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第32話 魔力の多さで、救える命もある

大聖堂を包み込んでいた青白い結界が弾け飛び、怜司たちが夜の王都の街路へ脱出した直後。


 彼らの眼前に広がっていたのは、文字通り『死に絶えようとする都市』の姿だった。


 大聖炉の制御権を奪ったエルネリアが、第一封印曲《還天掌》の力を解放し、王都全域の魔力ネットワークを自らの手元へと強制的に逆流させ始めたのだ。


 バチィッ……パリンッ!


 大通りを昼間のように照らしていた無数の魔力灯が、次々と音を立てて破裂し、王都の夜景から急速に光が失われていく。


 それだけではない。魔力水路を循環させていた巨大なポンプが停止し、行き場を失った水が市街地へと溢れ出し始めている。大聖堂周辺の歴史ある建造物も、その基礎を支えていた魔力的な補強が失われたことで、不気味な軋み音を立てていた。


「ひぃぃっ! な、何が起きてるんだ!?」


「灯りが……魔力車も動かないぞ! 逃げろ!」


 魔力で動く水路や街灯へ頼りきっていた市民たちは、突然すべての明かりを失って混乱し、暗闇の中を悲鳴を上げて逃げ惑っていた。


「マスター。この区画の建物の倒壊確率が危険域に達しています」


 セナが青い瞳を激しく明滅させながら警告を発する。


 その言葉を裏付けるように、怜司たちのすぐ目の前にある三階建ての豪奢な商館から、メキメキという嫌な音が響いた。


「助けて! お母さん!」


 見上げると、崩れかけたバルコニーに、逃げ遅れた母親と幼い子供の姿があった。彼らの頭上には、魔力支持を失ってひび割れた巨大な石の装飾が、今にも落下しようとしている。


「チッ!」


 怜司は即座に両手を構え、石の装飾を吹き飛ばすための《衝撃》と《分解》の複合手印を組もうとした。


 だが。


(……遅い! レスポンスが悪すぎる!)


 怜司は舌打ちをした。


 彼の手印魔法は、空間に漂う『世界魔力』を使う。しかし今、王都の世界魔力はエルネリアに吸い上げられ、指を動かしても集まりが致命的に遅かった。


 さらに、手印魔法には「正確な手順を入力するための準備時間」がどうしても必要になる。


 あちこちで同時多発的に発生する瓦礫の落下や水流の氾濫。その一つ一つに対して、長いコマンドを入力していては、コンマ数秒の命の危機には絶対に間に合わない。


(手印魔法じゃ、あの距離の瓦礫を即座に吹き飛ばせない……!)


 魔力ゼロのゲーマーが持つ、明確な仕様の壁。


 石の装飾がメキッと音を立て、バルコニーの親子へと無慈悲に落下し始めた、その絶望の瞬間だった。


 ゴォォォォンッ!!


 暗闇を切り裂くような強烈な炎の塊が、真下から落下する石の装飾を撃ち抜き、空中で見事に粉砕した。


 同時に、柔らかな突風がバルコニーの親子をふわりと包み込み、安全な地上へと静かに着地させる。


「……っ! 立てるか、今のうちに大通りへ抜けろ!」


 現れたのは、黒焦げになった王国の魔術師のローブを纏い、片手に杖を握りしめた若きエリート魔術師――レオン・グラードだった。


「レオン……!」


 ザフィラが驚きの声を上げる。


 レオンは怜司たちを一瞥したが、すぐに視線を逸らし、迫り来る水路の氾濫に向けて杖を突き出した。


 詠唱はない。コマンド入力の準備時間もない。


 ズゴォォォンッ! という音と共に、水路の縁から分厚い土の壁が一瞬にして隆起し、濁流を完璧にせき止めた。


 エルネリアが空間の世界魔力を奪い尽くそうとも、彼には関係がなかった。


 レオンは、生まれつき彼自身の内側に蓄えられた膨大な『体内魔力』を、直接燃料として燃やしているのだ。


 外部の環境に依存せず、ただ自身の意志の力だけで即座に現象を具現化する。それこそが、現代魔法と高魔力者が持つ圧倒的な『即応性レスポンス』という強みだった。


「こっちの建物の火を消すぞ! 私から離れるな!」


 レオンは血走った目で周囲を睨み、杖を振り続ける。


 炎を消し、土壁を隆起させ、落下物を風で弾き飛ばす。彼は自分の限界など気にすることなく、持てる才能の全てを、ただ目の前の市民を救うためだけに消費していた。


(……すげえな)


 怜司は、その光景から目を離せなかった。


 魔力が多いという生得の才能。それ自体は、決して悪ではない。


 現に今、その圧倒的な力と即応性のおかげで、手印魔法では間に合わなかった多くの命が確実に救われているのだ。


 高魔力は、人を救うための素晴らしい武器になり得る。


 間違っていたのは、魔力という一つの能力だけで人間の絶対的な価値を決定づけ、持たざる者を無価値な存在として迫害した『社会のルール(評価基準)』の方だったのだ。


「ぐっ……あぁぁっ!」


 連続して大魔法を行使し続けたレオンが、突如として激しく咳き込み、その鼻筋から真っ赤な血がツーッと流れ落ちた。


 いくら才能があろうと、一人で都市災害レベルの被害を抑え込むのは無謀だ。体内魔力の枯渇による強烈な反動が彼を襲い、レオンの身体が大きくよろめく。


「危ないっ!」


 崩れ落ちてきたレンガの雨が、動けなくなったレオンの頭上へと降り注ぐ。


 ガガァァァンッ!!


 その直前、純白のケープを翻したセナがレオンの前に割り込み、大盾でレンガの雨を完璧に弾き飛ばした。


「……なっ」


 驚くレオンの横を抜け、ザフィラが戦弦槍を振り回して迫り来る瓦礫を粉砕していく。


「ぼさっとするな! 魔力が尽きたなら引っ込んでいろ、エリート様!」


「少し、冷たくしますね」


 ノエラがレオンの背中にそっと手を触れ、過熱した魔力回路を鎮めるための短い治癒の歌を紡ぐ。


「お前たち……異端者が、なぜ」


「手印じゃ即応性には欠けるが……お前のカバーくらいなら、十分にできる」


 怜司は両手を構え、レオンが撃ち漏らした細かな落下物の軌道を、短い基礎手印の連発で次々と逸らしていった。


 高魔力の即応性と、手印魔法の精密な支援。


 かつて遺跡で蔑み合った魔術師と魔力ゼロの荷物持ちが、崩壊する王都の片隅で、図らずも連携して命を救い続けていた。


 数分後。


 周囲の避難が完了し、倒壊の危険が去ったことを確認すると、レオンは完全に魔力がすっからかんになり、杖を支えにしてその場に膝をついた。


 ハァ、ハァと荒い息を吐きながら、レオンは複雑な目で怜司を見上げた。


 魔力を持たない者を役立たずと見下していた彼にとって、自分の常識は完全に破壊された。だが、プライドの高い彼には、今更土下座して過去の暴言を謝罪するようなことはできなかった。


「……ふん」


 レオンは口元の血を乱暴に拭い、顔を背けた。


「……ここは私たちが食い止める。市民の避難は魔術師団の残存兵力でやり遂げてみせる」


 それは、不器用な彼なりの、最大限の譲歩と共闘の宣言だった。


「行け、異端者。……お前たちにだけ、王都を救わせはしない」


 言葉にしない謝罪と、行動で示した明確な変化。


 怜司はそんなレオンの姿を見て、ふっと小さく笑い、親指を立てて見せた。


「……いい働きだったぜ、エリート」


 それだけ言い残し、怜司は踵を返した。


 市民の避難はレオンたちに任せられる。ならば、俺たちがやるべきことは一つだ。


 怜司たちの視線の先には、すべての魔力を吸い上げ、不気味な光の渦を纏ってそびえ立つ大聖堂の尖塔があった。


 あの頂に君臨する、完璧な原曲を押し付けようとする魔王。


 王都の崩壊を根本から止めるため、怜司たちは大人の姿へと成長したエルネリアの待つ、最終決戦の舞台へと走り出した。

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