第2話 偶然だと言うなら、もう一度やる
古代遺跡の深部から第一層のベースキャンプへ帰還するまでの間、調査隊は重苦しい沈黙に包まれていた。
死の淵から生還した安堵よりも、目の前で起きた理解不能な現象に対する困惑が勝っていたのだ。無理もない。王国魔術師団のエリートであるレオンの最大火力を無傷で弾き返した守護魔獣が、魔力を持たないはずの異邦人の「手の動き」だけで、文字通り霧散したのである。
ランタンの灯りが揺れるベースキャンプに戻るなり、張り詰めていた糸が切れたようにレオンが声を荒らげた。
「あり得ない! 断じてあり得ない!」
彼は血走った目で怜司を睨みつけ、持っていた杖の石突を激しく床に打ち付けた。
「体内魔力ゼロの人間が、大魔法を行使するなど物理法則に反している! 貴様、遺跡の防衛装置を停止させる隠しスイッチか何かを偶然踏んだな!?」
周囲の隊員たちも、レオンの言葉にすがるように頷き合っている。
この世界において、魔法とは生まれ持った体内魔力を燃料として燃やすものだ。魔力の多寡が身分や価値を決定づける社会構造の中で、「魔力ゼロの人間が自分たち以上の魔法を使った」という事実は、彼らのアイデンティティそのものを破壊しかねない猛毒だった。
だから、レオンは否定するしかなかった。あれは偶然作動した遺跡のギミックであり、異邦人の実力ではないのだと。
怜司は背負っていた重い荷物をドサリと床に下ろし、手首に残った痛みを確かめるように軽く指を鳴らした。
レオンの必死な形相を見ても、怜司の心に怒りは湧かなかった。ただ、自分が完璧に入力した譜面を「偶然踏んだスイッチ」と同列に扱われたことに対してのみ、静かな不満を感じていた。
苦労して一曲を繋ぎ切った記録を、偶然の誤作動と決めつけられたような気分だ。
「……偶然だと言うなら、もう一度検証すればいいじゃないですか」
怜司の淡々とした提案に、レオンの顔が屈辱で朱に染まる。
「私を愚弄するか、無能が! いいだろう、ならば私の魔法をそのインチキな手真似で消してみせろ!」
レオンは杖を構え、全身から膨大な体内魔力を立ち昇らせた。
現代魔法の最大の強みは、その即応性にある。複雑な動作や準備時間を必要とせず、ただ己の魔力量という暴力的な数値を叩きつけることができる。
レオンの杖の先端に、先ほどの遺跡深部で放ったものと同等か、それ以上の密度を持った大火球が顕現した。周囲の空気がチリチリと焦げ、隊員たちが熱に耐えかねて後退する。
「死んでも文句は言わさんぞ!」
放たれた大火球が、轟音を立てて怜司へ迫る。
だが、怜司は一歩も引かなかった。彼の目は、燃え盛る炎の熱や質量ではなく、その魔法を構成している『構造』だけを観察していた。
(魔力出力は高いが、結合の周期が単調すぎる。四拍子、BPMは百二十)
相手の入力テンポさえ把握できれば、それを相殺するための譜面を組み立てるのは容易い。
炎が怜司を呑み込む直前。彼の両手が、滑らかな軌道を描いて虚空を叩いた。
先ほどの百二十手にも及ぶ大譜面ではない。そこから抽出した、ごく短い四手だけの基礎手印。
右手で空間を捉え、左手で反転させ、交差させてリズムを同調させ、炎の周期が最も弱まる瞬間を狙って解放する。
怜司の指先から命令を受けた『世界魔力』が、レオンの大火球の構造へ割り込んだ。
直後。
爆発音は鳴らなかった。大火球は怜司の目の前で見えない壁に衝突したように静止し、次の瞬間、まるで幻だったかのようにパラパラと無害な火の粉になって霧散した。
熱気だけが吹き抜け、怜司の髪を揺らす。
「なっ……!?」
レオンは杖を構えた姿勢のまま、間抜けな声を漏らして硬直していた。
「今度はスイッチを踏んでませんよ。魔法の構成パーツを外して、エラーを起こさせただけです」
怜司はそう言って、呆然とする調査隊員たちを見渡した。
「俺自身に魔力がないのは本当です。俺が使ったのは、自分の燃料(体内魔力)じゃない。空気中に漂っている魔力(世界魔力)に、指の形とリズムで外部から命令を与えたんです」
誰も言葉を発せない。
怜司は視線を巡らせ、一番後ろで震えていた小柄な少年に目を止めた。調査隊の荷運びとして雇われている、最も体内魔力が低いであろう少年だ。
「君、ちょっとここに来て」
「えっ、あ、はい……っ」
怯える少年を前に立たせ、怜司は自分の両手を少年の目の前に差し出した。
「今俺がやった四つの動き、ゆっくりでいいから真似してみて」
少年はおずおずと見よう見まねで手を動かした。だが、何も起きない。
「ほら見ろ! やはり貴様だけが何か特殊な細工を……」
息を吹き返したように叫ぶレオンを無視し、怜司は少年の姿勢を正した。
「違う、形だけじゃ駄目だ。小指の角度が内側に入りすぎている。それと、三手目の交差の時に息を止めるな。呼吸もリズム(拍)の一部だ。焦って三拍目を走ってるぞ、もっと自分の心音を意識して、一定の速度で入力しろ」
ゲームセンターで、初心者の無駄な力みや姿勢を修正する時と同じだった。
手印魔法に精神論や気合は必要ない。要求されるのは、システムに対する精密な入力のみ。
「……こう、ですか」
「そう。そのまま、一定の速度で」
少年が、教えられた通りの角度、呼吸、速度で四つの動作を終えた瞬間だった。
パチッ、と。
少年の指先から、小さな、しかしはっきりとした火花が散った。
「あ……」
少年が信じられないという顔で自分の手を見る。
ベースキャンプは、水を打ったような静寂に包まれた。誰もが、今起きたことの意味を理解し、背筋に悪寒を走らせていた。
体内魔力が空っぽの異邦人が、高魔力者の大魔法を無効化した。
それどころか、魔法の才能など欠片もないはずの荷運びの少年が、正しい入力さえ行えば魔法の片鱗を引き出したのだ。
誰でも即座に大魔法が使えるわけではない。だが、訓練さえ積めば、魔力を持たない平民であっても魔法を行使できるという事実は、この世界の価値観と階級制度を根底から揺るがすものだった。
「……信じられん。これは、歴史がひっくり返るぞ……」
調査隊の学者が、震える声で呟いた。
だが、事態は彼らが考えるような学術的な発見では済まなかった。
「隊長! レオン隊長!」
別の学者が、遺跡の奥から持ち帰った石版の写しを握りしめ、血相を変えて駆け寄ってきた。
「先ほど起動した防衛装置の台座にあった紋章の解析が完了しました! これを見てください。二十一日後に王都で開催される『大祭』の紋章と、寸分違わず一致しています!」
その報告を聞いた瞬間、怜司の脳内に、再びあの尊大な老女の声が響いた。
『くくく。その通りぞ、わらわの奏者よ』
(あんた、王都に何を仕掛けた)
怜司が内心で問いかけると、声は楽しげに嗤った。
『第一封印曲《還天掌》。その真の対象は、王都に住まう全人類じゃ。二十一日後の大祭、王都の中心で歌われる聖歌の拍と、わらわの封印曲が共鳴する。その時、王都全域から体内魔力をすべて奪い尽くし、世界へ還元してくれよう』
それは、明確なタイムリミットの宣告だった。
『今の第一曲には、失われた制御が三つある。止めたければ、それを探せ。何が欠けておるかまで、今ここで親切に教えてやる気はないがな』
「三つ、か」
怜司は痺れの残る指を握った。
「なら当面の攻略ルートは決まった。三つの不足部分を探して、第一曲を止める」
魔力に依存しきった王都の設備と人間たちから力を抜き取れば、数え切れないほどの死者が出る。第一曲を最後まで通した代償は、想像以上に重かった。
調査隊の面々が、予想外の危機的状況に青ざめ、口々に王都への急報を叫び始める。
その喧騒の中。
ベンッ、という鋭い音が、ベースキャンプの入り口で鳴り響いた。
太い弦を弾いたような、重く、空気を震わせる音。
誰もが入り口へ視線を向ける。
そこに立っていたのは、独特な民族衣装を身に纏った、褐色肌の少女だった。
彼女の右手には、身の丈ほどもある巨大な槍が握られている。ただの槍ではない。柄の部分に沿って、楽器のような太い弦が何本も張られた異形の武器だった。
少女は、黄金色の瞳で怜司を真っ直ぐに射抜いていた。
「……お前」
彼女は槍の石突をトン、と床に打ち付け、静かに怒りを滲ませた声で言った。
「その曲、私たちの部族からどこで盗んだ?」




