第⑮章:地下の三人 (3)
しばらく。
本当に、しばらく。
俺は赤髪の男が差し出した手を見ていた。
アナログ形式によるクラシック映画鑑賞クラブ。
名前が長い。
長いし、何というか。
俺が想像していたものと違う。
もっとこう。
秘密結社。
裏社会。
超常現象専門組織。
あるいは、世界の裏側を監視している謎のギルド。
そういうものだと思っていた。
それが。
映画鑑賞クラブ。
しかもアナログ形式限定。
そこまで限定する必要ある?
「……近づかないでください」
結局、俺が最初に言ったのはそれだった。
差し出された手を見る。
そして相手を見る。
赤髪。
疲れた顔。
白い服。
俺より少し高い。
見た目だけなら、一番まとも。
だからこそ逆に怖い。
こういう場合、一番まともそうな奴が実は一番危険だったりする。
映画でもある。
最初から狂ってる奴は分かりやすい。
本当に怖いのは、普通に笑って「大丈夫ですよ」と言いながら地下室へ案内してくるタイプだ。
男は俺の手元を見る。
正確には。
包丁。
「それ」
「何ですか」
「下げた方がいい」
「嫌です」
「自分で切る」
「大丈夫です」
「大丈夫そうには見えないけど」
「防げますから」
「何を」
「何か」
自分で言っていて、かなり曖昧だと思う。
でも仕方ない。
相手が何者か分からないのに、「はいどうぞ」と包丁を下げるほど俺も馬鹿ではない。
たぶん。
その時。
制服をだらしなく着た茶髪の男が口を開いた。
「まあ、別に持たせとけば?」
「弥源治」
赤髪の男が低い声で言う。
でも茶髪は気にしない。
「どうせ三人なら簡単に倒せるし」
「……」
俺は包丁を少し上げた。
「今、何て?」
「いや」
茶髪の男は肩をすくめた。
「実際そうじゃん」
「春人」
今度は女の子が横から軽く腕を叩いた。
「痛」
「そういう言い方しない」
「何で」
「怖がるでしょ」
「もう包丁持ってる時点で怖がってるじゃん」
「だから余計に言わない」
「……はい」
意外と素直。
いや。
この三人。
何なんだ。
俺は包丁を持ったまま、少し距離を取る。
「確認なんですけど」
赤髪の男を見る。
「手紙を送ったの、あなたたち?」
「ああ」
「本当に?」
「本当に」
「無限の通路とか、ロッカーとか書いてたやつ」
「それも俺たち」
「……」
来た。
やっぱり。
ここで間違いない。
赤髪の男が続ける。
「来てくれて助かった」
「助かった?」
「話したいことがある」
「何を」
「色々」
曖昧。
また色々。
アヒルフェといい、この人といい、重要そうな奴ほど「色々」で済ませる癖でもあるのか。
すると制服の男が手を上げた。
「あ、ちなみに」
「何」
「最後の“来なかったらこっちから探す”ってところ」
「……はい」
「あれ俺」
「は?」
「俺が書いた」
「何で!?」
思わず声が出た。
「いや、来なかったら面倒だから」
「完全に脅しじゃん!」
「そう?」
「そうだよ!」
制服男は少し考える。
「でも本当に誘拐とかしないよ」
「普通、誘拐する奴も最初はそう言うだろ!」
「それもそうか」
「納得するな!」
「来なかったら普通に待つつもりだったし」
「じゃあ書く必要なかっただろ!」
「来てほしかったから」
何なんだこいつ。
頭がおかしいのか。
いや。
俺が言えることじゃない。
でも、少なくとも常識は少しずれている。
女の子がまた制服男の肩を軽く叩く。
「だから言ったでしょ」
「何を」
「怖がるって」
「来たから結果オーライじゃん」
「そういう問題じゃない」
赤髪の男が小さく息を吐いた。
本当に疲れている。
顔に出てる。
それから俺を見る。
「警戒するのは普通だ」
「……」
「むしろ、その方がいい」
「じゃあ近づかないで」
「分かった」
男は一歩下がった。
少し意外。
無理に距離を詰めてこない。
「ちゃんと自己紹介する」
自分の胸元を指す。
「慶楽智皓」
けいらく、ともあき。
「私立白樺高等学校、三年」
「三年?」
「ああ」
「先輩?」
「そうなる」
……。
急に少しだけ緊張する。
日本の学校って不思議だ。
秘密組織かもしれない相手に包丁を向けるのはそこまで抵抗ないのに、「三年です」と言われた瞬間、
敬語使った方がいい?
とか考える。
学校という制度は強い。
「この店……というより」
慶楽は周囲を見る。
「このクラブのまとめ役みたいなことをしてる」
「リーダー?」
「そう呼びたければ」
「ギルドマスター?」
「違う」
「代表?」
「まあ、それでいい」
ギルドマスターは即否定された。
残念。
次に慶楽は黒髪の女の子を指した。
「こっちが銅崎一夜月」
女の子が軽く頭を下げる。
「よろしく」
「……どうも」
「二年生」
「二年」
「私も最初からここにいる」
声は落ち着いている。
三人の中では一番まともそう。
たぶん。
まだ分からない。
「主に記録と補助」
慶楽が続ける。
「あと、俺と弥源治が馬鹿なことをしそうになった時に止める」
「ほぼそれ」
銅崎が言う。
「いや、俺はそこまでじゃない」
制服男。
「春人は黙って」
「はい」
また素直。
そして最後。
「で、こいつが――」
「弥源治春人」
本人が先に言った。
「一年」
「一年?」
「うん」
「白樺の?」
「そう」
「俺も一年だけど」
「知ってる」
「じゃあ何で見たことないの」
「知らない」
「……」
いや。
知らないって。
「クラスは?」
「言わない」
「何で」
「面倒だから」
「何が」
「色々」
また色々。
この人たち、全員それ使う。
「弥源治」
慶楽が少し低い声で呼ぶ。
「何」
「落ち着け」
「俺は落ち着いてる」
「荷川取が混乱してる」
「最初からしてるじゃん」
「お前が増やしてる」
「……なるほど」
納得するな。
俺は三人を順番に見る。
慶楽智皓。
三年。
リーダーっぽい。
銅崎一夜月。
二年。
まとも枠。
たぶん。
弥源治春人。
一年。
今のところ一番怪しい。
つまり。
三人。
学年が全部違う。
そして全員白樺。
……。
これ。
本当に学校裏組織じゃない?
やっぱり。
生徒会の裏側みたいな。
表向きは普通の学生。
夜になると異世界へ。
しかも本拠地は古いビデオ屋。
それっぽい。
かなり。
『また勝手に格上げしているな』
アヒルフェが言った。
『でもそれっぽくない?』
『まだ三人の学生しか見ていない』
『三人だからいいんだろ』
『何が』
『少数精鋭』
『現実を物語へ変換する癖をやめろ』
『無理』
「それで」
慶楽が俺を見る。
「そろそろ、その包丁」
「……」
「下ろしてくれるか」
俺は少し考える。
今のところ襲ってこない。
距離も取ってくれた。
名前も言った。
白樺の生徒。
しかも三人。
少なくとも、いきなり刺してくる感じではない。
……たぶん。
「分かりました」
ゆっくり下げる。
「すみません」
「いいよ」
「一応、護身用で」
「分かる」
「いや、分かるんですか」
「こういう呼び出し方したから」
慶楽が弥源治を見る。
「こいつのせいで」
「俺だけ?」
「大体」
俺は包丁を差し出した。
「これ」
「預かる」
慶楽が受け取る。
そのままレジ横の少し離れた場所へ置く。
ちゃんと俺から見える位置。
それも少し安心する。
隠さない。
取り上げて持っていくわけでもない。
「じゃあ」
慶楽が言う。
「本題」
空気が少し変わる。
さっきまで変なクラブ名とか、弥源治の脅迫文とかでかなり緩かったのに。
一瞬。
三人とも少し真面目になる。
「荷川取」
「はい」
「自分が何でここへ呼ばれたか、分かる?」
「……」
分かる。
たぶん。
「手紙に書いてあったから」
「具体的には」
「俺が……変な場所に入ったこと」
「変な場所」
「無限みたいな通路」
「うん」
「扉」
「うん」
「学校のロッカーとか」
「それで」
慶楽が少しだけ俺を見る。
「向こう側へ行った?」
「向こう側?」
「そう」
「……」
言い方。
俺は少し迷う。
「逆世界?」
三人。
止まった。
本当に。
全員。
弥源治まで。
さっきまで少しふざけていた顔が消える。
銅崎も俺を見る。
慶楽の目が少し細くなる。
「今」
「何ですか」
「何て言った?」
「逆世界」
「……」
「何か?」
慶楽が銅崎を見る。
銅崎も少し首を振る。
弥源治が言う。
「それ、誰に聞いた?」
やばい。
アヒルフェ。
『言うな』
即座。
『やっぱり?』
『当然だ』
『でもこの人たち知ってる』
『だからこそだ』
『お前、さっき役に立つかもって』
『“有用”と“安全”は別だ』
それ。
確かに。
『もしこの者たちが、お前のような人間を探して殺しているのだとしたら?』
『いや、急に怖いこと言うなよ』
『可能性を考えろ』
『じゃあ何て言う?』
『考えろ』
『また俺?』
『お前の口だ』
慶楽が待っている。
「誰に聞いた?」
「えっと」
俺は少し考える。
嘘。
何か。
ネット?
でも検索しても出ないかもしれない。
本?
誰の。
夢?
いや。
それはそれで怪しい。
アヒルフェのことを完全に隠すのも難しい。
だって目と髪。
明らかに何か起きてる。
それなら。
少しだけ。
「声」
三人がまた黙る。
「声?」
銅崎が聞いた。
「うん」
「どんな?」
「頭の中」
言いながら。
これ。
完全に病院コースだ。
「何か」
俺は続ける。
「俺にだけ聞こえる声がある」
「……」
「それが教えた」
慶楽がかなり真剣に俺を見る。
「名前は?」
「……」
アヒルフェ。
『言うな』
『でも』
『名前は力だ。無闇に渡すな』
『じゃあどうする』
『偽名を使え』
『いや、もう頭の中で呼んでるし』
『この場で言う必要はない』
俺は一瞬迷う。
でも。
「アヒルフェ」
『おい』
『ごめん』
『馬鹿者』
もう言った。
「アヒルフェ?」
弥源治が聞き返す。
「そう」
「外国人?」
「知らない」
「頭の中に?」
「そう」
「ずっと?」
「最近」
「何それ」
「俺も分からないよ」
銅崎が俺の髪を見る。
左目。
「じゃあ、その見た目も?」
「たぶん」
「へえ」
弥源治が急に言う。
「俺、コスプレだと思ってた」
「……」
「かなり本気の」
「違う」
「目も?」
「違う」
「髪も?」
「違う」
「マジ?」
「マジ」
慶楽まで少し言う。
「正直」
「何」
「俺も最初はそれ系だと思った」
「それ系?」
「廊下で噂になってたから」
「何て」
嫌な予感。
「中二病」
「また!?」
何で。
何で全員それ。
俺そんなにそれっぽい?
いや。
異世界。
特殊な目。
白髪。
頭の中の謎の存在。
……。
ちょっとそれっぽい。
でも本物。
そこが重要。
「違うから!」
「分かった」
「本当に」
「分かったって」
「その言い方信じてないだろ」
「いや」
慶楽が少しだけ口元を動かす。
「少なくとも、普通じゃないのは分かる」
「……」
褒めてる?
違うか。
「じゃあ」
俺は少し苛立ちながら言う。
「何で呼んだんですか」
「それを今話す」
慶楽の顔がまた真面目になる。
「俺たちは、荷川取を疑ってる」
「……」
え。
「何を」
「あること」
「犯罪?」
「違う」
「じゃあ何」
銅崎が横から言った。
「学校の中に、新しい“向こう側”ができた」
「……」
「あなたの言い方なら」
少し間。
「逆世界」
俺の胸が少しだけざわつく。
「白樺に?」
「うん」
「どこ」
「それを調べてる」
「で」
慶楽。
「今のところ」
一瞬。
「荷川取が一番怪しい」
「は?」
本当に声が出た。
「俺!?」
「そう」
「何で!」
「時期」
「時期?」
「発生したタイミングと、お前が最初に変な場所へ入ったタイミングが近い」
「いやいや」
「それだけじゃない」
「何」
「学校での噂」
「……」
「壊れた場所」
「……」
「行方が分からない時間」
「……」
「その他」
「待って」
俺は手を上げる。
「俺が作ったと思ってる?」
「可能性として」
「無理!」
即答。
「俺、そんなことできない!」
「本当に?」
「本当です!」
「作り方を知らない?」
「知らない!」
「意識的にも?」
「ない!」
「無意識は?」
「それは知らないけど!」
三人。
少し黙る。
慶楽が銅崎を見る。
「どう思う」
「嘘ではなさそう」
「俺も」
弥源治。
「むしろ本気で知らなそう」
「それ失礼じゃない?」
「事実」
「……」
慶楽が少しだけ息を吐く。
「なら、最初の仮説は弱い」
「最初から違う」
「でも」
慶楽は俺を見る。
「まだ終わってない」
「何が」
「何か」
少しだけ言葉を選ぶ。
「最近、変なことはなかった?」
「全部変だけど」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ」
「学校で」
俺は考える。
「妙な場所」
考える。
「壊れた場所」
考える。
「消えたもの」
考える。
「時間がおかしかったとか」
……。
ある。
いや。
いっぱい。
でも。
その中で。
「……三階」
声が少し小さくなる。
「何」
「トイレ」
三人の空気が変わる。
「三階の?」
「うん」
「壊れたところ?」
「そう」
俺は少し迷う。
『言うのか』
アヒルフェ。
『どう思う』
『分からん』
『珍しい』
『この者たちは観察力が高い』
『だから?』
『半端に隠せば逆に怪しまれる』
『じゃあ言う』
『必要最低限だ』
俺は慶楽を見る。
「俺」
「うん」
「二回目に変な場所へ入った時」
「……」
「そこから入った」
沈黙。
「トイレから?」
「そう」
「どうやって」
「鏡」
「鏡?」
「あと」
思い出す。
影。
水。
床。
「気づいたら」
説明。
「別の白樺みたいな場所にいた」
「一人?」
「一人」
「誰かに連れていかれた?」
「違う」
「誘導?」
「たぶんない」
「何か触った?」
「鏡」
「何かした?」
「……見ただけ」
嘘ではない。
全部でもない。
慶楽は少し考える。
「それ」
「何」
「重要だ」
「やっぱり?」
「ああ」
銅崎も頷く。
「かなり」
「何で」
「その三階のトイレ」
慶楽が言う。
「俺たちも調べてた」
「……」
「壊れた時期が、異常が増えた時期と一致する」
「じゃあ」
「そこが入口かもしれない」
「……」
「あるいは」
少し間。
「もっと別の何か」
俺は少しだけ背中が冷える。
知ってる。
やっぱり。
この人たち。
本当に。
俺が見たものに近い何かを知ってる。
それだけで。
さっきまでの映画クラブ感が急に薄くなる。
秘密組織。
戻ってきた。
……いや。
まだ映画クラブだけど。
「で」
慶楽が言う。
「荷川取」
「はい」
「他にも聞きたいことがある」
「まだ?」
「かなりある」
「……」
長い。
絶対長い。
俺は少しだけ嫌な予感がした。
でも。
同時に。
少しだけ嬉しかった。
ようやく。
俺が見たものを。
最初から笑わない人間がいる。
それだけは。
本当に。
少しだけ救われた気がした。




