第29話 全員が同じ拍なら、誰も間違えない
大聖堂の地下に眠る巨大な装置、大聖炉。
カリオンの手によってその心臓部が強制起動された瞬間、王都の地盤が低く重い音を立てて鳴動した。
ズンッ……ズンッ……ズンッ……。
足元から伝わってくるのは、正確無比なBPM六十の震え。
その直後、礼拝堂の空気が一変した。
「……な、何だ?」
ザフィラが戦弦槍を構えたまま、怪訝な声を上げる。
先ほどまでパニックに陥り、バラバラに魔法を放っていた数百人の魔術師、聖歌隊、そして教会騎士たちの動きが、唐突にピタリと停止したのだ。
まるで、時間を止められたかのように。
そして次の瞬間。数百人の人間が、全く同じタイミングで瞬きをし、全く同じ速度で胸を上下させて呼吸を始め、一糸乱れぬ動きで武器と杖を構え直した。
「マスター。敵対対象の魔力波長が、完全に単一のサインカーブへと統合されました」
セナの青い瞳が、警告の赤色を帯びて激しく明滅する。
「全員のバイタルサインが、地下の大聖炉の駆動音と強制的に同期しています。個別の意志決定プロセスは確認できません」
「……これが、カリオンの言っていた『秩序』か」
怜司は背筋に冷たいものを感じながら、眼前の異様な光景を睨んだ。
魔力を持たない者は切り捨て、魔力を持つ者は大聖炉のネットワークに強制接続して体内魔力を統制する。
そこに個人の感情も躊躇も恐怖も存在しない。全員が、たった一つの巨大なオルゴールの歯車となり、決められた譜面を機械のようになぞるだけの部品へと変わっていた。
誰も間違えない。だが、誰の意志もそこにはない。
「放て」
祭壇の上に立つカリオンが、タクトを振るように指を落とした。
数百の杖の先から、炎、氷結、雷撃といったあらゆる属性の魔法が、寸分の狂いもない完璧なタイミングで同時に放たれた。
魔法同士が干渉して威力を減衰させることはない。完全に同期した魔力は恐ろしいまでの相乗効果を生み出し、礼拝堂を埋め尽くすほどの光と熱の絶壁となって怜司たちへと押し寄せてきた。
「防衛ライン、最大出力!」
セナが大盾を地面に突き立て、魔力障壁を何重にも展開する。だが、絶対的な拍に統率された分厚い魔法の波は、セナの装甲を瞬く間に削り取っていく。
(……このままじゃ押し潰される。俺が手印で相殺するしかないが……!)
怜司が両手を構える。だが、彼の身体は本能的な不快感に縛られていた。
空間全体を支配する、BPM六十の巨大で単調な強制拍。これに自分の入力タイミングを少しでも合わせてしまえば、システムに同調させられ、自分自身も大聖炉の歯車に組み込まれてしまうという直感があった。
かといって、完全にリズムを無視して手印を組めば、世界魔力と反発して暴発する。
「チッ……あんな気持ちの悪い単調な曲に、私が合わせてたまるか!」
その極限の重圧を打ち破ったのは、ザフィラだった。
彼女は巨大な音の壁に怯むことなく、戦弦槍を振るってセナの横へと飛び出した。そして、地鳴りのようなBPM六十の強制拍に対し、意図的に三連符や裏拍を交えた、極めて不規則で攻撃的なステップを刻み始めたのだ。
トン、タ・タ・トン! ベンッ!
「マスター。被弾の衝撃角をズラし、不規則音を生成します」
セナもザフィラの意図を察し、大盾の角度を細かく変更して、魔法が着弾する音のタイミングを意図的にバラけさせた。
二人の前衛が作り出したのは、大聖炉の秩序を真っ向から否定する『即興』の乱れだった。
「……上等だ」
怜司の口角が吊り上がる。
敵の攻撃は機械のように完璧だからこそ、一切の『遊び』がない。
怜司はザフィラとセナが生み出した変則的な拍を足場にして、敵の弾幕のタイミングの隙間(休符)を縫うように、極めて短い手印をランダムな速度で差し込んでいった。
予測不能な即興のカウンターが、寸分の狂いもない完璧な弾幕の死角を突いて、着実に防御壁をこじ開けていく。
怜司たちは押し潰されることなく、少しずつ祭壇の中央へと前進していた。
「……無駄な足掻きを。大聖堂の魔力は無尽蔵だぞ」
カリオンが顔をしかめ、さらなる一斉射撃を命じようとした。
だが、その時。
藍黒のドレスを纏ったノエラが、怜司の背中からスッと前に出た。
彼女は目を閉じ、両手を胸の前で組み合わせて、深く息を吸い込んだ。
――♪……。
礼拝堂に響き渡ったのは、教会の教義に則った、誰の顔も思い浮かべない均質化された『正しい聖歌』ではなかった。
それは、かつて彼女が貧民の子供を救うために歌い、教会から異端として追放される原因となった『禁じられた子守歌』。
特定の個人の名前、愛する者への祈り、今日を生き延びたいというささやかな願い。そうした、教会にとっては削るべき私情だったものが、たっぷりと込められた歌。
ノエラの声が、大聖炉が支配する均等な魔力ネットワークに直接、そして強烈に干渉した。
「う……あ……?」
強制同期させられていた最前列の騎士が、唐突に構えていた剣を取り落とした。
彼の目に、無表情な人形のような光はなく、故郷に残してきた家族の記憶がフラッシュバックしていた。
「あ、ああ……私は、何を……」
隣の魔術師の杖を持つ手が震え、呼吸のタイミングがズレる。
ノエラの歌が呼び起こした個人の感情と記憶が、大聖炉の絶対的な拍を内側から食い破ったのだ。一糸乱れぬ完璧なタイミングは崩壊し、数百人の間にコンマ数秒のズレが生じ始める。
ズレた状態で放たれた魔法は、互いに干渉し合い、空中で相殺され、あるいは暴発して自壊していった。
完璧な軍隊による一斉射撃は、たった一人の少女の歌声によって、完全な瓦解へと追い込まれた。
「馬鹿な……! 大聖炉の同調が、あのような低俗な雑音に乱されるなど!」
祭壇の上で、カリオンが声を荒らげた。
自らが築き上げようとした完璧な秩序の崩壊。焦燥に駆られたカリオンは、制御盤に両手を叩きつけ、自身の膨大な体内魔力を直接流し込んだ。
「出力を上げろ! 強制的に上書きしてやる!」
だが、それは致命的な悪手だった。
ノエラの歌で同調を崩され、魔力の流れが乱れていた大聖炉は、カリオンの強引な魔力注入を受け止めきれなかった。
バチィィィンッ!
耳障りな破裂音とともに、制御盤から強烈な魔力の渦が逆流した。
「ぐあぁぁっ!?」
カリオンの身体が宙に浮き、制御盤から発生した青白い光の奔流に飲み込まれていく。
均衡を失った大聖炉は、乱れた流れを埋めるため、もっとも近くにある強大な魔力源――管理者であるカリオン自身を、ただの燃料として分解し、吸収し始めたのだ。
「カリオン様!」
我に返った騎士たちが叫ぶが、逆巻く魔力の嵐に阻まれて近づけない。
「……自業自得だな。自分の作った炉に食われるとは世話がない」
ザフィラが槍を下ろし、冷たく吐き捨てた。彼が助かる見込みはないし、助ける義理もない。
しかし。
ダボついた藍黒のドレスの裾を翻し、迷うことなく祭壇の階段を駆け上がった者がいた。
ノエラだ。
「ノエラ!?」
怜司の静止の声も聞かず、ノエラは吹き荒れる魔力の嵐の真っ只中へと飛び込んだ。
彼女は両手でカリオンの右腕を力いっぱい掴むと、踏ん張って彼を光の渦から引き剥がそうとする。
「放せ……! 私は、貴様を追放し……道具として利用したのだぞ……!」
魔力に身体を焼かれながら、カリオンが掠れた声で唸る。なぜ、自分を迫害した人間を助けようとするのか。
ノエラは、気怠げな瞳を少しだけ細め、ただ真っ直ぐにカリオンの目を見た。
「……教会の正しい規則なら、あなたを見捨てるのが正解なのかもしれません」
彼女はもう、教会の都合の良い歌唱装置ではない。
「でも……私は、私があなたを助けたいと思ったから、助けるんです」
ノエラの強い意志の言葉と同時に、怜司が階段を駆け上がり、二人の間に《解呪》の短い手印を叩き込んだ。
魔力の繋がりが断ち切られ、カリオンの身体が祭壇の床へと転がり落ちる。
激しく咳き込むカリオンを見下ろしながら、怜司は静かに息を吐いた。
大聖堂を支配していた異常な同期は解け、管理社会の象徴であった大聖炉の暴走は、一人の少女の『個人の意志』によって完全に打ち砕かれたのだった。




