ直ぐに怜司とエルネリアを睨みつけた。


「……確かに、お前たちの作っていた曲は完璧だったよ。私たちの音が入る隙間なんて一ミリもなかった」


 ザフィラは戦弦槍を強く握りしめ、言い放った。


「だがな! 誰も入れないような、他者を寄せ付けない完璧なだけの曲なんて、ただの独りよがりだ! そんなものは『合奏』とは言わない!」


『愚かな』


 エルネリアが、ザフィラの言葉を冷酷に切り捨てる。


『不純物が混ざれば曲は穢れ、拍は遅れ、手印は乱れる。この王都を救うには、濁りを排した完全な再現こそが必要じゃ。……奏者よ、惑わされるな。その劣った伴奏どもを捨て、わらわの拍にだけ従え』


 大人の姿の魔王が、再び甘く絶対的な誘惑を怜司に囁きかける。


 だが。


「……ああ、その通りだ。お前の言う通りだよ、ザフィラ」


 怜司は深く、ひどく長く息を吐き出し、自分の中の自己嫌悪を強引に断ち切った。


 彼は顔を上げ、エルネリアの白く美しい手による完璧な導きから、意図的に自分の指をずらした。


『なっ……!?』


 驚愕するエルネリアをよそに、怜司はザフィラの遅れたステップ、ノエラの震える息継ぎ、セナの重すぎる盾の音――彼女たちが提示する、不器用でガタガタな拍に合わせて、自らの手印の入力速度を意図的に『落とした』のだ。


「遅れようが、拍が揺れようが構わない。俺が合わせる。……お前たちの音を、全部この手で拾ってやる!」


 エルネリアだけとの完全同期から離れ、怜司は原曲の美しさへの未練を残したまま、それでも泥臭く、揺らぎだらけの仲間たちと曲を繋ぐことを選んだ。


 四人の不完全で、しかし確かな意志の乗った合奏が、再び大聖堂の頂に鳴り響き始める。

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