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第⑯章:注意不足 (1)

 目が覚めた時、最初に見えたのは天井だった。


 いつもの天井。白。少しだけ影。特に面白いものはない。


 それから、枕元に置いたスマホへ手を伸ばす。


 画面。


 五月十日。


 日曜日。


 時間は、朝。


 ……休み。


 普通なら最高。


 学校なし。


 授業なし。


 先生なし。


 宿題はあるけど、今すぐやる必要はない。


 つまり、自由。


 なのに。


「暇だな……」


 俺はベッドの上で仰向けになったまま呟いた。


 昨日。


 俺は秘密基地みたいな地下室へ行った。


 怪しい三人組と会った。


 リミナル・トラベラーズ。


 名前だけならかなり格好いい。


 しかも全員、逆世界へ入れる。


 力も使える。


 俺と同じ……というか、俺よりずっと前からあっち側と関わっている。


 慶楽智皓。


 銅崎一夜月。


 弥源治春人。


 全員、白樺の生徒。


 しかも、俺は昨日そこへ入った。


 正式に。


 メンバー。


 つまり。


 普通なら今日から。


 初任務。


 ……とか。


 訓練。


 ……とか。


 新人歓迎の逆世界探索。


 ……とか。


 そういうものがあると思う。


 少なくとも俺は思っていた。


 でも現実は。


 何もない。


 昨日、慶楽先輩に「しばらく普通に学校行け」と言われた。


 それだけ。


 任務なし。


 訓練なし。


 説明も途中。


 俺が知ったことといえば、逆世界みたいな場所にはいくつか種類があること。


 リミナル・スペースみたいに、ただ空間がおかしくなる場所。


 もっとはっきりした世界として成立していて、生き物までいる場所。


 人間の感情が関係しているかもしれないこと。


 そして、あいつらは逆世界へ定期的に行かないと体調がおかしくなる可能性がある。


 それくらい。


 少ない。


 少なすぎる。


 俺はもっと知りたい。


 というか。


 全部知りたい。


 例えば。


 あの三人はいつから入っているのか。


 一か月?


 二か月?


 半年?


 一年?


 もっと?


 慶楽先輩は三年だから、もしかしたら中学の頃からとか。


 いや。


 それなら長すぎるか?


 でも、逆世界に入れる年齢って決まってるのか?


 もし決まってるなら最低何歳?


 十五?


 十?


 五?


 四歳で覚醒する奴とかいるのか?


 幼稚園児が異世界に入ったらどうなるんだ。


 普通に死ぬだろ。


 じゃあ子どもは入れない?


 それとも入れるけど危ないだけ?


 そもそも「覚醒」って何。


 慶楽先輩たちは精神的な衝撃とか、恐怖とか、トラウマが関係してるかもしれないと言っていた。


 なら、どのくらいのトラウマ。


 学校でいじめられる。


 家族が死ぬ。


 事故。


 病気。


 孤独。


 それとも、それよりもっと何か。


 ……。


 考え始めると止まらない。


 というか。


 今になって気づいた。


 俺の中に。


 一番詳しそうな奴がいる。


「……アヒルフェ」


 返事なし。


「アヒルフェ」


 返事なし。


 寝てる?


 ……。


 そういえば。


 こいつ、寝るのか?


 俺は少しだけ起き上がった。


「え」


 今さらだけど。


 アヒルフェって。


 寝る?


 寝ない?


 霊体。


 意識。


 魂。


 何なのか分からない。


 俺が寝ている間。


 ずっと起きている?


 それはそれで怖い。


 俺が寝ている時にずっと見てる?


 いや。


 変な意味じゃなく。


 もし俺が寝ている間に身体を動かせるなら。


 ……。


 怖っ。


 それ。


 めちゃくちゃ怖い。


 朝起きたら知らない場所。


 身体に泥。


 ポケットに知らない鍵。


 スマホの履歴に知らない通話。


 そしてアヒルフェが。


 『少し借りた』


 とか。


 嫌だ。


 絶対嫌。


「おい」


 俺は少し強めに呼ぶ。


「アヒルフェ」


 返事なし。


 ……本当に寝てる?


 俺は数秒考えた。


 そして。


 思いついた。


 アラーム。


 頭の中にいるなら。


 頭の中で鳴らせばいい。


 俺はスマホを開く。


 目覚まし。


 いつも使っている音。


 ピピピピピ。


 ピピピピピ。


 何度も聞いた。


 だから再現できる。


 たぶん。


 俺は目を閉じる。


 頭の中。


 イメージ。


 音。


 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ――


 バンッ。


「痛っ!」


 右手が動いた。


 自分の額。


 直撃。


「何すんだよ!」


『……うるさい』


 来た。


 声。


 低い。


 眠そう。


 完全に寝起き。


「やっぱり寝てた?」


『何だと思っていた』


「いや、知らない」


『なら起こすな』


「安全確認」


『何が安全なのだ』


「俺が寝てる時に勝手に身体使ってないか」


 沈黙。


『……』


「え」


『使っていない』


「今の間何」


『呆れていた』


「本当に?」


『本当だ』


「じゃあ寝てる時は何してる?」


『寝ている』


「普通に?」


『普通に』


「俺と一緒に?」


『その言い方をするな』


「でも同じ身体じゃん」


『だから嫌なのだ』


「何で」


『寝返りが多い』


「俺?」


『お前以外に誰がいる』


「知らなかった」


『何度か壁へ叩きつけられたような感覚になった』


「そんなに?」


『精神的な話だ』


「じゃあ、あのメジロの姿で寝ればいいじゃん」


『出している必要がない』


「でもあれ、エネルギー使わないんだろ?」


『ほとんどな』


「じゃあずっと出てれば?」


『俺はお前の愛玩動物ではない』


「いや、そういう意味じゃなくて」


 俺は少し笑う。


「結構好きなんだよ、その姿」


 アヒルフェが黙る。


「メジロ」


『知っている』


「可愛いし」


『……』


「丸いし」


『黙れ』


「目の周り白いし」


『殺すぞ』


「褒めてるのに」


『俺を鳥として評価するな』


「でもその姿選んだのお前じゃないだろ」


『……』


「俺の影響だろ」


『そうだ』


「じゃあ半分俺のせい」


『全部お前のせいだ』


「じゃあ責任持って可愛いって言う」


『最悪だな』


 少しだけ。


 笑いそうになる。


 こういう会話。


 何だかんだで。


 嫌いじゃない。


 俺はベッドの上で座り直す。


「そういえば」


『何だ』


「俺ら、これから長い付き合いになるんだよな」


『可能性は高い』


「どのくらい?」


『知らん』


「数か月?」


『分からない』


「一年?」


『分からない』


「十年?」


『可能性はある』


「……」


 急に重い。


 十年。


 二十五歳。


 その時も頭の中にアヒルフェ。


 ……。


 変な感じ。


「じゃあさ」


『何だ』


「仲良くしよう」


『拒否する』


「早っ」


『必要最低限でいい』


「いや、でもずっと一緒なら」


『それがどうした』


「名前」


『名前?』


「呼び方」


 アヒルフェ。


 名前としては格好いい。


 謎。


 外国っぽい。


 というか、そもそもどこの言葉か分からない。


 ただ。


 日本語で見ると。


「アヒルフェってさ」


『ああ』


「ちょっとアヒルに似てる」


 沈黙。


「日本語だと」


『知っている』


「アヒル」


『知っている』


「つまり」


『言うな』


「“アヒル”」


『言うなと言った』


「だから愛称で」


『やめろ』


「パト?」


『……何だそれは』


「アヒル=ダック。いや違うか」


『もういい』


「じゃあ“ヒルフェ”」


『悪くはない』


「でも友達ならもっと」


『友達と決めるな』


「え」


『勝手に関係を進めるな』


「でも」


『まだお前は仮の器だ』


「そこまだ言う?」


『事実だ』


「じゃあ」


 俺は少し考える。


「お前も俺にあだ名つけて」


『なぜ』


「公平」


『不要だ』


「いいじゃん」


『……』


 少し沈黙。


 アヒルフェが考えている。


 珍しい。


 結構真面目。


 そして。


『バカとり』


 俺は止まった。


「……」


『どうだ』


「何」


『愛称』


「……今何て?」


『バカとり』


「荷川取から?」


『そうだ』


「馬鹿+とり?」


『理解が早い』


「絶対やめろ」


『気に入った』


「俺は気に入ってない!」


『バカとり』


「やめろ!」


『バカとり』


「二回言うな!」


 アヒルフェ。


 笑う。


 本当に。


 声だけだけど。


 笑ってる。


 腹立つ。


「面白いか?」


『ああ』


「最悪」


『少なくとも眠気は消えた』


「俺を目覚まし代わりにするなよ」


『先に起こしたのはお前だ』


 その瞬間。


 俺の机の近く。


 空気が少し歪む。


 そして。


 ぽん。


 みたいな感じで。


 メジロ。


 アヒルフェ。


 いつもの姿。


 机の端。


 小さい。


 丸い。


 やっぱり可愛い。


「出た」


『何だその言い方は』


「いや、久しぶりにちゃんと見た気がする」


『昨日もいた』


「そうだっけ」


『注意力が低いな』


「タイトルみたいに言うな」


 アヒルフェは机から窓の方を見る。


 俺も見る。


 朝。


 いい天気。


「外行ってみる?」


『どこへ』


「窓から」


『無理だ』


「飛べるだろ?」


『見た目だけはな』


「じゃあ飛べない?」


『飛べる』


「どっち」


『一定範囲までだ』


 俺は首を傾げる。


「範囲?」


『俺はお前から離れられない』


「どのくらい」


『数メートル程度なら問題ない』


「じゃあ庭まで」


『できる』


「その先」


『難しい』


「道路」


『かなり不快』


「どんな感じ?」


 アヒルフェが少し黙る。


『引っ張られる』


「何に」


『お前に』


「精神的に?」


『魂ごと』


 ……。


「怖」


『だから離れない』


「痛い?」


『ああ』


「どんな」


『お前は子どもの頃、地面を引きずられたことはあるか』


「ある」


『どんな状況だ』


「友達と遊んでた時。砂場とか。服持たれて」


『痛かったか』


「まあ、でも砂だから」


『それを石の上でやる』


「……」


『さらに、身体の内側が一歩先へ引かれているような感覚がある』


「何それ」


『肺だけ前へ持っていかれるような』


「最悪」


『息ができない』


「……」


『骨の位置と臓器の位置がずれるように感じる』


「やめて、想像した」


『聞いたのはお前だ』


 俺は少し顔をしかめる。


「じゃあ、外には出さない方がいいな」


『別に数メートルなら構わない』


「でも痛いなら」


『近ければ問題ない』


「じゃあ」


 少し考える。


「俺が歩く時、一緒に動けばいい?」


『できる』


「それなら散歩できるじゃん」


『俺は犬でもない』


「分かってるって」


 俺は笑う。


「でも」


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


「せっかくなら、楽しくしたいじゃん」


『何を』


「一緒にいるの」


 アヒルフェは俺を見る。


 メジロ姿だから表情が分かりにくい。


 でも。


 何となく。


 一瞬だけ黙った。


「だって長いんだろ」


『そうかもしれん』


「じゃあ、俺が退屈しないように」


『自分中心か』


「あとお前も」


『後付けだな』


「一緒に笑ったりすればいいじゃん」


『俺は面白いものにしか笑わない』


「俺は結構面白い」


『そうだな』


「だろ」


 アヒルフェが俺を見る。


 数秒。


 そして。


 笑った。


『お前を見ると笑える』


「……」


『面白い』


「そういう意味じゃない」


『当たっていたか』


「最悪」


 俺は無表情になる。


 アヒルフェはまだ少し笑っている。


「そんなに俺面白い?」


『時々な』


「嬉しくない」


『褒めている』


「絶対違う」


 そこで。


 アヒルフェの動きが止まった。


 本当に急に。


 笑いも止まる。


 頭だけ。


 俺の後ろを見る。


「何?」


『……』


「どうした」


『くそ』


「は?」


 珍しい。


 アヒルフェがそんな言い方するの。


「何が?」


『後ろ』


 メジロ姿の頭。


 ちょん。


 俺の後ろ。


「後ろ?」


 俺は振り返る。


 そして。


 母。


 ドア。


 開いてる。


 立ってる。


 見てる。


 俺を。


 俺は数秒。


 何が問題なのか分からなかった。


「……何?」


 母。


 何も言わない。


 ただ俺を見る。


 目。


 顔。


 髪。


 ……。


 髪。


 あ。


「慧璃」


「うん」


「その……」


 母の声。


 少し震えてる。


「髪」


「……髪?」


『お前』


 アヒルフェ。


『フードを被っていない』


 思考。


 止まる。


 俺。


 髪。


 白。


 左目。


 顔。


 隠してない。


 完全に。


 全部。


「……」


 数秒。


 母。


 俺。


 アヒルフェ。


 沈黙。


 俺はゆっくり自分の前髪を触る。


 白。


 普通に見える。


 最悪。


「……くそ」


 口から出た。


 アヒルフェが。


『今度は正しい使い方だな』


「黙れ」


 そして俺は。


 日曜日の朝から。


 昨日の秘密組織より面倒そうな問題に直面した。

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