第25話 譜面には、二つの終わりがある
戦奏試合の熱狂が冷めやらぬ、王都地下の潜伏集落。
長老から客人として迎えられた怜司たちは、集落の奥に用意された広いテントの中で、ランプの灯りを囲んで休息を取っていた。
怜司は床に腰を下ろし、長老から譲り受けた『失われた終止部』の石版を広げ、その解読に没頭していた。大聖堂の地下で大聖炉の強制同期システムを止めるためには、第一封印曲《還天掌》のこの最終譜面を完全に頭に叩き込んでおく必要がある。
「おい、あまり目を酷使するな。明日の潜入に響くぞ」
背後から、ザフィラがぶっきらぼうな声をかけながら、怜司の肩に手を置いて軽く揉みほぐした。彼女の手のひらには弦を弾き続けた硬いタコがあるが、その力加減は驚くほど絶妙で心地よい。
「……お疲れ様です、久瀬さん。温かいお茶、淹れました」
ノエラが静かな足取りで近づき、湯気の立つ木製のカップを怜司の傍らにそっと置く。
「ありがとう。二人とも、今日は助かった」
怜司が礼を言うと、二人の少女はそれぞれ少しだけ頬を染め、視線を逸らした。
激戦と逃亡を共に乗り越え、彼女たちの間にも「一つの楽団」としての自然な距離感と信頼が生まれつつあった。
『ふん、安っぽい労い合いじゃな』
そんな穏やかな空気を断ち切るように、テントの奥の寝台から少女姿のエルネリアが身を起こした。彼女は美しい銀髪を揺らし、石版を見下ろして不敵に笑う。
『さあ奏者よ、わらわの完璧な原曲の結末を拝むがよい。それがどれほど緻密で、無駄のない美しい譜面であるか、貴様の目にもわかるであろう?』
「確かに、複雑だがロジックは通ってる。よくできた譜面だ」
怜司はカップを手に取り、お茶で喉を潤しながら石版の図形を指でなぞった。
幾重にも重なる魔力の経路。それが最後に一点へと向かっていく。
「最後の一連の動作は……こうだな」
【収束 ―― 反転 ―― 封滅】
すべての魔力を一点に集め、そのベクトルを完全に裏返し、事象そのものを封じ込めて滅する。
それが、この石版に記された第一曲の終わりの形だった。
この通りに一手も違えず完奏すれば、第一曲は間違いなく終わる。だが、その時に王都の魔力がどうなるのか、術者である自分がどうなるのかまでは、図形から読み取れなかった。
「マスター」
テントの入り口で警戒に立っていたセナが、不意に振り返った。
彼女の青い瞳が、演算中であることを示すように規則的に明滅している。
「石版の譜面と、これまで記録した第一曲の魔力波長、および大聖堂地下で観測した大聖炉の構造を照合しました。……結果、終止部に二重の流れを検出しました」
「矛盾? どういうことだ」
怜司が問い返すと、セナは無表情のまま石版の最後の図形を指差した。
「この譜面は、単一の結末へ向かう一本道ではありません。表層の暗号化を解除して解析した結果、もう一つの隠された回路が存在します」
「隠された回路……」
「はい。この第一封印曲には、二種類の終わり方があります」
セナの言葉に、ザフィラとノエラが息を呑み、エルネリアの眉がピクリと動いた。
「一つは、この石版の表に記された通りに閉じる『終端』です。これを実行した場合、魔力は固定され、原曲を作った者の意図通りに事象が凍結します」
つまり、エルネリアが定めた通り王都の全人類から魔力を奪い尽くすか、第一曲そのものを力ずくで封じ、術者も激しい逆流を受ける結末だ。
「そしてもう一つが、書かれていない別の結末へ移るための『派生路』です」
「分岐……。つまり、原曲通りに終わらせるんじゃなく、その先へ進んで、魔法の効果そのものを別の形に『書き換える』ことができるってことか?」
怜司の目が、ゲーマー特有の鋭い光を帯びた。
ただのクリアではない。隠しルートを通って、ゲームの結末そのものを変えることができるのだ。
「肯定します。その派生路へ入ることができれば、王都の魔力を奪う対象指定を解除し、別の無害な働きへ書き換えることが理論上可能です」
「でかした、セナ! それなら王都の人たちを誰も犠牲にせずに済む!」
ザフィラが身を乗り出し、ノエラもパッと顔を明るくした。
だが、怜司は冷静だった。隠しルートがあるなら、そこへ入るための厳しい『条件』が存在するはずだ。
「セナ。その分岐の扉を開くための条件はなんだ? 特定の手印を追加するのか?」
「いいえ、手印の追加ではありません」
セナは首を横に振り、淡々とした声で最大の謎を提示した。
「派生路が開く条件は、最後の手印において、譜面にもマスターの命令にも存在しない『予測不能な一拍』が、定められた間へ入ることです」
「予測不能な、一拍……?」
怜司は眉をひそめた。
音楽において、譜面にない音を鳴らすのはただのミスタッチだ。
「要するに、わざとミスをして判定をズラす(ニアピンを出す)か、乱数を使ってランダムなタイミングで入力すれば、それがフラグになって分岐が開くのか?」
「否定します。意図的な失敗や、機械的に作った乱れは、世界魔力にただの誤りとして退けられ、暴発を招きます」
セナの青い瞳が、怜司を真っ直ぐに見つめる。
「条件を満たすのは、合理的な予測では説明できないのに……同時に、明確な『意味』と『意志』を持った一拍だけです」
乱数でもなく、計算されたミスでもない。
全く予測不能でありながら、そこに確かな必然性を持った音。
そんな矛盾した一拍を、どうやって戦闘の極限状態で作り出せというのか。
『くははははっ!』
エルネリアが、ベッドの上で腹を抱えて笑い出した。
『傑作じゃな! 機械人形の言う通り、わらわの譜面には確かに遊びの余地が残されておる! だがな、奏者よ。理から外れながら意味を持つ一拍など、所詮は人間には作り出せぬ幻に過ぎん!』
少女魔王は怜司を指差し、嘲るように告げた。
『大人しく諦め、わらわの完璧な原曲を一手の乱れもなく完奏するがよい。それが貴様ら人間に許された、唯一の美しい結末じゃ』
予測不能な一拍など存在しない。エルネリアの言葉は、ある種の絶対的な真理のように響いた。
だが。
「……悪いな、魔王」
怜司は石版から視線を上げ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「なら、その一拍が本当に存在するか、試してみる価値はあるな」
ザフィラの奏でる限界を超えた速度。ノエラの歌が書き換える対象。セナの刻む強固な基準拍。
この楽団なら、きっと作れる。
「まずは、その書かれていない一拍を見つける。話はそれからだ」
「マスター。もう一点あります」
セナは石版の最下部、ほとんど摩耗して見えない印へ指を置いた。
「派生路を開いた後、新たな終止部を第一曲へ定着させるには、原曲を生んだ者と同じ『歌の印』が必要です」
全員の視線が、エルネリアへ集まった。
『わらわが人間どもの改変を認め、歌を添えるとでも思うたか? 夢を見るでない』
エルネリアは鼻で笑った。だが怜司は、石版のその印を目へ焼きつけた。派生路を開くだけでは足りない。最後には、原作者である魔王自身へ選ばせなければならない。
怜司がなおも引かないのを見て、ザフィラが「当然だ」と嗤い、ノエラが力強く頷く。
セナは無表情のまま、ただ静かに「マスターの生存確率を最大化します」と告げた。
大祭まで、残り時間は少ない。
第一封印曲を完全に打破するための『二つの終わり』。その隠された真の結末を目指し、彼らは王都の中枢へ向かう決意を新たにした。




