第16話 同じ部屋では眠れません
王都の有力貴族が主催した夜会は、怜司たちの手印魔法の公開実験によって熱狂と混乱の中で幕を閉じた。
貴族たちは怜司たちを賓客として扱い、館の最上階にある豪奢な『主賓室』を一行の宿泊場所として提供した。だが、広いリビングと天蓋付きの巨大なベッドがあるその部屋に通された途端、予想通りの面倒な問題が発生した。
「……おい。誰がどこで寝るんだ、これは」
怜司が呆れたように呟く。用意されたのは巨大な主賓室と、それに繋がる小さな着替え用の小部屋がいくつかだけだった。
『決まっておろう!』
真っ先に動いたのは、幼女姿のエルネリアだった。彼女は深紅のフリルドレスを翻して、部屋の中央にある天蓋付きのベッドへ躊躇いなくダイブした。
『この極上の柔らかさ、まさに魔王の玉座! ここはわらわの領土じゃ。奏者よ、貴様は特別に足元で丸くなることを許可してやろう』
シーツにくるまってふんぞり返るエルネリアを無視し、怜司が息を吐いた瞬間。
「マスター。本日の実験における疲労を考慮し、即時の睡眠を推奨します」
背後にいたセナが、無表情のまま怜司のすぐ隣に直立不動で立った。
「睡眠時もマスターは完全な無防備状態となります。よって、私はこの位置で二十四時間の至近距離護衛を継続します」
「おい待て、機械人形!」
すかさずザフィラが噛み付いた。彼女はスリットの入った漆黒のドレスのまま、戦弦槍を床に突き立ててセナを睨みつける。
「お前、また異邦人と同じ部屋で夜を明かす気か! いくら機械とはいえ、男女が同室など風紀が乱れるだろうが!」
「私の性別は護衛規定に関係ありません。防衛効率を優先します」
「屁理屈をこねるな! お前はあっちの小部屋で待機しろ!」
ザフィラがセナの肩を強引に押そうとするが、セナはピクリとも動かない。
「なら、ザフィラが別の部屋に行けばいいだろ」
怜司が口を挟むと、ザフィラは顔を真っ赤にして彼を睨み返した。
「ば、馬鹿を言うな! 私が離れたら、誰がお前の指のコンディションを監視するんだ! 夜中に変な手印の練習でもされて、明日の私の伴奏に影響が出たら困るからな! 私はここで見張らせてもらう!」
そう言って、ザフィラはベッドの横にあるふかふかの長ソファーにどっかりと座り込み、絶対に動かないという意志を示した。
「あ、あの……」
部屋の隅から、ノエラがひどく申し訳なさそうな小声で手を挙げた。
「私は、廊下の隅っこで十分ですから……。皆さんはどうぞ、温かいお部屋で休んでください」
「馬鹿言え。ボーカルに風邪引かれたら困るんだよ。お前もそこら辺の椅子に座ってろ」
怜司がノエラを強引に室内のアームチェアに座らせると、ノエラは藍黒のドレスの裾をぎゅっと握りしめて縮こまってしまった。
ベッドに幼女、壁際にゴーレム、ソファーに戦奏士、椅子に元聖女。
だが、怜司は彼女たちの配置争いを聞き流し、部屋の真ん中にある分厚い絨毯へ直接あぐらをかいた。
彼にとっては、誰がどこで寝るかという風紀の問題よりも、夜会での基礎手印の連続入力で熱を持った両腕のクールダウンの方がはるかに重要だった。
怜司は目を閉じ、ゆっくりと手首を回す。
――その時だった。
「……ん?」
床に手をついていた怜司の掌に、微かな、しかし奇妙な感覚が伝わってきた。
トン……トン……トン……。
それは、遠く離れた地中深くから伝わってくるような『振動』だった。
「おい。みんな、ちょっと黙ってろ」
怜司の声色が真剣なものに変わったのを感じ取り、ザフィラたちの口論がピタリと止む。
怜司は床に両手をつき、そのまま耳を絨毯に押し当てた。
間違いない。微かだが、確かな震えが王都の地盤そのものを伝わってきている。
「……マスター」
セナの青い瞳が、警告の色を帯びて明滅した。
「地下深度より、強大な魔力駆動音と規則的な振動を検出。……自然界の波長ではありません」
「ああ。わかってる」
怜司は床から顔を上げ、険しい目つきで中空を睨んだ。
「BPMは正確に六十。人間が束になって魔力を練り上げている時の、あの不規則な揺らぎが一切ない。……まるで機械のように完璧な、強制的な『拍』だ」
その言葉に、ザフィラがハッと息を呑んだ。
「お前、まさか……」
「あの時……宿場町でエルネリアが言っていた言葉を思い出した」
怜司はベッドの上でフォークを弄っているエルネリアを一瞥した。
「『教会の地下には、第一曲に関わる巨大な装置がある』とな。王都中の魔力と聖歌を集中管理する装置、大聖炉」
夜会で聖務卿カリオンが語った言葉が、怜司の脳裏に蘇る。
――魔法は教会と、限られた血統によって厳格に管理されねばならない。
「あのカリオンって親玉は、王都の魔力が枯渇しないように、すべてを完璧に統制しようとしている。この床下から響いてくる不自然なまでに正確な拍は、王都のすべての魔術師や聖歌隊の呼吸を『同じタイミング』に強制同期させるための、巨大なメトロノームなんじゃないか?」
個人の感情や、自然の揺らぎを一切許さない、絶対的な管理システム。
ノエラが青ざめた顔で自身の胸元を握りしめた。彼女がかつて教会から追放された理由。それは、均質化された聖歌のルールを破り、個人の感情を歌に乗せたからだ。
「……もし、その大聖炉の強制的な拍と、第一封印曲《還天掌》が完全にリンクしてしまったら」
怜司はゆっくりと立ち上がった。
「俺たちがどれだけ速く手印を組もうが、ノエラが対象を変える歌を歌おうが、大元の大聖炉が刻む拍に飲み込まれて、全部無効にされる危険がある」
大祭まで、残り時間は少ない。第一曲の対象指定を解除し、存在しない終止部を作るには、まず心臓部となる装置の構造と、王都を巡る魔力の流れを直接見て把握しなければならない。
「部屋割りで揉めてる場合じゃなくなったな」
怜司は黒の礼服の襟元を少し緩め、夜の闇に沈む王都の窓外を見つめた。
「今から、この振動の発生源……教会の地下へ潜るぞ」
その一言で、部屋の空気が一変した。
「フン、やっとまともな行動を起こす気になったか」
ザフィラが漆黒のドレスの裾を翻し、戦弦槍を軽々と担ぎ上げた。
「了解しました、マスター。隠密行動および戦闘への移行準備を完了」
セナが無表情のまま純白のケープを翻し、大盾の展開ロックを解除する。
「私……私も、行きます」
ノエラが藍黒のドレスを身に纏ったまま、覚悟を決めたような強い瞳で立ち上がった。
『くははは! よいぞ奏者よ、己の目で世界の残酷なカラクリを暴きに行くがよい!』
ベッドの上でエルネリアが楽しげに笑い声を上げる。
夜会での華やかな衣装を身に纏ったままの四人(と幼女一人)は、貴族の館の厳重な警備の目を掻き潜り、夜の王都へと躍り出た。
目指すは、床下から響く不気味な拍の震源地。
教会の心臓部、大聖堂の禁じられた地下区画である。




