第12話 追放聖女の歓迎会は、静かすぎる
避難民キャンプを出発し、半日ほど街道を歩いた一行は、王都の少し手前にある小さな宿場町に到着していた。
日が落ちて冷え込んできたこともあり、今日はここで一泊することになった。
怜司の提案で、宿の一階にある食堂のテーブルを一つ陣取り、新しく楽団へ加わったノエラの歓迎会をささやかに開くことになった。
テーブルには、焼きたてのパンと山盛りの肉料理、そして温かいスープが運ばれてきている。
だが、肝心の主役の姿がテーブルになかった。
「……おい。どこで食ってるんだよ」
怜司が呆れたように振り返った先。食堂の薄暗い部屋の隅っこで、ノエラが木箱の上にちょこんと座っていた。彼女の両手には、薄いスープが入った木の椀だけが握られている。
「え、あ……その」
ノエラは気まずそうに視線を泳がせ、小さな声で答えた。
「私なんかのために、お金や場所を使っていただくのは申し訳ないですから……。私はここで、このスープをいただければ十分です。皆さんの視界に入ると、食事が不味くなってしまうでしょうし」
彼女の声には嫌味も皮肉もない。本気で「自分が真ん中にいると周囲の迷惑になる」と思い込んでいるのだ。教会から異端の不良品として追放された記憶が、彼女の自己評価を極限まで押し下げている。
怜司はため息をつき、自分の席を立ってノエラの元へ大股で歩み寄った。
「あ、あの、久瀬さん……?」
「ほら、立て。こんな暗いところで飯が食えるか」
怜司はノエラの空いている方の腕を掴み、問答無用で彼女を引っ張り上げた。そして、ランプの明かりが一番届くテーブルの中央、自分が座っていた席のすぐ隣へと彼女を押し込んだ。
「ボーカルがそんな端っこにいたら、曲のテンポが合わせられないだろ」
キャンプの時と同じ、極めてシステム的で合理的な理由(建前)。
ノエラが戸惑って縮こまっている間に、怜司は大きな肉の塊とパンを彼女の皿にたっぷりと取り分けた。
「遠慮するな。お前の声は体力を消費する。しっかり食って喉を潤しておけ」
「あ……はい。ありがとうございます……」
ノエラは皿の上のご馳走と怜司の顔を交互に見比べ、それから少しだけ口元を綻ばせて、小さくパンをかじった。
そんな二人を見つめながら、向かいの席で露骨に不機嫌な音を立てて木の実をかみ砕いている者がいた。
ザフィラだ。
「……なんだ。私と組んだ時は、こんな歓迎会など開かなかったくせに」
ザフィラは黄金色の瞳を細め、怜司をジロリと睨みつけた。
「なんでそいつばかり特別扱いするんだ。一番槍は私だろう。私がいないと、お前は一歩も動けないはずだぞ」
「張り合ってどうする。お前の時は、魔物の大群から逃げるのに必死で飯どころじゃなかっただろ」
怜司が苦笑すると、ザフィラはフンと鼻を鳴らし、立ち上がって怜司の反対側の隣の席へと素早く移動し、ドンと腰を下ろした。
「私はここで食う。……お前の指の状態を、一番近くで監視しておく必要があるからな。別に、そいつに嫉妬したわけじゃない」
腕を組んでそっぽを向くザフィラの横から、スッと無機質な影が割り込んできた。
「ザフィラ対象。そこをどいてください」
セナだった。彼女は無表情のまま、ザフィラと怜司の間の狭い隙間に無理やり自分の体をねじ込もうとしている。
「マスターの左右は防衛上の要所です。不測の事態に備え、私が物理的距離を確保し、最適の盾を展開する必要があります」
「邪魔だ、機械人形! 私がお前の分まで弾いてやるから向こうへ行け!」
「拒否します。私の最上位目標はマスターの保護であり、あなたの槍では防御面積が不足しています」
言い争いながら席を奪い合うザフィラとセナ。そのささやかな騒動を、怜司はやれやれと首を振りながらも止めることはしなかった。
『ええい、やかましいわ!』
突然、テーブルの真ん中で幼女姿のエルネリアがフォークを振り回して立ち上がった。
『これはわらわの歓迎会でもあるはずじゃ! なぜこんな安っぽい肉とパンしかない! 王宮の菓子職人が作った、最高級の砂糖菓子を出さぬか!』
「そんな予算はない。嫌なら食うな」
怜司は騒ぐエルネリアの口に、道中の露店でまとめ買いした安物の蜂蜜がけの焼き菓子をポンと放り込んだ。
『むぐっ!? ……き、貴様、魔王に対してこんな庶民の餌を……!』
エルネリアはプンスカと怒りながら焼き菓子を吐き出そうとしたが、口の中に広がった蜂蜜の強い甘味にピタリと動きを止めた。
『…………』
もぐもぐ、と小さな顎が動く。
『……ふん。まあ、非常食としては悪くない味じゃ。特別に平らげてやろう』
言うが早いか、エルネリアは残りの焼き菓子も両手で抱え込み、幸せそうに頬を膨らませて完食してしまった。魔王としての威厳と、甘いものへのチョロさが同居している。
そんなエルネリアの様子を見て、ノエラが小さく吹き出した。
「ふふっ……」
それは、彼女が見せた初めての自然な笑顔だった。
温かい食事と、明るい灯り。自分を「厄介な異端者」としてではなく、「必要なボーカル」として当たり前のように真ん中に置いてくれる怜司たちの態度。
ノエラは今まで感じたことのない、不思議な居心地の良さを胸の奥に感じていた。
食事が一段落し、温かいハーブティーを飲みながら、ノエラは無意識のうちに機嫌の良い『鼻歌』を口ずさんでいた。
――ふふん、ふふ、ふーん……。
意味を乗せた共鳴歌ではない、ただの楽しげな旋律。
しかし、その鼻歌は極めて正確なピッチと、心地よい揺らぎのリズムを持っていた。
食後、椅子に座ったまま戦弦槍の手入れをしていたザフィラの耳が、そのリズムにピクリと反応した。
優れた戦奏士である彼女の身体は、完璧なテンポの音楽を与えられると、条件反射で動いてしまう。
ザフィラの指が、無意識のうちに槍の弦を弾いた。
ポロン、ポロロン……。
ノエラの静かな鼻歌のメロディに、ザフィラの弾く弦の音がピタリと寄り添うように重なり合った。
打ち合わせも、視線の交錯もない。ただ、音と音とが引き合い、極上の伴奏が成立する。
数秒間、その美しいセッションが食堂の片隅を満たした。
「あっ……」
「っ!」
ハッとして顔を見合わせた二人は、同時に音を止めた。
「ご、ごめんなさい! 私なんかが勝手に歌ったりして……!」
ノエラが慌てて口元を両手で覆う。
「ち、違う! 今のは別に、お前の歌に合わせたつもりじゃない! 槍の弦の張りを確かめていただけだ!」
ザフィラも顔を真っ赤にしてそっぽを向き、必死に槍を磨くふりをした。
怜司はティーカップを傾けながら、その不器用な二人のやり取りを面白そうに眺めていた。
(……やっぱり、音楽ってのはいいな)
言葉がなくても、音が合えばそれだけで一つになれる。
その微笑ましくも音楽的な空間の背後で。
直立不動で控えていたセナの青い瞳が、静かに明滅を繰り返していた。
ノエラの鼻歌の旋律、ザフィラの弦のピッチ、そして二人の呼吸のペース。
セナは、この穏やかな時間に鳴り響いたそれらの音を『生活音の基準』として、自身の記憶核の深層へ精緻に刻み続けていた。
それが、やがて訪れる音のない死地において、彼女たちを繋ぐ唯一の命綱になることなど、今はまだ誰も知る由はなかった。




