第21話 正しい魔法は、誰が管理する
暴走した魔力水路から居住区を救い、住民が提供してくれた地下の貯蔵庫に身を隠してから数時間が経過した頃。
見張りに立ってくれていた初老の住民が、青ざめた顔で一通の封書を怜司の元へ持ってきた。
「教会の使いの者が、あなたにこれを……」
蝋で封じられた上質な羊皮紙。中には短く、冷徹な筆致でこう書かれていた。
『無益な逃走をやめ、対話を望む。居住区外縁の廃礼拝堂にて待つ――聖務卿カリオン』
「行く気か? 十中八九、罠だぞ」
ザフィラが戦弦槍の弦の張りを確かめながら、鋭い視線を向ける。
「だろうな。だが、相手は教会の実質的トップだ」
怜司は手紙を丸め、立ち上がった。
「王都の魔力を強制同期させる大聖炉。あの巨大な仕組みを管理してる奴が、何を正しいと考えているのか知る必要がある。……向こうが対話を持ちかけたなら、時間稼ぎと承知で乗る価値はある」
罠であることを承知の上で、敵の中枢の思想を探る。
怜司のブレない判断に、ザフィラは深くため息をつき、ノエラとセナは静かに立ち上がって後に続いた。
*
指定された廃礼拝堂は、王都の華やかさから見捨てられたようにひっそりと佇んでいた。
色褪せたステンドグラスから、青白い月光が堂内に差し込んでいる。
崩れかけた祭壇の前に、白い法衣を着た壮年の男が一人で立っていた。聖務卿カリオン。夜会で怜司たちの公開実験を冷ややかに見下ろしていた男だ。
「逃亡中の身でありながら、よくぞ参った、異邦人よ」
カリオンの声は低く、堂内に静かに反響した。
「単刀直入に聞く。あんたの目的はなんだ。大聖炉を使って、王都の人間を一つの巨大な機械の部品にでもする気か?」
怜司が数歩進み出て問うと、カリオンは表情を変えることなく首を振った。
「部品ではない。秩序だ」
カリオンは怜司たちを侮蔑するような視線は向けなかった。むしろ、その眼差しには怜司の力を正確に評価し、真剣に危惧する光があった。
「夜会での貴様の実験は見事だった。魔力を持たぬ平民が、わずかな訓練で火を灯す。……だが、あの後何が起きた? あの娘の火は消え、同じ手印も働かなくなった。広間の世界魔力を使い切ったからだ」
「……」
「視えない魔力は無尽蔵ではない。貴様の手印が民衆に広まればどうなるか。誰もが強大な力を求めて奪い合い、水路も灯りも機能を失う。力を得た愚民が武器を取り、王都は血の海に沈むだろう」
それは、教会を率いる者としての冷徹なまでの功利主義だった。
「現行の、血統と魔力量による不公平な階級社会。それがどれほど歪であろうと、結果的に最も犠牲の少ない秩序を保っているのだ。貴様の魔法は、その秩序を根底から破壊する毒に等しい」
カリオンの言葉には、確かな論理があった。手印魔法の危険性を正しく理解しているからこそ、彼は教会による絶対的な一元管理を主張しているのだ。
だが、怜司は臆することなく、真っ向からカリオンを見据えた。
「魔力枯渇のリスクがあるのは認める。危険なシステムだ」
怜司は言葉を区切り、語気を強めた。
「だがな、だからといって、大聖炉を使って一部の人間から魔力と自由を強制的に吸い上げ、教会の都合の良いように統制するやり方が正しいとは思わない」
地下の牢獄で鎖に繋がれ、魔力バッテリーのように搾取されていた人々。
そして、教会の均質化された歌に馴染めず、不良品として切り捨てられたノエラ。
「全員に同じ拍を強いて、そこから外れた奴を切り捨てる。俺のいた世界なら、そんなものは最低のゲームだ。……人間は、あんたが管理する装置の歯車じゃない」
怜司の明確な拒絶を聞き、カリオンは深く、ひどく冷たいため息をついた。
「……理解し合えぬか。残念だ」
カリオンが手を小さく上げた、その瞬間。
パリンッ! と、礼拝堂の周囲のステンドグラスが一斉に砕け散った。
窓枠から、そして崩れた天井から、黒い装束に身を包んだ教会の暗殺特化部隊――異端回収部隊の騎士たちが、音もなく堂内へとなだれ込んできた。十数人の精鋭による完全な包囲網。
やはり、会談は包囲を完了させるための時間稼ぎだったのだ。
「マスター、上方および全方位より敵性反応。迎撃します」
セナが瞬時に大盾を展開し、上空から放たれた数本の魔力矢をガァン! と弾き飛ばす。
その重い激突音を合図(拍)として、ザフィラが床を蹴った。
「話し合いが決裂するのなんて、最初からわかっていたことだ!」
ザフィラの戦弦槍がうなりを上げ、正面の扉を塞ごうとしていた黒装束の騎士二人を強引に弾き飛ばして退路をこじ開ける。
怜司は両手を胸の前に構え、攻撃ではなく、極めて特殊な手印を高速で編み上げた。
パァァァァンッ!!
怜司の指先から、網膜を直接焼くような強烈な閃光が炸裂した。
ダメージはないが、暗闇に慣れていた回収部隊の視界が完全に白く染まり、堂内に短い悲鳴が上がる。
「今だ! 床下の通気口へ飛び込め!」
怜司は祭壇の裏手に隠されていた古いメンテナンス用の鉄格子を蹴り開け、一行は黒装束の騎士たちが目を白黒させている隙に、暗い地下通路へと滑り込んだ。
*
「おい! 押すな! 後ろから急かすな!」
「ご、ごめんなさい……でも、暗くて、怖くて……」
大聖堂の地下へと続く古い配管スペースは、大人一人が身を屈めてようやく通れるほどの極端な狭さだった。
追手を振り切るため、四人は一列になって真っ暗な通路を這うように進むしかなかった。
必然的に、前後の人間と身体がぴったりと密着することになる。
先頭を進むザフィラの背中と腰の柔らかな感触が、すぐ後ろを這う怜司の胸と腕に押し付けられていた。ザフィラは顔を真っ赤にし、時折肩を震わせて文句を言うが、狭すぎて距離を取ることができない。
一方、怜司の背中からは、怯えたノエラが彼のジャケットの裾を力いっぱい握りしめ、身を乗り出すようにしてくっついてきていた。時折、彼女の柔らかな胸の感触が怜司の背中に押し当てられる。
「マスター。後方より追手の振動を感知しました」
さらに最後尾のセナが、無表情のまま淡々と報告する。
「空間圧縮による被弾面積の縮小を実行します。前方に詰めてください」
「ちょっ、待てセナ! これ以上押したら潰れる!」
セナが強烈な力でノエラを押し、ノエラが怜司を押し、怜司がザフィラにのし掛かるような形になる。
『ええい、わらわのドレスが汚れるであろうが! 少しは配慮せぬか!』
少女姿のエルネリアは歩くのを早々に諦め、怜司の背中にしがみつくようにして(実質おんぶの状態で)文句を垂れていた。
四人の少女に前後からギュウギュウに押しつぶされ、怜司は腕一本まともに動かせない。
しかし。
「痛い痛い! 腕が挟まって動かせないだろ!」
怜司は真っ暗な通路の中で、本気で焦りの声を上げていた。
「お前ら、こんなに密着して俺の腕をロックしたら、万が一敵が前から来た時に手印が組めないだろ! 入力姿勢の妨害は致命的なデバフなんだぞ!」
命の危機に直面しても、色気よりも『自分のコントローラー(腕)が自由に動かせるかどうか』を最優先するゲーマーの悲しい性。
「お前の頭の中は、こんな時でもそればっかりか!」
前方のザフィラが呆れたように怒鳴るが、その声には先ほどまでの切羽詰まった緊張感はすっかり消え失せていた。
暗く狭い通路を、ドタバタと身体をぶつけ合いながら進むこと数十分。
やがて前方に、鉄格子の隙間から外の光が見えてきた。
ガコンッ、と怜司が鉄格子を蹴り外し、一行はなんとか王都のさらに外れにある廃棄区画の路地裏へと転がり出た。
「ハァ、ハァ……なんとか撒いたみたいだな」
怜司が息を整えながら、泥だらけになったジャケットを払う。
だが、状況は依然として最悪だった。教会の異端回収部隊が動いたということは、王都の主要なルートは完全に封鎖されている。普通の宿屋や空き家に身を隠すことはもうできない。
ザフィラは周囲の廃棄された建物の並びを鋭い目で見回し、やがて覚悟を決めたように息を吐いた。
「……ここまで来たら、仕方ない」
ザフィラは戦弦槍の埃を払い、怜司を真っ直ぐに見た。
「私の同胞……王都に潜伏している『戦奏民』の隠れ処へ案内する。あそこなら、教会の目も届かない」
それは、誇り高き戦奏士である彼女が抱える、民族の事情という新たな問題への入り口だった。




