第20話 逃亡者を笑った街が、助けを求めた
「出て行け! この悪魔ども!」
「教会の奇跡を盗んだんだろ! お前たちのせいで王都が呪われる!」
王都の外縁部、古いレンガ造りの家屋が密集する居住区画。
狭い路地を抜けようとしていた怜司たちの足元に、石ころや腐った野菜が投げつけられた。
昨日から王都中に貼り出された手配書と、夜会での一件は、すでに末端の市民にまで知れ渡っていた。フードで顔を隠してはいたが、セナの大盾やザフィラの独特な武器など、隠しきれない特徴から正体が露見してしまったのだ。
教会という絶対的な権威と正義を信じて生きている市民にとって、『異端の魔女とその一党』は、社会の秩序を脅かす恐怖と憎悪の対象でしかない。
「……こいつら、何も知らないくせに好き勝手言いやがって!」
ザフィラが怒りに顔を染め、戦弦槍を構えようとする。
だが、怜司は彼女の槍の柄を手で押さえ、静かに首を振った。
「やめろ。民間人を脅して回るのが俺たちの目的じゃない」
「しかし!」
「手配書を信じてる奴らに何を言っても無駄だ。騎士団が来る前にこの区画を出るぞ」
怜司の冷静な判断に、ノエラも俯きがちに頷く。彼女は元々、こうして石を投げられることには慣れきっていた。
群衆の罵声と敵意を背に受けながら、一行が居住区の出口へ向かって歩き出した、その時だった。
ゴゴゴゴゴォォォォンッ!!
突然、足元の石畳が爆発したかのように激しく隆起した。
直後、居住区の中央を流れていた巨大な『魔力水路』の石壁が破裂し、膨大な質量の水が濁流となって市街地へと溢れ出した。
「なっ……水路が暴走した!?」
「ひぃぃっ! 逃げろ!」
大聖炉へ魔力を集中させている影響か、それとも古い水路の限界か。水に込められた魔力が暴走し、通常の何倍もの勢いを持つ鉄砲水となって、人々の家屋を次々と紙切れのようになぎ倒していく。
「助けて! お母さん!」
逃げ遅れた子供が、迫り来る濁流の前に立ちすくんでいた。
「下がれ! 我々が止める!」
騒ぎを聞きつけて駆けつけた教会騎士たちが、杖を構えて濁流の前に立ち塞がった。彼らは素早く魔力を練り、土の壁を隆起させ、炎の魔法で水を蒸発させようと試みる。
だが、現代魔法の火力は、乱れた世界魔力をたっぷり含んだ物理的な大質量の前に、まったくの無力だった。
土の壁は数秒で粉砕され、炎は水飛沫に飲み込まれて消える。騎士たちはなす術なく弾き飛ばされ、濁流は子供の目前にまで迫った。
「……チッ」
怜司は舌打ちをした。
絶好の逃げるチャンスだ。混乱に乗じれば、確実にこの区画から脱出できる。
だが、目の前で暴走している魔力水路と、それに飲み込まれようとしている人間を見捨てるという選択肢は、彼にはなかった。
「おい、仕事の時間だぞ」
「……お前という奴は、本当に」
怜司の言葉に、ザフィラは呆れたように笑い、槍を強く握り直した。
誰よりも早く動いたのは、セナだった。
彼女はブースターを吹かせて濁流と子供の間に割り込むと、大盾を地面に突き立てて強固な防衛線を構築した。
ガガァァァァンッ!!
数トンもの濁流と瓦礫がセナの大盾に直撃する。だが、セナは一歩も退かず、その絶大な衝撃を、完璧な一定間隔の『重低音』へと変換して空間に響かせた。
「マスター。一分六十五拍で固定します」
「上等だ!」
セナの刻む基準拍に乗り、ザフィラが浅瀬となった水の上を滑るようにステップを踏む。迫る流木を槍で弾き飛ばし、弦を鳴らす。
ベンッ! トン、タ・トン!
狂乱する水の音をかき消し、戦奏士の力強い曲が紡がれる。
怜司は水飛沫を全身に浴びながら、その曲のテンポに合わせて両手を虚空に走らせた。
必要なのは、単純な破壊ではない。《修復と導水》の長大な手印。暴走する魔力の流れを制御し、砕けた石組みを元へ戻す、繊細で大規模な術だった。
「ノエラ!」
「はい……!」
ノエラが深く息を吸い込む。
迫害された記憶など関係ない。ただ目の前の命を救うため、彼女の重く響く声が濁流の中心へと放たれた。
対象は『暴走する水』。意味は『本来の川床への帰還』。
ノエラの歌が世界魔力の方向性を強制的に書き換え、ザフィラの曲が速度を保ち、セナの拍が怜司の入力精度を完璧なものにする。
百手を超える手印の最終コード。怜司は息を吐き出しながら、濡れた指先を鋭く交差させた。
ズゥゥゥンッ!
青白い光が水路全体を包み込んだ。
まるで時間を巻き戻すかのように、暴れ狂っていた濁流がピタリと方向を変え、砕けた水路の石組みの中に大人しく吸い込まれていく。
そして、粉砕されていた石壁が、世界魔力の接着剤によって完全に修復された。
数秒後。嘘のように静まり返った居住区には、無傷の子供と、元の流れを取り戻した水路だけが残されていた。
「……信じられない」
這いつくばっていた教会騎士が、震える声で漏らす。
彼ら高魔力の専門家が束になっても止められなかった災害を、異端の手配者たちが、ただの連携(合奏)だけで完全に鎮圧してしまったのだ。
広場は静寂に包まれ、やがて。
「ご、ごめんなさい……!」
先ほどまで石を投げていた住民の一人が、怜司たちの前に崩れ落ちるように土下座をした。
「教会の嘘を信じて、あなたたちを悪魔だと……! 本当に、本当にごめんなさい! 助けてくれて、ありがとう……!」
その言葉を皮切りに、次々と住民たちが頭を下げ始める。
教会という権威よりも、目の前で命を救ってくれた事実が、彼らの価値観を完全に裏返したのだ。
「騎士の増援が来ます! こっちへ! 私たちが匿います!」
住民たちは率先して怜司たちを囲い込み、追手の騎士たちの目をごまかして、安全な隠れ家へと案内し始めた。
その光景を、居住区の離れた屋根の上から、じっと見つめている者がいた。
若手魔術師、レオン・グラードである。
彼は血走った目で、住民に感謝されながら消えていく怜司の後ろ姿を睨みつけていた。
(なぜだ……。逃亡中の身でありながら、なぜあいつはリスクを冒してまで人を救う……!)
魔力の多さこそが正義であり、教会こそが絶対。そう信じてきたレオンの根幹が、音を立てて崩れ去っていくのを、彼自身も止められなかった。
*
住民たちが提供してくれた、教会の目から完全に隠された地下の貯蔵庫。
「ハックションッ!」
安全を確保した途端、水飛沫でずぶ濡れになっていた怜司が大きなくしゃみをした。
「馬鹿野郎! 風邪を引く気か!」
ザフィラが怒鳴りながら、手にした乾いたタオルで怜司の頭をガシガシと乱暴に拭き始めた。
「痛い、痛いって! 力強すぎだろ!」
「マスター、急激な体温の低下を検知しました」
セナがケープを脱ぎ捨て、無表情のまま怜司の背中にぴったりと張り付いてきた。
「直ちに緊急密着保温を実行します。熱を逃がす機構の温度を調整します」
「ちょ、お前熱い! 金属熱いから!」
『ええい、抜け駆けは許さぬぞ!』
少女の姿へと成長したエルネリアも、深紅のドレスを翻して怜司の前に陣取った。
『魔王たるわらわの温もりを直接与えてやるのじゃ! 泣いて有難がるがよい!』
「お前はただ面白がってるだけだろ!」
そんな騒ぎの中、ノエラだけは静かに怜司の手を取り、柔らかい布でその指先を丁寧に、ひどく優しく拭き取っていた。
「……指先が冷えると、困りますよね。久瀬さんの手は、一番大切ですから」
ノエラが上目遣いで、眠そうな瞳を細めて微笑む。
顔を真っ赤にして騒ぐザフィラたちをよそに、怜司はノエラのその言葉に深く頷いた。
「ああ。指が冷えると動きが極端に遅れるからな。……助かるよ、ノエラ」




