第②章:昼休みの仮面 (3)
九頭見はそのあとも、しつこく宮慶の方をつついていた。
ほんと、見ていて気分が悪い。
あいつが何か言うたびに、白石が横で笑って、山埜が少し遅れて合わせる。
あの三人、よくもまあ毎回あんなに気持ち悪くまとまれるもんだ。
まるで宗教か何かみたいだ。
いや、宗教に失礼か。
少なくとも、ああいうのは信仰じゃなくて、ただの寄生だろ。
宮慶はやっぱり何も言わなかった。
慣れてるのか、それとも慣れてるふりをしてるのかは分からない。
でも、あの顔は嫌いじゃない。
何かを言い返すでもなく、ただ耐えてる感じの顔。
ああいうのを見ると、少しだけ胸がざらつく。
別に俺が助ける義理はない。
ないけど、だからって平然としてるのも腹立たしい。
人ってのは、ほんと勝手だ。
九頭見の取り巻きどもは、まだあれこれ言っていた。
山埜が何か言った。
たぶん、またくだらないことだ。
でも、俺はその時ちょうど別のことを考えていた。
昼休みが終わったらどうするかとか。
今日の帰りに何を食うかとか。
さっき見た空の明るさとか。
そんな、どうでもいいことだ。
そして、そのどうでもいい思考の切れ目で、俺は無意識に口を開いていた。
「……哀れな」
言った直後、自分でも一瞬だけ「しまった」と思った。
でも、もう遅い。
教室の空気がぴたりと止まる。
山埜が、ぎょっとした顔で俺を見る。
九頭見も止まる。
白石も止まる。
凛成、慧斗、秋山までこっちを見ている。
いや、正確には、俺の方を見ていない奴もいるけど、少なくとも空気は一気にこっちへ寄った。
山埜が目をこすった。
ほんとに、聞き間違いを確認するみたいに。
「……は?」
俺は顔を上げた。
「何」
「今、何て言った?」
ああ、やっぱり聞こえたか。
そりゃそうだ。
思ったより小声じゃなかったし。
俺は内心で軽く舌打ちした。
でも、ここで引くのはもっと嫌だ。
「……いや、だから」
俺はなるべく平然を装って肩をすくめた。
「お前、ちょっと耳遠いんじゃないの」
「なんだと?」
山埜の眉がぴくっと動く。
「今、俺のこと言っただろ」
「聞き間違いじゃない?」
「……」
九頭見が少しだけ笑った。
あいつの笑い方、ほんと嫌だ。
勝手に場を支配してると思ってる笑い方。
でも、今はなぜか俺の方を見ている。
珍しい。
いや、珍しいっていうより、面倒な展開に少しだけ興味を持った顔だ。
山埜が机を一歩分くらい詰めてきた。
「おい、今のどういう意味だよ」
「そのままの意味だよ」
「ふざけてんのか?」
「ふざけてるのはそっちだろ」
自分でも、ちょっと声が強くなったのが分かった。
いや、強くなったというより、無理して張った感じだ。
喉の奥が少しだけ詰まる。
でも、それを表に出したら負ける気がする。
こういう時だけは、負けたくない。
勝ちたいわけじゃない。
ただ、飲み込まれたくないだけだ。
山埜は一瞬だけ目を細めた。
そして、ほんの少し距離を詰めてくる。
「今さら、急に何だよ。
いつも黙ってるくせに、今日は随分と偉そうじゃねえか」
「……」
「お前、自分が何か特別だとでも思ってんの?」
その言葉が、少しだけ腹に来た。
いや、少しだけど、かなり来たかもしれない。
でも、そういうのを顔に出すのはもっと嫌だった。
だから、俺は口の端を少し上げて見せた。
たぶん、かなり不自然だったと思う。
「別に」
俺は言った。
「でも、山埜が何を言ってるか分からない時点で、少なくともお前がまともじゃないのは分かる」
「は?」
「だって、ずっと九頭見の後ろで同じこと繰り返してるだけだろ」
「お前……」
山埜の顔が、少し赤くなる。
白石が「おいおい」と笑い、九頭見は鼻で笑った。
あーあ、やっちまったかもしれない。
でも、もう戻れない。
戻るくらいなら最初から言わない。
「そんなに怒るなよ、山埜」
俺は続けた。
「お前、九頭見がいないと何もできないくせに」
「……っ」
「ほんと、哀れだな」
その瞬間、山埜が一歩出た。
白石も一緒に前に出かけたけど、九頭見が手で止めた。
九頭見は、少しだけ笑っていた。
いや、ほんの少しじゃない。
あいつ、楽しんでる。
俺の方を見て、まるで珍しい見世物でも見つけたみたいな顔をしている。
「へえ」
九頭見が言った。
「今日の荷川取、ずいぶん元気じゃん」
俺はその声を聞いて、心臓が少しだけ速くなったのを感じた。
でも、今さら引けるか。
引いたら本当に終わる。
だから、俺はできるだけ平静を装ったまま言い返した。
「元気なのはお前らに対してだけだよ」
「なんだと?」
「だって、そうだろ。
九頭見みたいに、他人を囲ってないと威張れないやつって、ほんと見てて笑える」
「……」
「山埜も白石も、ただの腰巾着じゃん。
お前ら、三人で一人前にもなれてない」
教室の空気が、またひとつ固くなった。
やべえ、と思った。
でも、同時にちょっとだけ、言ってやった感もあった。
いや、言ってやったというより、口が滑っただけかもしれないけど。
山埜が、歯を食いしばったような顔で俺を睨む。
白石もさすがに笑っていない。
九頭見だけが、少しだけ面白そうに目を細めていた。
「……お前、何様のつもりだよ」
山埜が低い声で言った。
俺は一瞬だけ、喉の奥が乾くのを感じた。
でも、ここで黙ったら本当に終わる。
だから、少しだけ声を張った。
「何様でもいいだろ」
俺は言った。
「少なくとも、お前みたいに誰かの後ろに隠れて喋るやつよりはマシだ」
「……っ」
「お前ら、九頭見にくっついてるだけで偉くなった気でいるけど、実際は何もないじゃん」
山埜が拳を握った。
白石が横目で見た。
九頭見は、口元だけで笑っている。
その顔が、妙に癇に障る。
「荷川取」
凛成の声が聞こえた。
「やめとけ」
凛成は小さく、でもはっきりそう言った。
その横で慧斗も、少しだけ目を伏せている。
秋山はもう顔色が変わっていて、さっきまでの軽い雰囲気は消えていた。
ああ、そうか。
やっぱりここまでか。
俺の中で、少しだけ冷静さが戻る。
でも、戻ったところで遅い。
九頭見は肩をすくめた。
「ほんと、珍しいな。
お前がそんなに喋るなんて」
「……」
「でもさ、言ってることはずいぶん子どもっぽいぞ。
負け惜しみってやつか?」
「違う」
「違わないだろ。
普段黙ってるやつが急に吠えると、だいたいそういうことだ」
「……」
「しかもお前、分かってるだろ。
現実ってのは、映画みたいにはいかない」
その言葉に、少しだけムカついた。
映画みたいにはいかない、だと?
何を知ったような口をきいてるんだ。
そう思ったけど、九頭見は続けた。
「長いセリフを言ったからって、相手が反省するわけじゃない。
悪役が“実は悲しい過去があって……”なんて、現実じゃ通じないんだよ」
「……」
「そんなので泣くくらいなら、最初から黙ってればいいのに」
そこで、九頭見は笑った。
山埜も白石も、それに合わせるように少しだけ笑う。
その笑い方が、ほんとに嫌だ。
教室の中に、あからさまな優越感が広がる。
ああいう空気、心底不快だ。
でも、悔しいことに、九頭見の言うことにも少しだけ筋がある。
俺が今こうして前に出てきたのは、たしかに衝動だ。
しかも、かなり無計画だ。
普段なら絶対にやらない。
なのにやった。
その結果がこれだ。
周りに見られて、笑われて、軽くあしらわれている。
……くそ。
腹立つ。
「でもさ」
俺は口を開いた。
「九頭見、お前も似たようなもんだろ」
九頭見が少しだけ眉を上げる。
「は?」
「お前、ずっと強いふりしてるだけじゃん」
俺は続けた。
「人を笑わせて、周りを固めて、自分が一番上だって顔してるけど、結局はそれしかない。
それでしか立っていられない。
そういうの、俺から見たら、かなり――」
そこで、言葉が少しだけ詰まった。
あ、やばい。
いや、やばいというか、空気が変わる前に全部言い切るべきだった。
でも、止まった瞬間に笑い声が漏れた。
九頭見だった。
小さく、でもはっきりと笑っていた。
「お前、ほんと面白いな」
九頭見が言った。
「今の、言い返してるつもり?」
「……」
「悪いけど、荷川取。
お前、頭は悪くないのかもしれないけど、使い方が下手すぎる」
白石と山埜が少し笑う。
いや、笑うというより、空気に乗っただけだ。
でも、それが余計に腹立つ。
ほんと、あいつらは何なんだ。
自分で何も考えてないくせに、群れた瞬間だけ強くなった気でいる。
九頭見は肩を回しながら、ゆっくり俺の方へ来た。
「そもそも、荷川取。
お前が俺らに口出しできる立場か?」
その言い方、すごく嫌だった。
でも、俺は負けたくない。
だから、少しだけ声を強くした。
「少なくとも、お前らみたいに他人を囲んでイキってる連中よりは、まだマシだ」
「へえ」
「……」
「そういうの、今まで言えたか?」
「……」
「いや、言えなかっただろ。
今さら急にヒーロー気取りって、笑えるんだけど」
その瞬間、九頭見がほんの少しだけ首を傾けた。
たぶん、俺の反応を見て楽しんでいる。
くそ、ほんとに性格が悪い。
いや、性格が悪いだけならまだいい。
あの自信満々の顔がさらに腹立つ。
「荷川取」
九頭見が、少しだけ声を落とした。
「お前、今度また同じこと言ってみろよ。
その時は、ほんとにどうなるか分からないぞ」
……脅しだ。
分かる。
でも、そこで引くのはもっと嫌だ。
だから、俺は何とか自分の声を保って答えた。
「やれるもんならやってみろよ」
……と言いたかった。
けど、実際に出た声は少しだけ詰まっていた。
「……やれるもんなら、やってみろ」
くそ、最後の方ちょっと弱い。
自分でも分かる。
でも、九頭見はそれを聞いて、むしろ満足そうに笑った。
その顔がまた腹立つ。
「そうか」
九頭見は言った。
「じゃあ、覚えとくわ」
その時だった。
教室の前の扉が開いて、月野先生――いや、先生は確か月野だ。
担任の月野が入ってきた。
「あー……何やってる。
お前ら、もう次の授業始まるぞ」
その声で、教室の空気が一気に現実へ引き戻される。
九頭見は、まるで何もなかったかのような顔に戻った。
山埜と白石も同じだ。
あの切り替えの早さ、ほんと気持ち悪い。
さっきまでの圧が、嘘みたいに消える。
月野は九頭見を見て、軽く眉を上げた。
「九頭見、お前もそろそろ戻れ。
自分のクラス、間に合わなくなるぞ」
九頭見は肩をすくめた。
「すみません、先生。ちょっと話してただけです」
「“ちょっと”って顔じゃないがな」
月野はそう言って苦笑した。
九頭見は何もなかったように一礼して、白石と山埜を連れて去っていった。
その背中を見ながら、俺は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
でも、緊張が完全に消えたわけじゃない。
むしろ、あとからじわじわ来るやつだ。
教室の中の数人が、今のやり取りを見ていた。
その視線が、少しだけ刺さる。
凛成が、席に戻る前に俺のところへ来た。
小さく、でもはっきりした声で言う。
「……荷川取、今のは良かった」
「は?」
「いや、気持ちは分かる。でも、次からはやめとけ」
「……」
「お前が悪いって意味じゃない。
ただ、九頭見にそういうのやると、ろくなことにならない」
「分かってる」
「分かってないだろ」
「分かってるって」
「……まあ、半分くらいはな」
慧斗も少しだけ近づいてきて、低い声で言った。
「でも、荷川取がああいうこと言うの、ちょっと意外だった」
「……」
「怖くないの?」
「……別に」
別に。
そう答えたけど、本当は少しだけ心臓がうるさい。
怖くない、なんてことはない。
ただ、怖いって言ったら本当に負けた気がする。
だから、言わない。
「うん。まあ、そういうことにしとく」
慧斗が少しだけ笑った。
凛成は肩をすくめる。
「でもまあ、よくやったよ。
あいつ相手に口出しするやつ、あんまりいないから」
「別に、やりたくてやったわけじゃない」
「それでもだよ」
「……」
月野先生は、もう授業の準備をしている。
教壇の上で、さっきの騒ぎなんてたいしたことじゃなかったみたいな顔をしている。
そういう大人の余裕みたいなの、俺はあまり好きじゃない。
何も起きなかったように処理するのは楽だろうけど、こっちの中ではまだ何も終わっていない。
それに、九頭見の言葉もまだ残ってる。
“映画みたいにはいかない”。
“今さらヒーロー気取り”。
そういうのが、頭の端に引っかかったままだ。
悔しい。
かなり悔しい。
でも、完全に何もできなかったわけでもない。
少なくとも、あの場で黙って飲まれたわけじゃない。
それだけでも、今日は少しだけマシかもしれない。
いや、マシというより、まだ終わってないって感じか。
そして、ふと前を見た時だった。
月野先生の後ろ――教壇の横に、妙な違和感があった。
先生の影が、少しだけ変だ。
いや、影というより、何かが重なって見える。
月野の背中の向こうに、ほんの一瞬、もっと大きい何かが立っていたように見えた。
……気のせいか。
たぶん、そうだ。
九頭見たちへの苛立ちと、さっきの緊張で、目がおかしくなってるだけだ。
それにしても、少し不自然だったけど。
俺は目を細めた。
もう一度見た時には、そこにはただ月野先生が立っているだけだった。
影なんて、普通のものだ。
――普通。
そうだ。
何でもない、普通の影だ。
俺は少しだけ視線を落として、何もなかったことにした。
いや、何もなかったんだから、それでいい。
そう思わないと、さっきのやり取りで変に高ぶった神経が戻らない。
でも、胸の奥はまだ少し熱かった。
さっき九頭見に言い返した時の、あの感覚。
怖くない、なんて嘘だ。
ただ、怖いよりも腹が立っていた。
そして、ほんの少しだけ、勝った気分もあった。
たぶん、あれは大した勝ちじゃない。
でも、俺にとっては十分だった。
……まあ、次にどうなるかは別だけど。
その時、俺はまだ気づいていなかった。
この妙な高揚と苛立ちが、あとでどれだけ面倒な形で返ってくるかなんて。
今はただ、先生の背中と、さっき見えた影の違和感を、見なかったことにしていただけだ。
そして、心のどこかで、また同じことを思っていた。
――そろそろだろ。
そろそろ、何か始まってくれ。
【作者より・あとがき】
第②章『昼休みの仮面』全3部、ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!
実は今日、現実の方では特に大きな予定もなく、家でまったりと過ごす一日でした(笑)。
「よし、それなら一気に書き進めよう!」と思い立ち、時間をかけてこの第②章を書き上げることができました。
今回はちょっと重めの「リアルな学校の空気感」や「教室内の複雑な人間関係」、そして九頭見たちのイジメに対するサトリのプライドや青臭い抵抗を描いてみました。
サトリ自身、自分の世界に入り込みすぎて周りの声が聞こえていなかったり、どこかイタい部分全開で突っ走っていますが、そんな彼なりの葛藤を感じていただけたら嬉しいです。
そして……「ファンタジー要素はまだか!?」と期待して待ってくださっている読者の皆様、大変お待たせいたしました!
次の第③章から、いよいよ異変が本格化し、物語のメインとなる「ファンタジー展開」の歯車が本格的に動き出します。
サトリがずっと待ち望んでいた“何かが始まる瞬間”を、ぜひ見届けてやってください。
【今後の更新ペースについて】
少しでも早く物語を楽しんでいただくため、まずは最初の10話(第10章分)を目安に【1日〜2日に1話(また数部ごとの一挙投稿)】のハイペースでどんどん更新していく予定です!
もし「次の展開が楽しみ!」「サトリの青臭い暴走をもっと見たい」と思っていただけましたら、ぜひページ下部の【ブックマーク登録】や【評価ポイント(★をタップ)】で応援していただけると、執筆の大きなパワーになります!




