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第15話 魔力ゼロが、奇跡を公開再現する

王都の有力貴族が主催する夜会。その会場となる豪奢な大広間は、むせ返るような香水とワインの匂い、そしてひどく冷ややかな好奇の視線で満ちていた。


 シャンデリアの眩い光の下に集まっているのは、豪奢なドレスや仕立ての良い燕尾服を着飾った高位の貴族たち、教会の白い法衣を纏った神官、そして王国魔術師団の幹部たちだ。


「聞いたか? 体内魔力がゼロの異邦人が、大魔法を使うらしいぞ」


「馬鹿馬鹿しい。魔道具を使った手品か、新手の詐欺に決まっている」


「だが、あの魔物の墓場の死霊を浄化したという追放聖女を連れているという話だ。見世物としては面白かろう」


 ヒソヒソと交わされる会話には、明確な嘲笑と見下すような響きが含まれていた。


 やがて、広間の奥にある重厚な扉が開かれた。


 喧騒が、ぴたりと止んだ。


 入場してきた四人の姿に、会場の誰もが目を奪われたからだ。


 先頭を歩くのは、指揮者を思わせる漆黒の礼服を身に纏った怜司。その後ろに、スリットの深い戦士の礼装で堂々と歩くザフィラ、夜の闇のような藍黒のドレスを着たノエラ、そして純白のケープを羽織った無表情のセナが続く。


 寄せ集めの冒険者や、いかがわしい詐欺師の集団ではない。そこには、一つの完成された『楽団』としての威風と、圧倒的な統一感があった。


 怜司は広間の中央に用意された大理石の演台へと迷いなく進み、振り返って観衆を見渡した。


「紹介に預かった、久瀬怜司だ」


 拡声の魔道具は使わない。だが、よく通る声が静まり返った広間に響いた。


「俺には体内魔力が一切ない。だが、空気中に漂う『世界魔力』に手の形とリズムで命令を下すことで、魔法という現象を起動できる。今日はそれを見せに来た」


 前置きはそれだけだった。怜司は両手を胸の高さに構え、即座に入力を開始した。


 右手の指を弾き、左手で弧を描く。


 パチッ、という軽い音とともに、怜司の指先に青白い火炎が灯る。そのまま休むことなく手を反転させると、火炎は瞬時に細い水流へと変わり、空中で美しい螺旋を描いた。さらに三拍子を刻みながら両手を交差させると、水流は凍りつき、キラキラと輝く氷の粉となって広間に舞い散る。


「おおっ……」


 流れるような魔法の連続行使に、貴族たちからどよめきが漏れる。


 しかし、すぐに魔術師団の幹部の一人が鼻で笑った。


「くだらん。袖の中に属性を切り替える魔石でも仕込んでいるのだろう。魔力ゼロの人間が魔法を行使するなど、物理法則に反している。手品を真に受けるな」


 その言葉に、貴族たちも「なんだ、やはり詐欺か」と嘲笑を取り戻す。


 彼らの社会は、生まれ持った魔力量によって地位が決定される。魔力を持たない者が自分たちと同じ、あるいはそれ以上の魔法を使えるという事実は、彼らの存在意義を根本から否定するものだ。だから、決して認めるわけにはいかない。


「手品じゃない」


 怜司は袖をまくり上げ、一切の仕掛けがないことを示したが、観衆の疑いの目は晴れなかった。


「俺だからできるわけじゃない。この手印は、正しい形と拍を身につければ誰にでも再現できる」


 怜司は演台から降り、観衆の最後列、壁際でトレイを持ったまま震えていた一人の少女を指差した。


「そこの君。ちょっと手伝ってくれないか」


「えっ……? わ、私ですか……?」


 安物のメイド服を着た、十代半ばほどの給仕の少女だった。怜司は彼女を演台に上げると、魔術師団の幹部に魔力測定器を持ってくるよう要求した。


 測定器の水晶に少女が手を乗せる。水晶は微かに濁った光を放っただけだった。


「ご覧の通りだ。彼女の体内魔力は、火熾し一つできない平民の最低レベル」


 幹部が冷笑して言う。


「その少女に、俺の真似をさせる」


 怜司は少女と向かい合い、ゆっくりと両手を構えた。


「いいか。これから教える三つの手の形を、俺が手を叩くリズムに合わせて作ってみてくれ。難しく考える必要はない、ただ形を真似るだけだ」


 怜司は火を灯すための最も基礎的な手印を示した。


 少女は怯えながらも、見よう見まねで指を曲げる。一つ、二つ、三つ。


 だが、何も起きない。


「ほら見ろ! やはり嘘ではないか!」


 会場から爆笑が沸き起こる。「平民に魔法が使えるはずがない」という安心感から来る、ひどく醜い笑い声だった。


 だが、怜司は外野の騒音を完全にシャットアウトしていた。彼の目は、少女の手の動きという『入力のズレ』だけを正確に解析していた。


「気にするな。形は合ってるが、入力のタイミングが遅い。それと、手首の角度が内側に入りすぎている」


 怜司は少女の手首に優しく触れ、角度を数ミリ単位で修正した。


「二手目から三手目に移る時、息を止めるな。空間の魔力は、呼吸の拍まで拾っている。俺が『タン、タン、タン』と手を叩くから、それに合わせて息を吐きながら指を動かせ」


 それは、ゲームセンターで初心者にコントローラーの握り方や、ボタンを押すタイミングを教えるのと同じだった。


 精神論や血統など関係ない。ただ、物理的な入力の精度を極限まで高めていくだけ。


「もう一度」


 怜司が手を叩く。タン、タン、タン。


 少女が指を動かす。まだ固い。不発。


「小指の開きが足りない。もう一度」


 タン、タン、タン。


 不発。


「惜しい。三拍目で少し走った(急いだ)。心臓の音を意識しろ。もう一度」


 嘲笑に満ちていた会場が、少しずつ静かになっていった。


 何度も何度も、執拗なまでに指の角度と姿勢、間隔を修正し続ける怜司の異様なほどの真剣さに、誰も口を挟めなくなっていたのだ。


 そして、十数回の試行錯誤の末。


 怜司が刻む正確な三拍子に、少女の呼吸と、滑らかに直された手印の軌道がぴたりと重なった。



 ポッ、と。


 少女の人差し指の先端に、小さな、しかし誰の目にもはっきりと見える、黄金色の灯火が点いた。


「あ……」


 少女が信じられないという顔で、自分の指先を見つめる。


 大広間は、水を打ったような完全な沈黙に支配された。


 体内魔力という才能を持たない最下層の平民が、わずかな訓練と正しい手順を踏んだだけで、外部の魔力を操り魔法を行使した。


 彼らが信奉してきた『魔力による絶対的な階級社会』の根幹が、たった一つの小さな灯火によって完全に破壊された瞬間だった。


 観衆の最後方。


 壁に寄りかかってその光景を見ていた若手魔術師レオン・グラードは、血走った目で少女の指先の火を見つめ、無意識のうちに自分の杖を握り潰さんばかりの力を込めていた。


(……偶然などではなかった。あいつは本当に、魔力なしで魔法を……)


 遺跡での出来事が蘇り、レオンの常識と、選ばれた魔術師としての自負が音を立てて崩れていく。


「す、素晴らしい! なんという奇跡だ!」


 沈黙を破ったのは、恰幅の良い貴族の叫びだった。


「その技術を我が領地で教えろ! いや、私に独占権を寄越せ!」


「ふざけるな、まずは魔術師団が研究の対象とするのが先だ!」


 嘲笑は熱狂へと変わり、貴族たちが血眼になって演台へ群がろうと押し寄せてくる。


 だが、怜司が彼らの欲望に満ちた顔を冷ややかに見下ろした、その直後だった。


 フッ、と。


 少女の指先の火が、突然かき消えた。


 怜司も同じ手印を組み直す。だが、火花すら散らない。先ほどまで肌を押していた見えない流れが、広間の中だけ薄くなっていた。


「なっ、なんだ!?」


「もう一度だ。さっきと同じ手を!」


 騒然とする広間。壁の魔力灯やシャンデリアは変わらず光っている。あれらは供給晶に蓄えた体内魔力で動く現代の設備だからだ。消えたのは、世界魔力へ手を伸ばした少女の火だけだった。


 怜司は両手を開き、空間の感覚を確かめて眉をひそめた。


(手応えがない。この部屋だけ、空になってる)


 閉ざされた大広間で、怜司が何度も手印を実演し、少女も成功まで世界魔力へ触れ続けた。その結果、外から補われるより早く、広間を満たしていた世界魔力を使い切ってしまったのだ。


「騒ぐな、俗物ども」


 狼狽する貴族たちを制するように、低く冷たい声が響いた。


 広間の奥から歩み出てきたのは、金糸の刺繍が入った白い法衣を着た、壮年の男だった。教会の聖務卿、カリオンである。


「視えない魔力(世界魔力)とて、無限に湧き出るわけではない」


 カリオンは怜司を鋭く睨み据え、会場全体に響く声で宣告した。


「その手印とやらを、無知な民衆が際限なく使えばどうなるか。各地の魔力が枯れ、水路も灯りも止まり、いずれこの世界は干上がる。……だからこそ、魔法の行使は教会と、限られた血統の者によって厳格に『管理』されねばならないのだ」


 その言葉には、有無を言わせぬ絶対的な重みと論理があった。


 手印魔法は、誰にでも可能性を与える希望の光だ。しかし同時に、狭い場所で無制限に使えば周囲の世界魔力を使い切る。普及には、消費量と回復を測る仕組みが欠かせなかった。


 怜司は反論せず、ただ静かにカリオンを見返した。


 完全な勝利による逆転劇ではない。自分たちの技術が世界に受け入れられるためには、乗り越えなければならない巨大なルールが存在することを、怜司ははっきりと認識していた。

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