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第19話 逃亡楽団は、家族を演じられない

大聖堂の地下区画から無事に脱出した翌朝。王都の空気は、一晩にしてひどく剣呑なものへと変わっていた。


 スラム街の廃屋の隙間から外を覗き見た怜司は、短くため息をついた。


「……見事に手配書が回ってるな。仕事が早すぎる」


 大通りには完全武装の教会騎士が一定間隔で配置され、区画を繋ぐ橋や大通りには厳重な検問が敷かれていた。手配書には『神の奇跡を盗んだ異端の魔女とその一党』として、怜司、ザフィラ、ノエラ、そしてセナの特徴が克明に記されている。


 このまま廃屋に籠もっていても、いずれしらみ潰しの捜索で見つかるのは明白だった。


「移動するしかないな。だが、まともに歩けば三十秒で捕まる」


 怜司の言葉に、ザフィラが忌々しそうに腕を組んだ。


「どうする気だ。力行で検問を突破するか?」


「馬鹿言え、王都の騎士全員を相手に立ち回れるほど手印のスタミナはない。変装して誤魔化す」


 怜司は夜会の際に着ていた礼服を裏返し、ボロボロの外套を羽織った。


「地方から、大祭の興行稼ぎにやってきた『旅芸人の一家』だ。これなら楽器(槍)や大盾を持っていても、舞台の小道具だと言い張れる」


「い、一家って……私たちが、家族を演じるんですか?」


 ノエラが目を丸くして戸惑う。


「そうだ。俺が座長で夫役。ザフィラが妻役。背の高いセナとノエラが、俺の妹役ってところか」


「なっ……! 私が、お前の妻だと!?」


 ザフィラが顔を真っ赤にして叫んだ。


「適任だろ。一番態度がデカくて口うるさいんだから」


「ふざけるな、誰が口うるさいだ!」


『ええい、待て待て待てェイ!』


 抗議するザフィラの横から、昨夜の魔力回収によって十五、六歳の少女の姿へと成長したエルネリアが、深紅のドレスを翻して割り込んできた。


『なぜわらわが勘定に入っておらぬ! それに、妻役がその筋肉女というのは納得がいかん! ここはわらわこそが正妻を名乗るべきであろう!』


「お前は身長的に無理があるだろ。生意気な長女役でもやってろ」


『長女だと!? わらわは貴様らよりずっと長く生きている魔王じゃぞ! 屈辱じゃ!』


「じゃあ荷物箱の中に隠れてるか?」


『……わかった、長女で我慢してやろう』


 不満げに頬を膨らませる少女魔王。相変わらずプライドと環境適応能力のバランスがおかしい。


 ともあれ、配役は決まった。一行はフードや布で顔と特徴的な装備を隠し、大通りの検問へと向かった。


 検問の列には、大祭の準備に向かう多くの市民や商人が並んでいる。前方の騎士たちは、一人ひとりの顔を執拗に確認し、少しでも怪しい者には厳しい尋問を行っていた。


 徐々に列が進み、怜司たちの順番が近づいてくる。


「……おい、ザフィラ」


 怜司は隣を歩くザフィラに小声で指示を出した。


「もっと自然にしろ。顔が強張ってるぞ。夫婦なんだから、腕くらい組んで歩け」


「う、腕だと!?」


「早くしろ、不自然だ」


 怜司が自ら右腕を差し出すと、ザフィラはビクッと肩を震わせ、おずおずと、ひどくぎこちない動作で怜司の腕に自分の腕を絡ませた。


 その瞬間、彼女の歩調が完全に狂った。


 ガクッ、と右足と右手が同時に前に出る。顔は耳の先まで朱に染まり、呼吸は浅く乱れ、横を歩く怜司の足に何度も自分の靴の先をぶつけてしまう。


 戦闘中はあんなに完璧なステップを踏む戦奏士が、ただ腕を組んで歩くという行為に動揺し、完全にリズムを見失っていたのだ。


(……なんだこの歩き方。BPMがめちゃくちゃだぞ)


 普通なら、女性に意識されている状況に男の方も照れたり動揺したりするのだろう。


 しかし、怜司の頭の中にあるのは『不自然な歩調は検問で怪しまれる』というエラー判定に対する修正だけだった。


「ザフィラ、歩幅が合ってない。もっとテンポを作れ」


「む、無理を言うな! こんなに密着して歩いたことなどないんだぞ!」


「戦闘中と変わらないだろ。俺の呼吸の音を聞け」


 怜司は腕を組んだまま、少しだけザフィラの方へ顔を寄せ、意図的にゆっくりと、深い呼吸の音を立てた。


「四分の四拍子。BPM七十。俺が左足を踏み出すタイミングが『一』だ。それに合わせて、お前も足を出せ」


「ひゃ、拍子……?」


「そうだ。一、二、三、四。……ほら、合わせろ」


 拍で示された具体的な指示。その途端、ザフィラの戦奏士としての本能が、恥じらいよりも『求められた歩調への同調』を優先した。


 彼女の呼吸が怜司の呼吸と重なり、手と足の不自然な連動がスッと解消される。


 トン、トン、トン、トン。


 二人の足音が、完璧なユニゾンとなって石畳に響く。


 腕を組み、互いの体温を感じながらも、その歩みには一切のブレがない。端から見れば、それは長年連れ添い、呼吸の隅々まで合わせることができる息の合った夫婦にしか見えなくなっていた。


「次、そこの五人組」


 検問所の前で、銀鎧の騎士が鋭い声をかけた。


 怜司はフードを深く被り、ザフィラと完璧な歩調で進み出た。


「大祭の興行で田舎から出てきた旅芸人の一座です。こちらは妻と、妹たち、それに娘でして」


「旅芸人だと? その布で包んである大きな荷物はなんだ」


 騎士が、セナの背負う大盾とザフィラの槍を怪しんで矛先を向ける。


「舞台で使う小道具です。少し重量がありまして」


「ふむ……。手配書の異端の魔女の一党は、男一人に女三人の四人組と聞いているが。お前たちは五人だな」


 手配書が回ったのは昨日の夜だ。その直後の深夜、大聖堂の地下でエルネリアが少女姿に成長(実体化)したため、教会の情報と現在の怜司たちの人数には『一人分の誤差』が生じていた。これが幸いした。


 騎士が手配書と怜司たちを見比べ、疑いの目を緩めかけた、その時だった。


『おい、いつまで待たせる気じゃ!』


 後ろで退屈そうにしていたエルネリアが、突然フードを跳ね除けて前に出ようとした。


『わらわは娘などではない! わらわこそがこの男の正妻であって……むぐっ!?』


 背後から、長い腕がエルネリアの口を物理的に塞いだ。セナだった。


「申し訳ありません」


 セナは無表情のまま、感情の一切こもっていない平坦な声で騎士に向かって頭を下げた。


「長女は、極度の空腹により糖分が不足し、発声機構……いえ、意識が混濁しています。直ちに糖分を補給し、黙らせます」


 セナはそのまま、エルネリアの口に持っていた携帯食料の干し肉を強引にねじ込んだ。


「むーっ! んぐーっ!」


 暴れるエルネリアを無表情でホールドするセナ。


 騎士は不気味なものを見る目でその光景を引きつり、やがて厄介払いをするように手でシッシッと合図をした。


「……もういい、通れ。王都の風紀を乱すような真似はするなよ」


「ありがとうございます」


 怜司は愛想笑いを浮かべ、完璧な歩調のままザフィラを連れて検問所を抜け出した。



 検問を越え、教会騎士の目から逃れた先の区画。


 人気のない路地裏に入ったところで、一行は一斉に安堵の息を吐き出した。


「死ぬかと思った……。お前、よくあんな堂々と嘘がつけるな」


 ザフィラが真っ赤な顔で怜司の腕から離れ、乱れた呼吸を整える。


「マスター。私の機転による状況対応処理は適切でしたか」


「ああ、完璧だった。危うくエルネリアのせいで全部台無しになるところだったからな」


 怜司が褒めると、セナはわずかに首を傾げ、エルネリアは干し肉を噛みちぎりながら不満げに睨んできた。


 そんなやり取りをしていると、路地の奥から、ひっそりとした泣き声が聞こえてきた。


 視線を向けると、薄汚れた身なりの一般人の老婆が、石畳の上に倒れ込んだ荷馬車のロバの傍らで途方に暮れていた。


「どうしよう……大祭の準備の品を、今日中に教会へ届けなきゃいけないのに……。お前が動けなくなったら……」


 過労と栄養不足で、ロバは完全に動けなくなっているようだった。


「……おい。今は目立つ行動は避けるべきだぞ」


 ザフィラが小声で忠告する。


 確かに、指名手配中の身で、こんなところで魔法や奇跡を起こせば、再び騒ぎになる可能性がある。怜司も、ここは見過ごして先へ進むべきだと合理的な判断を下そうとした。


 だが。


 怜司が止めるか迷うよりも早く、ノエラが藍黒のドレスの裾を揺らし、すっと前へ進み出た。


 彼女はフードを深く被ったまま老婆のそばに跪き、倒れたロバの首筋にそっと手を触れた。


「あ、あの……お嬢さん?」


 驚く老婆に微笑みかけ、ノエラは静かに息を吸い込んだ。


 怜司に『時間と場所を指定してくれ』と言っていた昨日までの彼女ではない。


 機能として指示されたからでも、教会の命令だからでもない。ただ目の前で困っている者を助けたいという、彼女自身の明確な意志による行動だった。


 ――♪……。


 路地裏に、深く重い『治癒の歌』が響き渡る。


 周囲の雑音を押し除け、ロバに蓄積した疲労と痛みを浄化する対象指定の魔法。


 数秒後、ロバはブルルと鼻を鳴らし、何事もなかったかのように力強く立ち上がった。


「あ、ああ……! なんて不思議な歌……。ありがとうございます、お嬢さん、本当に……!」


 老婆が何度も頭を下げるのを背に、ノエラは足早に怜司たちの元へと戻ってきた。


「……ごめんなさい。勝手なことをして」


 ノエラが少し怯えたように上目遣いで謝る。


 だが、怜司は怒るどころか、満足そうに口角を上げていた。


「謝る必要はない。……いい声だった。お前が歌いたい時に、お前の意志で歌うのが、一番音程が安定する」


 怜司の肯定の言葉に、ノエラの眠そうな瞳がぱっと輝き、嬉しそうに小さく頷いた。


 追われる身となった絶体絶命の逃亡劇。


 だが、彼らの間には、血の繋がりとも偽装の家族役とも違う、互いの音と意志を信頼し合う『楽団』としての絆が結ばれ始めていた。

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