9話 温かい人たち
「私の、隣……?」
クラリスさんは顔を上げて、でも困ったように視線を泳がせる。
「はい。それで隣であなたが笑っていてくれたらもっといいです」
にっこり笑って宣言する。でも返事を求めたわけではないからそれ以上は何も言わなかった。
王都にある屋敷へ帰ってくるとアレクシス兄様もちょうど執務室から出てきたところだった。連れ添って兄様の奥さんのエレナさんも一緒に顔を出してくれる。
「兄様、エレナさん、ただいま戻りました」
「おかえりノエル。今日もまたベルモント領まで足を運んでいたのかい?」
「あら、噂の憧れの方ですか?ぜひお話聞きたいわ」
そう言うエレナさんの一言で応接間を使ったティータイムが急遽行われることとなった。
「それで?クラリスさんだったかしら。どんな方なの?」
前のめりに聞いてくるエレナさんに舞踏会で再会してから今日までのことを簡単に説明する。「うん、うん」と頷くエレナさんの横でアレクシス兄様は黙ったまま表情を動かすこともない。
一通り話し終えると「素敵な方なのね」とエレナさんは笑う。だからつい僕も「そうなんです!」とクラリスさん自慢に熱が入った。
「アレクシス様はクラリスさんにお会いしたことはあるのかしら?」
「いいや?まだ私は会ったことはないな。ユリウスもまだだと言っていたが」
「まあ!お相手の事情もあるのでしょうけど、今度連れてきたらいいじゃない。そう思わない?」
「えっ。クラリスさんをここにですか!?」
予想外の提案に驚きを隠せない。僕の都合で家に呼ぶなんてことしてもいいんだろうか。
「機会があったら連れてきなさい。ノエルが大変お世話になっているようだからね。歓迎しよう」
兄様にも言われてしまう。こんなこと彼女はどう思うだろうか。不安に思っているとエレナさんはこっそり片目をつぶって合図を送ってくる。まるで「任せなさい」と言っているようだった。
「ノエルさん、いつも美味しいお菓子ありがとうございます!お姉ちゃんならもうすぐ帰ってくると思うんで一緒に待ってましょう」
紅茶と茶菓子を用意して、クラリスさんの妹のリリアさんは椅子に案内してくれる。今日はもう依頼へ出かけてしまった後だとベルモント家の屋敷に着いてから知った。いつもは誰かしらからクラリスさんの行方を聞いていたから、彼女が不在なのは久しぶりのことだった。
「お姉ちゃんってばノエルさんが来てくれた日はすごく嬉しそうなんですよ。いつもありがとうございます。お姉ちゃんには、苦労ばかりかけちゃってるから、ノエルさんには助けられてると思います」
「クラリスさんが……」
僕がくると嬉しそうにしている?僕が一方的に会いたくて押しかけているのに、彼女も喜んでくれているならそれ以上幸せなことはない。
「うちはお母さんも早くに亡くして、お父さんも病気してるからお姉ちゃんに頼りっきりになっちゃって」
お母様のことはなんとなく知っていた。だけど、お父様のことは初耳だった。だからあまり話題に出したがらなかったのか。リリアさんは僕が知らないとは思っていないようでそのまま続ける。
「お父さんも病気はしてたけど今までは仕事もできていたし、王都へ必要な社交には参加できていたの。そのくらい元気だったんです。でも、最近は寝込んでることも多くて……」
「そう、なんですね」
知らなかった。だからクラリスさんは家や領地のために危険な依頼も引き受けながら、男爵家の仕事もしていたんだ。
これ以上勝手に聞いていいものかがわからなくて紅茶に手を伸ばす。リリアさんも一息つきたくなったのか紅茶に口をつけていた。
「とにかく!ノエルさんがいてくれて本当に良かったってことです。私も十五になったし、家のことはいろいろできるようになったので、お姉ちゃんももうちょっと自分のこと考えてくれるようになったらいいなって」
クラリスさんが優しくて温かい人なのは知っているけど、リリアさんも姉想いの温かい人だ。きっとベルモントの人たちは、みんなこうやってお互いを思いやりあって生きてきたんだろう。
ちょうど話がひと段落ついたところにタイミングよくクラリスさんが帰ってくる。
「あ、お姉ちゃんおかえり。ノエルさんがきてるよ」
「ただいま……じゃなくてリリア。ノエル様、よ。失礼だわ」
「だってノエルさんがそれでいいって言ってくれたもん」
「そういうことじゃないのよ。……ノエル様すみません。ようこそいらっしゃいました。お待たせして申し訳ありません」
仲の良い姉妹の微笑ましい会話が急に僕にもまわってきた。
「おかえりなさいクラリスさん。それとお邪魔しています」
挨拶も済んでいなかったことを思い出し慌てて立ち上がって言う。
「いいんですノエル様。座っていてください」
「そうそうノエルさん。お姉ちゃんがすぐ座らないからだよ」
「もう、リリア!」
リリアさんと話す時のクラリスさんは遠慮がなくていつもと違って新鮮だ。僕にもあれくらい砕けてくれたっていいのに。
「いいんですよ。むしろクラリスさんこそ楽に話してください」
「もう……本当にすみません。リリアはもうすぐ社交界デビューなんだから言葉遣いには気をつけなさい」
そそくさと立ち去ろうとするリリアさんにクラリスさんはピシャリと言う。
「わかってるもーん。私はお金持ちと結婚してお金のことはぜーんぶ解決してお姉ちゃんに楽させてあげるからね!」
「リリア!!」
「お父さんの様子見てくる〜」
聞いたことのない声で怒っているクラリスさんとあまり気にしていなさそうなリリアさん。ささっと部屋を出ていったから、もう誰もいない扉を見つめてため息をついている。
「本当に、すみません。失礼なこと言ってなかったですか?」
「大丈夫ですよ。あの、僕こそすみません。お父様のご病気のこと、聞いてしまったんです」
聞いたことはきちんと伝えるべきだろう。僕がくると嬉しいですか?とか、僕って頼りになりますか?とか聞いてみたいこともあったけど、今話すべきはそれじゃないだろう。
「そうですか。リリアったら、ノエル様が気を遣ったらいけないから内緒って言ったのに」
「お父様の具合、いかがですか?」
いつもははぐらかされていた話題だが、踏み込んでもいいだろう。もう話の一片は聞いてしまっている。
「昔王都で流行った病を知っていますか?母が亡くなった原因でもあるんです。父も長年患っていて」
ここまで話して落ち着くためか一呼吸をする。
「完治する病気じゃないことはわかっていたけど、ずっと元気だったから。最近急に調子が悪くなって、念のため療養しているんです」
「そうだったんですね」
病が流行った当初は効く薬もなく亡くなった人は多かったと聞いている。あれから研究が進み完治させるまではいかないものの、薬を飲み続ければ日常生活を送るのに支障のない範囲まで回復する病になったはずだ。でも、稀に重症化する人はいる。
「きっと母を亡くして私たち姉妹を育てるのに必死だったから無理してたんです。だから……しばらくゆっくりすればまた元気になると思うので、ご心配なさらずいてください」
無理してクラリスさんは笑っている。そんなに長くない付き合いだけれど、そのくらいは僕にだってわかる。
「クラリスさんは本当に、優しくて……強い人ですね」
今はそれが歯痒い。もっと僕を頼ってくれたら、せめて弱音でも吐き出してくれたら支えになれるのに。
「ノエル様こそ、優しい方ですよ」
そんな風に言われてしまったらもう僕には何もできなくなってしまう。でも、一人で無理して強くあってほしくない。これは僕のわがままだ。
「それに僕は強引で、あなたを放っておけないんです」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
明日の更新も20:00です。




