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第⑮章:地下の三人 (4)

「荷川取」


 慶楽先輩が言った。


「一つ、見せた方が早い」


「何をですか」


「俺たちが何をしてるか」


 そう言って、慶楽先輩はレジの奥へ向かった。


 あのカーテン。


 その向こうにある、さっき俺が勝手に「秘密基地への入口」と決めつけていた扉。


 南京錠。


 慶楽先輩はポケットから鍵を取り出して、普通に開けた。


 カチャ。


 金属音。


 扉が開く。


 暗い。


 そして。


 階段。


 下へ続いている。


 ……。


 俺は無言で見た。


 ほら。


 やっぱり。


 地下。


 秘密基地。


 俺の予想、当たってるじゃん。


『倉庫かもしれないと言ったな』


 アヒルフェが言った。


『地下じゃん』


『地下倉庫かもしれん』


『夢を壊すなよ』


 慶楽先輩は照明をつけた。


 弱い黄色っぽい光。


 階段の下まで完全には見えない。


「降りるぞ」


 そう言って、先に行ってしまう。


 俺はその場に残った。


 いや。


 ちょっと待って。


 さっきまで「知らない人間について地下へ行くな」とかいう防犯の基本を頭で考えていた気がする。


 しかも俺の包丁は上に置いたまま。


 これ。


 映画なら完全に死ぬ流れじゃない?


「荷川取?」


 銅崎先輩が振り返る。


「来ないの?」


「あ」


 弥源治も階段の途中から顔だけ出した。


「怖い?」


「怖くない」


「じゃあ来れば」


「今行く」


 最悪。


 言われたから行くみたいになった。


 俺は慌てて後を追った。


 階段は思ったより短かった。


 十数段。


 下り切る。


 そこには、小さな地下室があった。


 ……。


 俺が想像していたものとは違う。


 大型モニター。


 武器庫。


 壁一面の世界地図。


 謎の研究装置。


 青く光る水槽。


 そういうものはない。


 現実は。


 机。


 椅子。


 紙。


 大量の紙。


 壁にも紙。


 床にも紙。


 テープで貼られた地図。


 意味の分からない矢印。


 写真。


 メモ。


 手書きの図。


 ポスター。


 飲みかけらしいペットボトル。


 角には小さな棚。


 その上に救急箱。


 ……。


「汚」


 口から出た。


 銅崎先輩が言う。


「聞こえてる」


「すみません」


 慶楽先輩は気にしていない。


「好きに見ていい」


「いいんですか?」


「ああ」


「機密とか」


「そんな大したものない」


 いや。


 あるだろ。


 絶対。


 俺はゆっくり部屋を見て回った。


 中央の机。


 紙。


 地図。


 上越。


 高田。


 本町。


 学校。


 道路。


 そこに色々な印がある。


 丸。


 バツ。


 矢印。


 日付。


 時間。


 その横には、妙な絵。


 人間みたいな形。


 でも腕が長い。


 別の紙。


 顔だけ黒い。


 その隣には、脚が多すぎる何か。


「これ」


 俺は紙を持ち上げる。


「絵、下手ですね」


「俺」


 弥源治。


「あ」


「悪かったな」


「いや、分かりやすいです」


「今さら遅い」


 でも。


 描かれているもの自体は笑えない。


 俺が見た影。


 紙の鳥。


 それと同じくらい、「現実にはいない」と分かる形。


 さらに別の紙。


 廊下。


 扉。


 階段。


 途中から線が乱れている。


 地図というより、誰かが必死に記録した軌跡。


 その横。


 棚。


 包帯。


 消毒液。


 テープ。


 ガーゼ。


 鎮痛剤。


「救急箱?」


「必要だから」


 銅崎先輩が言う。


「怪我するんですか」


「する」


「よく?」


「そこそこ」


「……」


 回答が軽い。


 そういうところが逆に怖い。


 慶楽先輩が中央の机に紙を一枚置いた。


「そろそろ説明する」


「お願いします」


 俺も机へ近づく。


 銅崎先輩。


 弥源治。


 三人。


 俺。


 アヒルフェ。


 見えないけど。


「まず」


 慶楽先輩が紙に二つの四角を書く。


「俺たちは、向こう側にあるもの全部を同じだとは考えてない」


「逆世界じゃないんですか」


「大きくまとめればそう呼んでもいい」


「じゃあ違う?」


「性質が違う」


 慶楽先輩は一つ目の四角を指す。


「最初のタイプ」


 その中に線を引く。


 廊下。


 扉。


 階段。


「人がいない。生き物もほとんどいない。どこまで行っても終わらない。場所だけがおかしくなってる」


 俺は黙って聞く。


「似た廊下が続く。扉を開けると別の場所へ出る。階段を上がったのに地下へ行く。時間も狂う」


「……俺が最初に入ったところ」


「たぶんそれ」


 慶楽先輩が頷く。


「俺たちは、そういう場所をリミナル・スペースって呼んでる」


「正式名称?」


「俺たちが勝手に付けた」


「……」


 そこは急に素人感ある。


「危険は?」


「場所そのもの」


「怪物はいない?」


「いないとは言い切れない。でも、俺たちが確認した範囲では少ない」


「じゃあ比較的安全?」


「違う」


 即答。


「水もない。飯もない。出口も分からない。何時間いるかも分からない。怪物がいなくても人は死ぬ」


 ……。


 確かに。


 俺も最初の時。


 水。


 階段。


 疲労。


 あれだけでかなり危なかった。


 慶楽先輩は二つ目の四角を指す。


「こっちは別」


 線。


 建物。


 森みたいなもの。


 人影。


 変な形。


「基礎になる場所がある」


「基礎?」


「学校なら学校。店なら店。施設なら施設」


「そこから変形する?」


「ああ」


 銅崎先輩が補足する。


「でも、ただ歪むだけじゃない」


「何が違うんですか」


「中に何かがいる」


 少しだけ空気が変わる。


「生き物?」


「そう」


「怪物?」


「そう呼んでもいい」


 俺は昨日までの自分なら、たぶん少し興奮していた。


 モンスター。


 敵。


 戦闘。


 経験値。


 でも。


 あの黒い影を思い出す。


 白い歯。


 音。


 落下。


 血。


 ……。


 あまり嬉しくない。


「こっちが」


 慶楽先輩が言う。


「お前の言う“逆世界”に近い」


 俺は紙を見る。


「じゃあ、二種類」


「今分かってる範囲では」


「どうして生まれるんですか」


「分からない」


「……」


「そこが一番問題」


 慶楽先輩は椅子へ少し体重を預ける。


「俺たちの仮説は、感情」


「感情?」


「人間の」


「どういう」


「強い思考。恐怖。執着。後悔。怒り。そういうもの」


 俺はアヒルフェを横目で見る。


 机の端。


 メジロ姿。


 静かに聞いている。


『近い』


『やっぱり?』


『かなり粗いが』


『言ってあげた方がいい?』


『余計なことをするな』


 慶楽先輩は続ける。


「ただ、強い感情があれば毎回できるわけじゃない」


「そりゃそうですよね」


「だから条件があるはず」


「場所とか?」


「たぶん」


「時間?」


「可能性はある」


「人数?」


「それも」


「全然分かってない?」


 弥源治が横から言う。


「うん」


「そこは認めるんだ」


「認めない方が危ない」


 慶楽先輩は淡々としている。


「分からないものを、分かったふりして触ると死ぬ」


 軽く言う。


 でも。


 たぶん経験してる。


 そういう声。


「俺たちは」


 慶楽先輩が言う。


「ここしばらく、そういう場所を調べてる」


「どれくらい」


「正確には言わない」


「何で」


「まだ全部話す必要ないから」


「……」


 秘密組織感。


 ちょっと戻った。


「入った人間を助けることもある」


 銅崎先輩。


「迷い込んだ人?」


「うん」


「普通の人でも入れるんですか」


「条件次第」


「じゃあ、俺だけじゃない」


「当然」


 ……。


 ちょっとだけ。


 本当に少しだけ。


 残念。


『また特別性を気にしているな』


『気にしてない』


『顔に出ている』


『見えないだろ』


『精神は近い』


『最悪』


「でも」


 俺は聞く。


「何でそこまでやるんですか」


 慶楽先輩が止まる。


「何で?」


「だって危ないんですよね」


「ああ」


「怪我もする」


「ああ」


「死ぬかもしれない」


「ああ」


「じゃあ、何で」


 少し沈黙。


 慶楽先輩は俺を見る。


「理由は二つ」


「二つ」


「一つは個人的な理由」


「何ですか」


「言わない」


「……」


「もう一つ」


 慶楽先輩は自分の胸元へ軽く触れる。


「行かないと、身体がおかしくなる」


「え」


 俺は少し真面目になる。


「どういう意味ですか」


「そのまま」


「病気?」


「分からない」


「呪い?」


「それも分からない」


「じゃあ」


「一定期間、向こう側へ行かないと」


 慶楽先輩が少し言葉を選ぶ。


「体調が崩れる」


「どんな」


「頭痛。吐き気。眠れない。変な夢。感覚がおかしくなる」


 銅崎先輩も頷く。


「私もある」


 弥源治。


「俺も」


「全員?」


「そう」


 俺は自分を見る。


 今のところ。


 そこまでない。


 でも。


 アヒルフェがいるから?


『可能性はある』


『読んだ?』


『君が考えた』


『同じだろ』


「原因は?」


「知らない」


 慶楽先輩。


「俺たちは、力を使えるようになってから始まった」


「力」


 来た。


「やっぱりあるんですね」


「ある」


「どんな?」


「今はそこじゃない」


「えー」


「後で」


 残念。


「可能性としては」


 慶楽先輩が続ける。


「魂か身体の一部が、向こう側に繋がった」


「魂」


「比喩かもしれない」


「本物かもしれない?」


「分からない」


「ウイルスみたいなもの?」


「可能性はある」


「罰?」


「それも」


 この人。


 分からないって言う回数多い。


 でも。


 変に断言するより信用できる。


「だから」


 慶楽先輩が言う。


「俺たちは定期的に入る」


「死なないために」


「ああ」


「逆世界へ行かないと死ぬ」


「最悪の場合」


 ……。


 重。


 急に。


 俺は少し黙る。


 慶楽先輩は紙の端に三つの線を書く。


「今、確実に言えるのは三つ」


 一。


「向こう側は危険」


 二。


「一度深く繋がった人間は、定期的に入る必要がある可能性が高い」


 三。


「誰でも同じように入れるわけじゃない」


「覚醒みたいな?」


 俺が言う。


「その言葉でもいい」


「どうやって覚醒するんですか」


「分からない」


「また」


「ただ」


 慶楽先輩の顔が少し暗くなる。


「強い精神的な衝撃と関係してる可能性がある」


「衝撃」


「恐怖。孤立。事故。トラウマ」


「……」


 俺は少しだけ嫌な気分になる。


「じゃあ」


「何」


「誰かにわざとそれをやれば」


「やるな」


 即答。


 声が少し強い。


「絶対に」


「いや、やらないけど」


「人を壊してまで仲間を増やす気はない」


 銅崎先輩も真面目な顔。


 弥源治は黙っている。


 そこだけ。


 三人とも同じ。


「……分かりました」


 俺は頷く。


 すると。


「もういいだろ」


 弥源治が言った。


 慶楽先輩を見る。


「説明長い」


「必要だろ」


「荷川取、半分くらいしか理解してない顔してる」


「してるよ!」


「じゃあ簡単に言う」


 弥源治が俺を見る。


「お前、もう普通じゃない」


「言い方」


「力ある」


「たぶん」


「向こうに入れる」


「うん」


「俺たちも同じ」


「うん」


「俺たちは向こうで戦えるし、こっちに変なのが漏れるのも止めてる」


「……うん」


「だから」


 弥源治が少しだけ笑う。


「入る?」


「何に」


「リミナル・トラベラーズ」


 ……。


 来た。


 正式勧誘。


 ギルド加入。


 俺の頭の中で。


 なんか効果音がした。


 《ギルドへの加入申請が届きました》


 みたいな。


「断ってもいいけど」


 弥源治が続ける。


「その場合、まあ」


「何」


「完全に腰抜け」


「おい」


 銅崎先輩がすぐ肩を叩く。


「春人」


「何」


「そういう言い方しない」


「でも」


「黙る」


「はい」


 慶楽先輩がため息。


「気にするな」


「ちょっと気にしました」


「こいつはこういうやつ」


「逃げじゃない?」


「違う」


 慶楽先輩は俺を見る。


「俺が最初」


「最初?」


「この三人の中では」


 自分を指す。


「最初に力が出た」


 次。


「銅崎が二番目」


 銅崎先輩。


「弥源治が三番目」


「俺は結構後」


「いつ?」


「数か月前」


 慶楽先輩が言う。


「半年以上?」


「覚えてない」


「一年弱じゃない?」


 銅崎先輩。


「多分」


「そこ管理しないんですか」


「生きてる方が重要」


 ……。


 そういう集団。


「本当なら」


 慶楽先輩が言う。


「まだ全部話すつもりはなかった」


「じゃあ何で」


「面倒になった」


「え」


「どうせ、お前が向こう側へ入れるのはほぼ確定してる」


「……」


「それなら変に隠して、勝手に入られる方が危ない」


 すごい。


 信頼じゃない。


 完全に事故防止。


「だから聞く」


 慶楽先輩。


「入るか?」


「断ったら?」


「何もしない」


「本当に?」


「本当に」


「記憶消したり」


「できない」


「脅したり」


「しない」


「監禁」


「しない」


「包丁返してもらえます?」


「帰る時にな」


「……はい」


「ただ」


 慶楽先輩が言う。


「ここで聞いたことを学校中に話すのはやめてほしい」


「分かってます」


 ……前科あるけど。


 言わない。


 俺は少し考える。


 アヒルフェ。


『どう思う』


『人間は面白いな』


『何が』


『何の師もなく、ここまで辿り着いた』


 アヒルフェは机の上の紙を見る。


『粗い。間違いもある。抜けているものも多い』


『じゃあ駄目?』


『いや』


 少し間。


『よく調べている』


『珍しく褒めるじゃん』


『事実だ』


『危険そう?』


『当然』


『いや、この人たち』


『それも当然』


『……』


『だが、今のところ敵意は薄い』


『じゃあ』


『利用価値はある』


『またその言い方』


『お互い様だろう』


 確かに。


 向こうも俺を必要としている。


 俺も向こうを必要としている。


 それなら。


 答えは。


 ほぼ決まってる。


「……じゃあ」


 三人が俺を見る。


「迷惑じゃなければ」


 少しだけ格好つける。


「入りたいです」


 慶楽先輩がほんの少し笑った。


「分かった」


 銅崎先輩も表情が少し柔らかくなる。


 弥源治は。


「四人目」


 それだけ。


「今日から」


 慶楽先輩が言った。


「一応、お前もここのメンバー」


 ……。


 来た。


 俺。


 秘密組織。


 加入。


 正式。


 これはもう。


 完全に。


 物語始まっただろ。


「じゃあ」


「何」


「最初の任務は?」


 慶楽先輩。


 黙る。


「任務?」


「はい」


「ない」


「……え?」


「今はない」


「いや」


「まず普通に学校行け」


「……」


「勉強も」


「……」


「こっちのことは、しばらく俺たちがやる」


「俺は?」


「何もしない」


「……」


 嘘だろ。


 加入。


 即。


 待機。


「訓練とか」


「後」


「調査」


「後」


「逆世界」


「まだ」


「……」


 俺の中で。


 さっき鳴った加入効果音が消えた。


 代わりに。


 《チュートリアル開始までお待ちください》


 みたいな表示。


「そんな」


 思わず小さく言う。


「何」


「いや」


 慶楽先輩、本気。


 冗談じゃない。


 分かる。


「分かりました」


 仕方ない。


 まだ初日。


 というか。


 初日ですらない。


 勧誘された夜。


 すぐ怪物退治へ行く方がおかしい。


 たぶん。


「ここ」


 俺は地下室を見る。


「これから集合場所?」


「そう」


「いつでも来ていい?」


「基本は」


 慶楽先輩が言う。


「鍵、後で一本作る」


「俺の?」


「ああ」


「マジ?」


「荷物置くくらいなら使っていい」


「おお」


「でもルールある」


「何ですか」


「今度まとめて」


「今じゃないんだ」


「疲れた」


「……」


 正直。


 それは分かる。


 そして。


 沈黙。


 数秒。


 誰も喋らない。


 俺。


 三人。


 地下室。


 さっき正式加入した。


 でも。


 何をしたらいい。


 分からない。


 ……。


「えっと」


「何」


「もう帰っていいですか」


 三人。


「いいよ」


 揃った。


 早い。


「はい」


 俺は階段を上がった。


 地上。


 レジ横。


 慶楽先輩から包丁を返してもらう。


「次は持ってくるな」


「はい」


「危ない」


「はい」


「本当に」


「分かりました」


 俺は包丁をまた布で巻く。


 鞄。


 店を出る。


 チリン。


 夜。


 冷たい空気。


 俺はしばらく店の前に立った。


 看板。


 VIDEO RENTAL


 古い。


 錆びてる。


 でも。


 その下に。


 俺の新しい居場所。


 ……かもしれない。


「……任務なかった」


『そこか』


 アヒルフェ。


「だって」


『命拾いしたと思え』


「せっかく入ったのに」


『君は本当に分かっていないな』


「何が」


『向こう側へ行かずに済む日は、良い日だ』


「でも」


『まあいい』


 アヒルフェは少し疲れた声。


『その態度なら、いずれ嫌でも学ぶ』


「何を」


『向こうへ行くことが、褒美ではないということを』


 俺は少し黙る。


 でも。


 今はまだ。


 そこまで実感できない。


 俺にとっては。


 逆世界は怖い。


 でも。


 同時に。


 俺がやっと「普通じゃない自分」でいられる場所でもある。


 だから。


 行きたい。


 たぶん。


 そのうち。


 嫌でも。


「とりあえず」


 俺はスマホを見る。


 時間。


 遅い。


 かなり。


「帰らないと」


『ようやく現実的な問題に気づいたか』


「窓から戻るの面倒だな」


『それより、親が起きていた場合を考えろ』


「……」


 止まる。


「最悪」


『今夜一番まともな反応だ』


 俺は急いで歩き始めた。


 秘密組織に加入した。


 逆世界について少し知った。


 仲間もできた。


 でも。


 今の俺にとって一番危険なのは。


 たぶん。


 夜中に家を抜け出したことが両親にバレることだった。

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