第24話 勝者への褒美は、次の新曲
地下空洞の広場に、しばしの静寂が落ちていた。
部族が誇る精鋭軍楽隊の十人が、たった二人の奏でた未知の旋律の前に為す術もなく吹き飛ばされ、地に伏している。
松明の炎がパチパチと爆ぜる音だけが聞こえる中、やがて一人の戦奏士が震える手で自身の武器を高く掲げた。
「おお……おおぉぉぉっ!!」
それを皮切りに、すり鉢状の観客席から地鳴りのような歓声と熱狂が爆発した。
異邦人に曲を渡したという糾弾の空気は、もはや微塵も残っていなかった。彼らが先ほど目の当たりにしたのは、部族が何百年も求め続け、ついに辿り着くことができなかった『曲の果て』。限界を超えた速度の中で産み落とされた、全く新しい終止部の完成形だったのだ。
音楽と力を絶対の掟とする戦奏民にとって、それ以上の証明は不要だった。
長老がゆっくりと進み出た。彼の顔には、先ほどまでの厳格な怒りはなく、ただ圧倒的な技量を見せつけられた者としての純粋な敬意が浮かんでいた。
「……見事だ、ザフィラよ。そして異邦人の手印使いよ」
長老は杖代わりの戦弦槍を地面に突き立て、深く頭を下げた。
「お前たちの曲は、我らの軍楽を完全に凌駕した。どちらが伴奏かなどという議論すら烏滸がましい。お前たちは、互いにぶつかり合いながら一つの高みへと到達したのだ」
長老は顔を上げ、ザフィラを見据えた。
「先の宣告は取り消そう。お前は紛れもなく、次代の族長にふさわしい器だ。資格はそのまま据え置く」
「当然だ。私は負けていないのだからな」
ザフィラは肩で息をしながらも、誇り高く胸を張った。
長老はそんな彼女を見て、ふっと目尻のシワを深めて笑った。
「さて。見事勝利を収め、主導者たる力を示したお前には、我ら一族の古き慣習に従い『勝者への褒美』を受け取る権利がある」
「褒美……?」
「そうだ。最高の合奏を作り上げた共演者に対し、勝者は一つだけ、魂を結ぶための要求をすることができる」
長老の言葉に、周囲を取り囲んでいた戦奏民たちが一斉に冷やかしの歓声を上げ始めた。口笛が鳴り、足踏みのリズムが祝祭のものへと変わる。
「おいおい、ついにあのじゃじゃ馬も身を固めるのか!」
「あの異邦人なら文句はない! さあ、さっさと婚約の誓いを立ててしまえ!」
周囲の言葉に、ザフィラの顔がボンッ! と音を立てそうなほど真っ赤に染まった。
「こ、こん……っ!?」
戦奏民の文化において、最高の共演者とはすなわち生涯の伴侶と同義になることが多い。この熱狂の中で要求される褒美といえば、大抵がそういう『誓い』なのだ。
怜司は思わず身構えた。
(……おいおい。俺には大祭までに、大聖炉を止める仕事が残ってるんだぞ)
ここで結婚の約束まで背負うわけにはいかない。どう断るべきか、怜司が必死に言葉を探していた、その時だった。
「……勘違いするな」
ザフィラが、戦弦槍の石突をドンッ! と床に打ち付けた。
彼女は真っ赤な顔のまま、それでも黄金色の瞳を鋭く吊り上げ、怜司の胸元をバシッと指差した。
「おい、異邦人。先ほどの曲、私とお前のどちらが主導権を握っていたか、結局決着はつかなかったな」
「あ? ああ、そうだな」
「だから……私が要求する褒美は、一つだ」
ザフィラは一歩踏み出し、怜司を見上げて宣言した。
「これから先、また未知の譜面(新曲)を手に入れることがあるだろう。その新しい曲を、一番最初に私と合わせる『権利』を寄越せ」
「……」
怜司は目を丸くした。
周囲の戦奏民たちも、予想外の要求にポカンと口を開けている。
だが、ザフィラは真剣だった。彼女が求めたのは、甘い恋人の座でも、安易な婚約の誓いでもない。
誰よりも早く、次に現れる強大な敵(未知の曲)に二人で挑み、今度こそ自分が主旋律であると証明するための、闘争と競争の継続だったのだ。
(……なんだ。要するに、未知の曲へ最初に挑む権利が欲しいのか)
怜司はふっと息を吐き出し、たまらなくおかしそうに口角を上げた。
共に激戦を潜り抜けた相棒からの、これ以上なくゲーマー心をくすぐる要求。
「安いもんだ。次も最高の伴奏を期待してるぜ、一番槍」
「だから! 伴奏じゃなくて私がメインだと言っているだろう!」
怜司があっさりと承諾し、ザフィラが牙を見せて言い返す。色気は欠片もないが、二人の間には確かに、他の誰にも入り込めない強固な信頼のテンポが流れていた。
しかし。
その二人だけの空気を、背後から冷ややかなものが切り裂いた。
「……」
ノエラだった。
彼女は広場の隅で、自身の着ている藍黒のドレスの裾を、指の関節が白くなるほど強く握りしめていた。
普段の気怠げな瞳は伏せられ、その表情は薄暗い影に沈んでいる。
ノエラは自分を『歌唱装置』だと自虐している。教会の追手から逃げる道中、怜司に声を褒められ、自分の意志で歌うことを決めた。それでも彼女の根底には「自分はただ機能を提供しているだけ」という卑屈な自己否定がこびりついている。
だからこそ、目の前のザフィラが眩しかった。
堂々と怜司の隣に立ち、競争し、共に未来の曲を奏でる約束を要求できるザフィラの姿。自分には決してあんな風に、怜司の隣を要求することなどできない。
自分が選ばれるわけがない。そうわかっているのに、ノエラの胸の奥は、鋭い針でつつかれたようにチクチクと痛んでいた。
『ええい、許さぬ! 断じて許さぬぞ!!』
ノエラの静かな痛みを打ち消すように、少女姿へと成長したエルネリアが猛然と広場へ乱入してきた。
彼女は深紅のドレスを振り乱し、ザフィラと怜司の間に割って入る。
『わらわの譜面を、伴奏ごときが一番最初に味わうじゃと!? ふざけるな、その男の技術を最も完全に理解しているのはこのわらわじゃ! 最初の奏者の座は、魔王たるわらわがいただく!』
エルネリアは怜司の腕にガシッと抱きつき、所有欲を剥き出しにしてザフィラを威嚇する。彼女にとって怜司は自分の原曲を再現するための唯一のパーツであり、それを他者に「一番乗り」されることなど、プライドが許さなかった。
「なっ、なんだとお前! さっきまで隅っこで欠伸をしてたくせに、今更口を挟むな!」
『事実であろうが! 貴様のその雑な手弾きより、わらわの完璧な呼吸の方が百倍は合わせやすいわ!』
「マスター」
バチバチと火花を散らすザフィラとエルネリアの背後から、純白のケープを羽織ったセナが無表情のまま進み出た。
「優先権の法的および物理的効力について、分析を完了しました」
セナは怜司のもう片方の腕をホールドし、淡々と告げた。
「ザフィラ対象が要求したのは『演奏の優先権』です。しかし、私の最上位目標である『護衛の優先権』は、それとは別の上位規定です」
「……何が言いたいんだ、お前は」
怜司が胡乱な目を向けると、セナは青い瞳をわずかに明滅させた。
「つまり、新曲の演奏時においても、私はマスターの防衛のために最短距離(ゼロ距離)を維持します。ザフィラ対象が一番最初に音を合わせようとも、物理的に最もマスターの近くにいるのは、常に私であるという論理的帰結です」
「それはただの屁理屈だろ!」
ザフィラが怒鳴るが、セナは「事実です」と一切譲らない。
新曲へ最初に挑む権利を求めるザフィラ、少女魔王の過剰な所有欲、そしてゴーレムの物理的な独占。
さらには、少し離れた場所で静かに傷ついているダウナー聖女。
四人の感情が入り乱れる中、怜司は「……あー、わかったわかった。順番にプレイさせてやるから腕を引っ張るな。手首の関節が鳴ってるだろ」と、あくまで自分のコンディション維持を最優先にして苦言を呈していた。
*
騒ぎが一段落し、戦奏民たちの熱狂も落ち着きを見せた頃。
長老が、集落の最奥にある祭壇から、重々しい足取りで一つの石箱を運び出してきた。
「約束通り、これを渡そう」
蓋が開けられ、中から取り出されたのは、ひどく古びた数枚の石版だった。
そこには、怜司が遺跡で見たものと同じ、手印の起動法則を示す古代文字と図形がびっしりと刻み込まれていた。
『……おお。間違いなく、わらわの第一曲《還天掌》の最終楽章の譜面じゃな』
エルネリアが石版を覗き込み、満足げに頷く。
「これが、失われた終止部……」
ザフィラが息を呑んで見つめる中、怜司は石版の図形を指でなぞり、ゲーマーとしての解析を始めた。
(……なるほど。確かに途中で途切れていたラインの先が描かれてる。だが)
怜司は眉をひそめた。
譜面の終端に向かうにつれ、指定されている手印の軌道と維持時間が、異常なほどに複雑かつ『矛盾』を含んでいるように見えたのだ。単純にこの通りに入力しても、魔法は正常に終わらずに暴発する。
何か、もう一つ仕掛けがある。だが、石版を目で追うだけでは、その正体までは読み切れない。
怜司の脳裏に、先ほどの試合でザフィラが強引に叩きつけた、あの不協和音の感覚が蘇った。
(……ここで決めつけるのは早い。持ち帰って解析する必要がある)
王都の大祭まで、残された時間は少ない。
怜司は石版のデータを頭に叩き込むと、決意を新たに立ち上がった。
「よし。持ち帰って解析する。まだ、この終止部には仕掛けがある」
王都全域の魔力を吸い上げる大聖炉。それを止めるための、次なるステージへの道が、今明確に開かれた。




