第23話 お前となら、勝敗が決まらない
地下空洞の中央にすり鉢状に作られた広場。周囲を囲む松明の炎が、熱気を帯びた戦奏民たちの顔を赤く照らし出している。
部族の誇りと、失われた曲の開示を懸けた『戦奏試合』。
怜司の隣で戦弦槍を構えるザフィラの視線の先には、部族が誇る十人の精鋭――『軍楽隊』が、横一列に隙のない陣形を組んで立ち塞がっていた。
「始めよ!」
長老の重い声が、広場に響き渡った。
ドォォォォンッ!
十人の軍楽隊が、一糸乱れぬ動きで同時に石突を地面に打ちつけた。
空気が物理的な質量を持ったように震え、怜司の腹の底に重い衝撃が走る。
(……BPM八十。極端に重くて遅い。だが……)
続く十人の弦の音が完全にシンクロし、目に見えない衝撃波の壁となってこちらへ押し寄せてきた。
手印魔法の入力を妨害するほどの、分厚い音圧。個人の揺らぎを一切排除し、集団の力で一つの巨大な意思を作り上げるのが軍楽の戦術だ。彼らの音の壁に飲み込まれれば、怜司は手印の判定位置を見失い、ザフィラも身動きが取れなくなる。
「悪いが、そんな遅い曲に付き合ってやる義理はない!」
音の防壁が到達する直前、ザフィラが床を蹴って前線へ飛び出した。
彼女の狙いは、相手のテンポに合わせることでも、相殺することでもない。
圧倒的な『速度』による、強制的な上書きだ。
トン、タ・タ・トン! ベンッ!
ザフィラは軍楽の重低音の隙間を縫うように、極めて細かいステップを踏み、手元の弦を高頻度で弾き鳴らす。彼女の奏でるテンポは、またたく間にBPM百六十の大台へと跳ね上がった。
「遅れるなよ、異邦人! 私の主旋律についてこい!」
「誰が伴奏なんかやってやるか!」
怜司は不敵に笑い、両手を胸の前に構えた。
ザフィラの高速の曲にただ追従するだけでは、彼女が主導権を握ったままになる。怜司はゲーマーとしての反射神経と予測をフル回転させ、ザフィラが『次に足を踏み出す位置』をコンマ数秒先読みして手印を編んだ。
バチィッ!
ザフィラが踏み込もうとした空間に、怜司が先んじて雷撃のトラップ(手印)を展開する。
「なっ! お前、私の進路を塞ぐ気か!」
「進路じゃない! そこが次の『拍』だ、お前が俺の魔力に追いつけ!」
ザフィラは舌打ちをしながら、怜司の雷撃を回避するのではなく、それに自分の槍の軌道を『合わせる』ことを選んだ。彼女はさらに踏み込みの速度を上げ、怜司の雷撃を槍の穂先で受け取り、そのまま増幅させて軍楽隊の防壁へと叩きつける。
ズガァァァンッ!
軍楽隊の重厚な音が、雷撃によってわずかに歪む。
だが、二人の闘争は軍楽隊に向かってではなく、互いの内部で激化していった。
「お前が合わせろ!」
「そっちが遅いんだよ!」
怜司がより速いタイミングで魔法の基点を置けば、ザフィラは負けじとステップを加速させてそれを拾いに行く。ザフィラが意図的に変拍子を入れれば、怜司は即座に指の動きを切り替えてそれに雷鳴を被せる。
相手を出し抜き、自分がこの曲の支配者になるための、音と魔力による激しい鍔迫り合い。
二人の競争はBPMを限界まで押し上げ、軍楽隊の重いテンポを完全に置き去りにしていた。
「くそっ、速すぎて陣形が組めん!」
「構うな! 全音、最大出力で一気にすり潰せ!」
加速し続ける二人の不規則な動きに翻弄された軍楽隊が、業を煮やして槍を高く掲げた。十人分の魔力と音が一つに圧縮され、広場全体を吹き飛ばすような一斉攻撃の体勢に入る。
――そして、その瞬間。
ザフィラが奏でていた部族の継承曲が、唐突な『終わり』を迎えた。
(……ここか!)
怜司の目が鋭く見開かれる。
かつてエルネリアが嘲笑し、宿場町で確認した、原曲の欠落部分。本来あるべき終止部が存在せず、曲が宙吊りになって魔力が霧散してしまう致命的な欠陥。
今までは、無理やり別の魔法に接続するか、力技で抑え込むしか逃げる方法がなかった。
だが、今の二人は違った。
「……終わらせるかッ!!」
軍楽隊の一斉攻撃が迫る中、怜司に主導権を渡したくない一心で限界まで加速していたザフィラは、曲が途切れたその『無音の空間』に対して、一切の躊躇なく戦弦槍を振り下ろした。
譜面にはない。部族の歴史にも存在しない。
純粋な闘争心と、この合奏をまだ終わらせたくないという渇望が生み出した、強引で暴力的な『不協和音』の強打。
ギャァァァンッ!!
耳障りな弦の絶叫。
だが、怜司にとってその音は失敗ではなかった。
彼女が差し出した、新曲の第一音だった。
「上等だ!!」
怜司は脳内に焼き付いていた第一曲の原譜から、意識を切り離した。
ザフィラの放った強烈な不協和音を基準拍として読み取り、その場での完全なアドリブによって、両手の指をあり得ない複雑さで絡み合わせた。
それは、村で一度だけ無意識に行った接続を、今度はザフィラと意図的に組み上げた瞬間だった。
ザフィラの不協和音と、怜司の即興の手印が完全に噛み合う。
その瞬間、二人を中心に、地下空洞を突き破るような黄金色の旋風と、網膜を焼く白雷のうねりが爆発的に広がり、極上の和音となって鳴り響いた。
「なっ――!?」
軍楽隊の十人が放とうとした最大出力の一撃は、二人が産み落とした『新しい終止部』の圧倒的な旋律の前に、枯れ葉のように容易く粉砕された。
音の暴風が広場を駆け抜け、精鋭の戦士たちが次々と場外の壁まで吹き飛ばされていく。
*
土煙が晴れた広場の中央。
十人の軍楽隊は全員が地面に伏し、戦意を喪失していた。
静まり返った観衆の中で、立っているのは肩で激しく息をする怜司とザフィラの二人だけだった。
「……なんという、ことだ」
長老が、震える手で杖代わりの槍を握りしめ、呆然と呟いた。
彼らは今、部族が何百年も探し求めていた『完全な曲の形』が、一人の娘と異邦人の手によって全く新しい姿で再構築された瞬間を目の当たりにしたのだ。
「ハァ……ハァ……」
ザフィラが乱れた前髪を掻き上げ、怜司を睨みつけた。
「見たか……最後の雷のタイミング、私が無理やり槍をねじ込んで、合わせてやったんだぞ……」
「ハッ、馬鹿言え」
怜司も額の汗を拭い、息も絶え絶えに笑い返す。
「俺の手印の起点が先だ。あの不協和音、俺が拾ってやらなきゃただの暴発で自滅してたぞ。お前が俺のテンポに引っ張られたんだろ」
「なんだと!? 私が主導権を握っていたに決まっている!」
激しい戦闘の直後だというのに、二人は顔を突き合わせて口論を始めた。
どちらが先に音を出したか。どちらが相手を従わせていたか。
いつもなら、自分が一番速く、一番強いのだと明確な決着がつかなければ、ザフィラの気性は絶対に収まらなかった。
だが。
「…………ふっ」
怜司の不敵で楽しそうな目と、極度の緊張から未だに小さく震えている自分の両手を見下ろし、ザフィラはふと、憑き物が落ちたように怒りを収めた。
(……ああ、そうか)
どちらが主役か決まらない。勝敗がつかない。
互いに主導権を奪い合い、綱渡りのようなギリギリの均衡を保ち続けたあの数分間。
それが、ただ一方的に相手を打ち負かすことよりも、どれほど恐ろしく、そして極上の体験だったかを、彼女の身体の奥底が理解してしまっていた。
「……仕方ない」
ザフィラは戦弦槍を背中に収め、小さく、だが心の底から満足そうな微笑みを浮かべた。
「今回は、引き分けにしておいてやる。どちらが主旋律か……次の曲で、また勝負だ」
「望むところだ。次も全部拾って、お前を伴奏にしてやるよ」
負けず嫌いの二人の間に、明確な勝敗はつかなかった。
だが、その『未完成で対等な関係』こそが、今の彼らの楽団にとって最も強固な絆となっていた。




