第22話 戦奏士は、勝たなければ帰れない
王都の華やかな喧騒から完全に切り離された、廃棄区画のさらに奥深く。
迷路のように入り組んだ乾いた下水道を抜け、一行が辿り着いたのは、巨大な地下空洞に築かれたひそやかな集落だった。
そこは、魔力水路や街灯の整った地上の王都とはまるで違う、土と鉄、そして獣の毛皮の匂いが立ち込める空間だった。無骨な天幕が立ち並び、焚き火の煙が薄暗い天井へと昇っていく。
そして何より、この場所を満たしているのは独特な『音』だった。
ベンッ、ビンッ。金属を打ち据える音に混じり、太い弦を弾いて張りを確かめるチューニングの音が絶え間なく鳴り響いている。
「ここが、戦奏民の王都潜伏拠点だ」
先頭を歩くザフィラが、戦弦槍を肩に担ぎ直しながら言った。
「教会の目もここまでは届かない。奴らの回収部隊も、地の利がある私たちを相手にこの地下で立ち回るような愚は犯さないはずだ」
ザフィラの言葉通り、安全性は高いのだろう。だが、集落の雰囲気は決して一行を歓迎するものではなかった。
ザフィラの帰還に気づいた戦奏民の戦士たちが、次々とテントから姿を現す。彼らは褐色肌に独特の文様を刻み、皆一様に弦の張られた武器を手にしていた。
彼らの視線はザフィラを通り越し、その後ろを歩く怜司やノエラたちへと向けられ、明確な敵意と警戒心を放っていた。
「……ザフィラ。聖域に異邦人を引き入れるとは、どういうつもりだ」
人垣を割って、一人の男が進み出てきた。
白髪交じりの豊かな顎髭を蓄え、巨大な戦弦槍を杖代わりについた屈強な長老だった。彼の身体には歴戦の傷跡が刻まれており、ただ歩くだけで重い威圧感が周囲の空気を震わせている。
「長老。緊急事態だ。教会の連中に嗅ぎつけられた」
「事情は聞いている。だが、問題はそこではない」
長老はザフィラの言葉を冷たく遮り、その鋭い眼光を怜司へと向けた。
「ザフィラよ。お前が、魔力を持たぬ異邦人の手印に、己の『曲』を合わせたというのは事実か」
その問いに、周囲の戦奏士たちがざわめいた。
戦奏民にとって、己の奏でる曲は魂であり、誇りそのものだ。それを同胞以外の、しかも魔力すら持たない外部の人間に対して伴奏のように使わせたということは、部族の誇りを泥に塗る最大の禁忌に等しかった。
「……事実だ」
ザフィラは逃げることなく、はっきりと頷いた。
「だが、私は曲を『渡した』わけではない。そこの異邦人が、勝手に私の拍を読み、乗ってきただけだ。私は誰の伴奏にもなっていない!」
「詭弁だな。結果として、お前の旋律は異邦人の魔法に従属した。それは戦奏士としての敗北だ」
長老がドンッ! と石突で地面を打つと、空洞全体がビリリと震えた。
「我らは誇り高き戦奏の民。他者の拍に呑まれるなど言語道断。……ザフィラよ、お前には失望した。次代の『族長候補』としての資格を、今この場で剥奪する」
その宣告は、集落に重い沈黙をもたらした。
ノエラが不安げに怜司の袖を掴み、セナがいつでも大盾を展開できるよう半歩前に出る。エルネリアは『下等な民の小競り合いなどどうでもよい』とばかりに欠伸をしている。
怜司は何も言わず、ただ静観していた。
これは教会の問題でも、世界魔力の異常でもない。ザフィラという一人の戦士の、誇りと生き方の問題だ。部外者である自分が口を挟めば、彼女のプライドを決定的に傷つけることになるとわかっていたからだ。
「……剥奪だと?」
ザフィラは俯いていた顔を上げ、黄金色の瞳で長老を真っ向から睨み返した。
「ふざけるな。私は負けていない。私の曲は誰にも従属していないし、誰よりも速く、強い。それを言葉で証明できないというなら……」
ザフィラは戦弦槍を頭上で鋭く回転させ、その切っ先を長老の鼻先へと突きつけた。
「音と力で証明するまでだ! 古き掟に従い、『戦奏試合』を申し込む!」
戦奏試合。それは部族内で揉め事が起きた際、互いの演奏と武力をもって決着をつける神聖な儀式だ。
長老は鼻で笑った。
「よかろう。だが、相手は私ではない。我が部族が誇る『精鋭軍楽隊』だ。お前はその異邦人と組み、集団の音圧を相手に己の主旋律を証明してみせろ。……もし勝てば、お前の言い分を認め、族長候補の資格も据え置いてやろう」
「それだけじゃ足りない」
ザフィラは牙を見せるように獰猛に笑った。
「私が勝ったら、部族の奥深くに隠されているという『失われた終止部』……第一曲を終わらせるための未知の譜面を開示してもらう」
その要求に、周囲の戦奏士たちが再びどよめく。それは部族の最奥に秘匿された、滅多に外部に出ることのない知識だった。
「……傲慢な娘だ。いいだろう、受けて立つ。だが、もしお前たちが敗北した場合は、お前は部族から永久追放、そしてその異邦人の両腕の骨を叩き潰す。二度と魔法が使えぬようにな」
長老の残酷な条件に、ザフィラは一瞬だけ息を呑んだが、すぐに「上等だ」と吐き捨てた。
試合の準備が進められ、空洞の広場に松明の火が次々と灯されていく。
広場の隅で、ザフィラは弦の張りを調整しながら、怜司にだけ聞こえる声でぽつりとこぼした。
「……巻き込んで悪かったな。お前の腕まで賭けさせるつもりはなかったんだが」
「気にするな」
怜司は首を回して筋肉をほぐし、軽く指先を鳴らした。
「未知の譜面を手に入れる条件だと思えば、安い代償だ。それに、俺はお前が負けるなんて一ミリも思ってない」
怜司は知っている。ザフィラはとにかく負けず嫌いで、一番速く、一番強くあることに執着している。彼女にとって、この民族全体の問題を今すぐ根本から解決するなどという高尚な目的はない。ただ、『目の前の勝負に勝つこと』、そして『失われた曲を得ること』。それだけが今の彼女のすべてだ。
「だが、相手は集団だぞ」
怜司は広場の向こうで陣形を組む、十数人の戦奏士たちを見据えた。
「軍楽隊ってのは、個人の揺らぎを消して分厚い音圧で相手を塗りつぶすのが仕事だ。お前のソロの旋律が、あの重低音の壁に飲み込まれたら、俺の入力の判定もブレる。……お前が主旋律を張るって啖呵を切ったんだ。絶対にテンポを譲るなよ」
「誰に言っている」
ザフィラは不敵に笑い、槍の弦をベンッ! と強く弾いた。
「私は誰にも合わせない。軍楽隊だろうが、お前だろうが、私の音で全員ねじ伏せてやる。……お前こそ、私の最高速の曲に遅れるなよ!」
「言ったな。最高の雷を落としてやるから、せいぜい暴れ回れ」
ドォォォォン……!
広場の向こうで、精鋭軍楽隊が一斉に足を踏み鳴らし、重く安定した地鳴りのような合奏が始まった。
完璧に統制された軍楽の波。それに対し、ザフィラと怜司はたった二人で、その音の壁へと真っ向から足を踏み入れた。




