第3話 その槍は、戦場で歌う
「答えろ、異邦人。その曲、私たちの部族からどこで盗んだ?」
薄暗いベースキャンプの入り口で、褐色肌の少女が怜司を真っ直ぐに睨みつけていた。
黄金色の瞳には明確な敵意が宿っている。彼女の右手には、身の丈を越える巨大な槍が握られていた。ただの槍ではない。長い柄に沿うように、太さの異なる金属の弦が何本もピンと張られている。先ほど鳴り響いた重低音は、彼女がその弦を弾いた音だった。
「盗んだ覚えはないけど」
怜司は突きつけられた穂先よりも、その異形の武器の構造に興味を惹かれていた。
槍でありながら、弦楽器の構造を備えている。実用的なのか、それとも儀式用なのか。怜司の視線が自分の武器を値踏みしていることに気づき、少女は不快げに眉をひそめた。
「誤魔化すな。先ほどの炎を消した手の動き、そして指の弾き方。我ら戦奏民の『曲』の概念に酷似している。魔力を持たない者が、教えもなしに外の力(世界魔力)を操るなどあり得ない」
「戦奏民……?」
怜司が聞き返すと、横からレオンが忌々しそうに舌打ちをした。
「辺境の野蛮な戦闘部族だ。なぜこんな遺跡の近くをうろついているのかは知らんが、今は貴様に構っている暇はない! 退け!」
レオンの怒鳴り声には、先ほどまでの余裕が一切なかった。それもそのはずだ。王都で二十一日後に行われる大祭の紋章と、この遺跡の第一封印曲の起動システムが繋がっていることが判明したのだ。
このまま放置すれば、王都全域の人間から体内魔力が根こそぎ奪われる。
「全隊、直ちに撤収準備! 不要な荷物は捨て置け! 一刻も早く王都へ戻り、魔術師団本隊と教会へ急報を入れるぞ!」
調査隊の面々が血相を変えて走り回る。
その慌ただしさの中、少女――ザフィラは、レオンの威嚇を鼻で笑って受け流すと、再び怜司へと視線を戻した。
「逃がさない。お前がただの盗人か、それとも違うのか、私の目で確かめさせてもらう」
そう言い放ち、ザフィラは勝手に調査隊の撤収の列に加わった。レオンは追い払おうとしたが、彼女の槍から放たれる独特の威圧感と、何より時間が惜しいという理由から、舌打ちをして黙認するしかなかった。
*
遺跡を後にした調査隊は、王都へと続く鬱蒼とした深い森を急ぎ足で進んでいた。
怜司は背負い袋の紐を握りながら、斜め前を歩くザフィラの背中を観察していた。歩幅、呼吸のペース、足が地面を蹴るタイミング。彼女の動きには、無駄なブレが一切ない。まるで自分の中にメトロノームを持っているかのように、一定のリズムを刻み続けている。
その時だった。
風の音が、不自然に途切れた。
「――上だ! 散開しろ!」
レオンの叫びと同時に、頭上の樹上から無数の黒い影が降り注いだ。
刃のように鋭い爪を持った、四つ足の魔獣の群れだった。大きさは人間ほどもある。風刃狼と呼ばれるその魔物は、木々の幹を蹴り、立体的な動きで調査隊を取り囲んだ。
「陣形を組め! 私が焼き払う!」
レオンが杖を構え、体内魔力を練り上げる。先ほど大火球を作った時と同じ、膨大な魔力。
だが、放たれた炎の槍は、風刃狼の残像を焼いただけだった。
「チィッ、速すぎる!」
現代魔法の発動は速い。だが、レオンの魔法は『一点に高火力を叩き込む』ことに特化しており、四方八方を高速で飛び回る複数の標的を捉えるのには向いていなかった。
隊員たちが剣を抜いて応戦するが、魔獣の素早い連携の前に次々と傷を負っていく。
怜司は荷物を下ろし、両手を構えた。
手印で広範囲の攻撃、あるいは防御陣を張る。だが、周囲の風音も、木々のざわめきも、魔獣の不規則な足音も、乱れすぎていて『拍』として掴めない。
(BPMが定まらない。これじゃ入力に遅延が出る……)
焦りかけたその時。
ベンッ! と、空気を切り裂くような鋭い音が鳴った。
ザフィラだ。彼女は自ら前線に飛び出すと、迫り来る魔獣の爪を巨大な槍の柄で弾き飛ばした。
その衝撃の瞬間、彼女の指が柄に張られた弦を弾いていたのだ。
「下がっていろ、魔術師。お前たちの大振りな魔法では間に合わない」
ザフィラは冷たく言い放つと、魔獣の群れの中心へと躍り出た。
そこからの彼女の動きは、怜司の目を釘付けにした。
ザフィラが槍を回転させるたびに、石突が硬い地面を叩く。トン、という重い音。
刃が魔獣の皮膚を浅く切り裂く、ヒュッ、という風切り音。
そして、攻撃の軌道を変化させるたびに指で弾かれる、ベンッ、という弦の響き。
それらは決してランダムな騒音ではなかった。
ステップを踏み、攻撃を躱し、刃を振るう。その一連の戦闘行動が、見事な八ビートの『曲』を構成しているのだ。
休符すらも計算された、完璧なテンポ。
(……なんて、読みやすい譜面だ)
怜司の口角が自然と上がった。
自然の風音や環境音に合わせるのとは次元が違う。明確な意志を持ち、一定の速度を維持しようとする『人間の演奏』。
怜司はザフィラの足運びから曲の速さを読み取った。
弦の音が鳴る瞬間が、手印を入力する『判定位置』だ。
怜司の指が、空中で複雑な軌道を描き始める。
右手で三拍子を刻み、左手で雷撃の基礎印を編む。
ザフィラが踏み込み、地面を叩いた瞬間に第一手。
槍を振るい、弦が鳴った瞬間に第二手、第三手。
ザフィラの奏でる戦闘の音楽に、怜司の手印が完全に同調していく。
「……なっ!?」
戦いながら、ザフィラは背後にいる怜司の異常に気づいた。
自分が意図して作っている戦闘の拍に、寸分の狂いもなく『別の魔力』が乗っかってきている。まるで、自分の演奏を裏側から支える完璧な伴奏者のように。
「そこだ!」
怜司が叫ぶと同時。
ザフィラが魔獣に向けて薙ぎ払った槍の軌道に沿って、青白い『雷』が走った。
ただ放たれた雷撃ではない。ザフィラの槍の刃先を導線とし、彼女の攻撃範囲をそのまま十倍に拡張するような、極めて特殊な付与魔法。
「ッ――!」
ザフィラは一瞬目を見開いたが、すぐに自身の曲の速度を上げた。
トン、タ・トン! ベンッ!
弦の音と足音が加速する。怜司の指の動きもそれに追随する。
雷を纏ったザフィラの槍が、森の中を乱舞する。彼女が弦を弾き、刃を振るうたびに、強烈な雷の斬撃が空間を切り裂いた。
素早い魔獣たちも、自らを追尾してくるように広がる雷の網からは逃れられない。
断末魔の悲鳴すら雷鳴にかき消され、わずか数十秒後には、十数頭いた魔獣の群れはすべて黒焦げになって地面に転がっていた。
*
森に静寂が戻った。
焼き焦げた草木の匂いと、静電気の名残が空気をピリピリとさせている。
レオンをはじめとする調査隊員たちは、腰を抜かしたまま、褐色肌の少女と魔力ゼロの青年の背中を交互に見つめていた。
高火力の魔法と、高速の近接戦闘。相反するはずの二つの技能が、まるで初めから一つの生き物であったかのように完全に噛み合っていたのだ。
ザフィラは肩で息をしながら、槍を杖代わりに地面へ突き立てた。
彼女は振り向き、怜司を睨みつける。
「……お前、今の雷はなんだ。私の槍の動きに、完全に魔力を乗せていたな。どうやって私の拍を読んだ?」
怒っているというよりは、混乱しているようだった。戦奏士の曲は、一族の者でなければ容易には合わせられない。それを、出会ったばかりの異邦人が、初見で完璧に同調してきたのだ。
だが、怜司は彼女の警戒心など意に介さず、ひどく満足げな表情で両手を下ろした。
「いや、助かった。君の曲、手印を置く場所がすごく分かりやすい」
「……は?」
「弦が鳴る直前、踏み込みの溜めでほんの一瞬だけ予告してくれてるだろ。おかげで次の手印を置きやすかった。君の拍があると、一人でやるよりずっと精密に組める」
怜司は純粋な称賛のつもりだった。
ゲームにおいて、タイミングを取りやすいリズムを提供してくれる環境は、プレイヤーにとって至上の価値がある。彼はザフィラの技能の細部を正確に観察し、その機能性を高く評価したのだ。
だが、その言葉を聞いた瞬間、ザフィラの頬がカッと赤く染まり――直後、激しい怒りがその顔を覆った。
「ば、伴奏……だと!?」
ザフィラは地面に突き立てていた槍を勢いよく引き抜き、その穂先を怜司の鼻先へと突きつけた。
「ふざけるな! 戦奏士である私が、なぜお前の手印の『伴奏』扱いされなければならない! 私の槍が主旋律だ!」
「いや、伴奏ってのはそういう意味じゃなくて……」
「言い訳は聞かない! 私に合わせておいて、自分の方が主導権を握っていたような口ぶり、絶対に許さない!」
ザフィラは黄金色の瞳を吊り上げ、ギリッと牙を見せるように笑った。
「いいだろう。そこまで自信があるなら、試してやる。どちらが本物の主旋律か、次の戦闘で正式な『演奏勝負』で決着をつけてやるからな!」
一方的に宣戦布告を叩きつけられ、怜司は困惑して首を掻いた。
だが、その目には面倒くささよりも、難易度の高い譜面を前にしたゲーマー特有の、抑えきれない好奇心の光が灯っていた。




