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第18話 少女魔王が、初めて歌った

音のない防衛魔物を粉砕し、怜司たちは大聖堂の最深部にそびえる重厚な鉄扉を押し開けた。


 そこは、王都の地下に隠された巨大なすり鉢状の空洞だった。


 中央には、天井まで届くほどの巨大な円柱――大聖炉の一部である魔力集積塔が鈍い光を放ちながら屹立している。そして、その集積塔を取り囲むように、壁面に沿って無数の鉄格子の牢獄が蜂の巣のように並んでいた。


「……なんだここは。教会の地下に、こんな悪趣味な監獄があるなんて聞いてないぞ」


 ザフィラが顔をしかめ、戦弦槍を構えたまま周囲を油断なく見回す。


 牢獄の中には、ボロボロの服を着た人々が力なくうずくまっていた。彼らの首や手首には青白く発光する魔力鎖が繋がれており、その鎖は中央の集積塔へと伸びている。


 彼らは罪人ではない。着ている服や痩せこけた顔つきから、王都の最下層の平民や、体内魔力が極端に少ない者たちだとわかる。


「マスター。対象者たちの生体反応が著しく低下しています。微弱な体内魔力を、あの鎖を通じて中央の塔へ継続的に抽出されている模様です」


 セナの分析を聞き、怜司は目を細めた。


「大祭の聖歌と共鳴させるための、魔力バッテリーの代わりってわけか」


 聖務卿カリオンは『魔力は厳格に管理されねばならない』と言っていた。王都の水路や灯りを維持し、現行の秩序を守るためなら、低魔力者から僅かな魔力まで搾り取ることも、正当な管理の一部なのだろう。


「助けましょう」


 怜司が口を開くより早く、ノエラが静かに、だがはっきりとした声で言った。


 彼女はかつて、教会の規則を破って見捨てられた貧民の子供を救い、追放された。教会の都合で命をすり減らされている彼らを見て、見過ごせるはずがなかった。


「ああ、そのつもりだ」


 怜司は両手を構えた。


「だが、俺の手印で物理的に扉を破壊すれば、あの魔力鎖の逆流で中にいる連中が死ぬかもしれない。《解呪》の魔法をかけるにしても、対象が多すぎる」


「私が、やります」


 ノエラは迷いなく牢獄の中央へと進み出た。


 彼女は深く息を吸い込み、地下空洞の底から響き渡るような、重く深く、慈愛に満ちた歌声を紡ぎ始めた。


 ――♪……。


 それは、空間の魔力に直接『意味』を書き込む共鳴歌。


 ノエラの歌は、怯える囚人たちの肉体と魂には一切触れず、彼らを縛る『魔力鎖』と『鉄の錠前』だけを対象として捉えた。


「ザフィラ、セナ」


「言われなくても!」


「防衛ライン、構築します」


 ザフィラがステップを踏んで正確な速度(BPM)の土台を作り、セナが大盾を構えて万が一の魔力暴発に備える。


 完璧な伴奏と、揺るぎないボーカルの対象指定。


 怜司はノエラの歌声が作り出した見えない魔力の道筋レーンに沿って、高速で手印を入力した。


 怜司の指先から放たれた《解呪》の波が、ノエラの指定した通りに牢獄の錠前と魔力鎖だけを正確に貫いた。


 ガキンッ! パリンッ!


 ガラスが砕けるような音を立てて、数百本に及ぶ魔力鎖が一斉に霧散し、すべての鉄格子が重い音を立てて開け放たれた。


「あ……鎖が……!」


「扉が開いたぞ!」


 突然の解放に、囚われていた人々が信じられないという顔で立ち上がり、やがて歓喜の声を上げて泣き崩れた。


 誰一人傷つけることなく、巨大な搾取のシステムだけを破壊する。四人の技術が完全に噛み合った、疑いようのない大勝利だった。


「騒ぐな! 上の連中が来る前に、教会の裏口から抜けろ!」


 怜司の指示で、人々は我先にと脱出路へ向かって駆け出していく。


 全員が牢獄から逃げ出したのを確認し、怜司たちも地下空洞を後にしようとした、その直後だった。


『……ほう。やはり、この集積塔には、わらわの術理の一部が組み込まれておったか』


 宙に浮いていた幼女姿のエルネリアが、中央の集積塔から溢れ出した青白い光の粒子を浴びて、うっとりと目を細めた。


 対象を限定する歌の力。その解析データが塔から解放され、本来の持ち主であるエルネリアの元へと還っていったのだ。


 次の瞬間、エルネリアの小さな身体が眩い光に包まれた。


「なっ……なんだ!?」


 ザフィラが目を覆う。光の中で、エルネリアの身体の輪郭が急激に変化していく。


 短かった手足がすらりと伸び、幼かった顔つきが大人びたものへと変わる。光が収まった時、そこに立っていたのは十歳の幼女ではなく、十五、六歳の十代半ばほどの、息を呑むほど美しい『少女』だった。


 長かった銀髪はさらに艶を増し、深紅のドレスが成長した身体のラインにぴったりと寄り添っている。


「……成長した、のか?」


 怜司が呟くと、少女姿となったエルネリアは自身の喉元にそっと触れ、小さく咳払いをした。


「あー……。ふふっ、声帯も十分に育ったようじゃな」


 彼女の声は、幼女の時の甲高い響きから、低く艶を帯びた、ひどく耳に心地よいアルトへと変化していた。魔王の復元が、また一つ段階を進めたのだ。



 怜司たちが大聖堂の地下から脱出し、王都の暗い路地裏へと姿を消した頃。


 大聖堂の上層では、激しい足音と怒号が飛び交っていた。


「聖務卿閣下! 地下の集積塔への魔力供給が突如として断絶! 魔力回路バッテリーとして収容していた者たちがすべて逃亡しました!」


 神官からの報告を受け、聖務卿カリオンは冷徹な眼差しで王都の夜景を見下ろしていた。


「……あの異邦人の仕業か。魔力を持たぬ分際で、教会の秩序を根底から乱すか」


 大祭まで時間は少ない。第一封印曲を安定して運用するためには、大聖炉の強制同期システムを完璧な状態で維持しなければならない。


「手配書を回せ。罪状は『神の奇跡を盗んだ異端の魔女とその一党』。生死は問わん、王都全域の騎士団を動員して捕縛しろ」


 翌朝には、王都の至る所の掲示板に怜司たちの似顔絵が貼り出され、彼らは完全に追われる身となった。



 昼間から薄暗い、王都のスラム街の奥深く。


 廃棄された倉庫の中に身を隠した一行は、壁の隙間から外の様子を伺っていた。


「完全に指名手配されたな。大通りには教会の騎士がウヨウヨしている」


 ザフィラが舌打ちをしながら、戦弦槍の手入れをする。


「好都合じゃ。隠れんぼは嫌いではない」


 埃っぽい木箱の上に優雅に腰掛けているのは、少女姿へと成長したエルネリアだ。彼女は長い銀髪をかき上げると、滑らかな動作で立ち上がり、怜司のすぐ隣へとすり寄った。


「それより奏者よ。わらわのこの美しい声が聞こえるか?」


「ああ。少し低くなって、聞き取りやすくなった」


 怜司が適当に答えると、エルネリアは不敵な笑みを浮かべ、部屋の隅で膝を抱えているノエラを見下ろした。


「対象を限定する歌の力は、もはやわらわ自身が使える。つまり、あの陰気な小娘の歌など、もう不要ということじゃ」


 その言葉に、ザフィラの手がピタリと止まり、セナが青い瞳を明滅させた。


 エルネリアは怜司の腕に絡みつき、妖艶な声で耳元に囁く。


「わらわの歌声の方が、貴様の入力に完璧に合わせられる。わらわ一人いれば、他の伴奏者などいらぬぞ?」


 圧倒的な自信からくる、少女魔王の宣戦布告。


 普段のノエラであれば、「そうですよね、私なんかお荷物ですよね」と自虐して身を引いていたはずだ。


 しかし。


「……譲りません」


 ノエラは顔を上げ、眠そうな瞳の奥に静かな意志の光を宿して、エルネリアの傲慢な視線を真っ直ぐに跳ね返した。


「久瀬さんは、私の声が一番届く位置センターで鳴らさないと意味がないって言ってくれました。だから……私の歌は、私が歌いたいから歌います」


 それは、彼女が初めて自分自身の『役割』に対するプライドを見せた瞬間だった。


 バチバチと、二人のボーカルの間に目に見えない火花が散る。


 だが、二人の少女から鋭い視線を向けられている当の怜司は、面倒くさそうに首を掻き、ひどくあっけらかんと言い放った。


「俺からすれば、どっちでもいい。音程が正確で、手印が滑らかに繋がる方へ合わせるだけだ」


 好意も嫉妬も関係ない。ただ、より高いスコア(魔法の精度)を出せるかどうか。


 ゲーマーとしての揺るぎない実力主義の態度に、エルネリアとノエラは同時に不満げに頬を膨らませた。


 逃亡生活の始まりは、ひどく音楽的で、そして少しだけ騒がしかった。

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