第⑩章:道化の契約 (2)
【読者の皆様へ・作者より大切なお知らせとお詫び】
いつも『鏡のエレジー』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
8月9日から8月13日までの間、更新がストップしてしまい大変申し訳ありませんでした。
日課にしていた毎日更新を楽しみにしてくださっていた皆様には、心よりお詫び申し上げます。
実はここ数日、私生活の方で「引っ越し」があり、荷 meの片付けや新生活の手続きなどに追われておりました。
どうしても執筆と投稿の時間を確保することができず、更新を空けてしまいました。
そんな更新が止まっていた期間中も、作品を訪れて章を読み進めてくださったり、ブックマークやPVを維持して応援してくださった皆様の存在が本当に励みになりました。最低PVを記録した日もありましたが、それでも読んでくださる方がいることに感謝しかありません。
引っ越しの作業も無事に落ち着きましたので、本日より再び投稿を再開いたします!
今回は第10章をお届けします。サトリとアヒルフェの「契約」と、新たな展開をぜひお楽しみください。
これからも誠心誠意、物語を紡いでいきますので、応援のほどよろしくお願いいたします!
それから少しして。
アヒルフェは、机の上で小さなメジロの姿をしたまま、俺をじっと見ていた。
さっきまでの話だけでも十分すぎるほど情報が多かったのに、どうやらまだ終わりではないらしい。
嫌な予感がする。
いや、正確には――嫌な予感というより、ちょっと楽しみな予感だ。
そういう自分が少しだけ怖い。
でも、怖がる必要なんてない。
少なくとも今は。
俺は生きている。
昨日死にかけた。
それでも生き残った。
そして今、俺の中にはアヒルフェがいる。
なら、次にやることは決まっている。
始めるだけだ。
「さて」
アヒルフェが言った。
「次の話をする」
「また説明?」
「当然だ。君には説明が必要だからな」
「なんか俺、ずっと説明されてない?」
「それは君の理解が遅いからだ」
「……」
やっぱり腹立つ。
でも、もう少し慣れてきた気もする。
「それで、今度は何?」
「使命だ」
「使命……」
その言葉に、俺は少しだけ姿勢を正した。
使命。
こういう単語には弱い。
ゲームでも漫画でも、物語を動かすのはだいたいそういう言葉だ。
目的。
旅。
使命。
運命。
選択。
そういうものが揃うと、ようやく“物語”になる。
俺は、つい昨日まで普通の高校生だった。
今日からは違う。
……たぶん。
「俺たちは、これから一つの道を進む」
アヒルフェが言った。
「俺はそれを《完璧なルート》と呼んでいる」
「完璧なルート?」
「そうだ」
その言葉には、妙な重みがあった。
いつもの嫌味っぽい口調とは少し違う。
冗談ではない。
本気なのだと分かる。
だから俺も、少しだけ黙った。
「簡単な人間の言葉に直せば、“目的に辿り着くために必要な順序を外さず進む道”だ」
「つまり……」
俺は少し考えた。
「メインミッション?」
アヒルフェが黙った。
数秒。
かなり長い沈黙だった。
「……何だ、それは」
「だからメインミッション。主目的っていうか、物語の一番大きな目標」
「意味は分からない」
「え」
「だが、“主目的”という意味で使うなら、それでいい」
「よし」
俺は少し得意になった。
この世界の未知の存在に、俺の言葉で概念を説明できた。
こういうのも悪くない。
「じゃあ、メインミッションが《完璧なルート》ってこと?」
「まあ、そう考えておけ」
「サブミッションとかもある?」
「……お前は本当にそういう言葉が好きだな」
「便利じゃん」
「便利すぎて思考を雑にする」
「でも分かりやすい」
「……否定はしない」
アヒルフェは少しだけ諦めたように言った。
そして、話を続ける。
「俺たちがこれから探すものがある」
「何?」
「《宇宙の断片》だ」
「……かっこいい」
思わず口から出た。
アヒルフェが少しだけ呆れたようにこちらを見る。
「名前だけで喜ぶな」
「いや、だって“宇宙の断片”って普通にかっこいいだろ」
「まあ、名前だけならな」
「じゃあ何なの?」
「それは後で説明する」
「また後?」
「君は質問が多い」
「そっちが説明を省いてるだけだろ」
「必要なことから話している」
アヒルフェは、そこで少しだけ間を置いた。
「《宇宙の断片》は、特定の存在から得る必要がある」
「誰から?」
「それも後だ」
「……」
俺は露骨に顔をしかめた。
「お前、後回し多すぎない?」
「物事には順序がある」
「俺には順序がないんだけど」
「だから君は危険なんだ」
……まあ、それはそうかもしれない。
でも、今はそこを気にしても仕方ない。
「じゃあ、その“メインミッション”の最初は?」
「まず、白樺高校の逆世界へ入る」
「……」
俺の胸が少しだけ跳ねた。
やっぱり。
そこか。
あの場所へ、また行く。
そう考えただけで、昨日の恐怖と、別の感覚が同時に湧いてくる。
怖い。
でも楽しみ。
矛盾してる。
だけど、その矛盾が今の俺には心地よかった。
「そのために必要なのは三つだ」
アヒルフェが指を立てるような仕草をした。
「一つ。入口を見つける」
「うん」
「二つ。中心へ到達する」
「中心……」
「三つ。創世者を見つける」
俺は、そこで黙った。
「創世者?」
「そうだ」
アヒルフェの声が少し低くなった。
「君が昨日見た空間は、自然発生したものとは考えにくい。誰かが作った。あるいは、何かが作った」
「誰かが?」
「その可能性が高い」
「じゃあ、その人を探す?」
「そうだ」
「見つけたら?」
アヒルフェは答えなかった。
「……そこから先は、その時に教える」
「またそれかよ!」
思わず立ち上がった。
左脚に鈍い痛みが走る。
うわ。
ちょっと痛い。
でも立てる。
それなら問題ない。
「おい、座れ」
「いや、だって!」
「君は昨日、死にかけたことをもう忘れたのか?」
「忘れてない」
「なら騒ぐな」
アヒルフェの声は、疲れ切っていた。
「君に全部を教えれば、君は勝手に解釈して勝手に動く。昨日と同じことになる」
「……」
それを言われると、言い返しづらい。
「だから、必要なことだけ伝える」
「……分かった」
俺は座り直した。
「で、逆世界に入るにはどうするの?」
「簡単ではない」
「また?」
「君が昨日入れたのは、偶然に近い」
「じゃあ、もう入れない?」
「入れる可能性はある」
「よし」
「喜ぶところではない」
「なんで?」
「君は、昨日それで死にかけたからだ」
「……」
それは確かに。
でも、今度は違う。
俺にはアヒルフェがいる。
昨日の俺とは違う。
何も知らずに入った昨日とは違う。
「君の力を使うためには、いくつか条件がある」
「力」
その言葉を聞いただけで、背筋が伸びる。
やっぱり、力。
能力。
俺のものになるのだ。
「ただし、逆世界では人間の世界のように、念じれば何でも出るわけではない」
「じゃあ何が必要?」
「触媒だ」
「触媒?」
「俺と君の精神を、逆世界の《幻想物質》へ接続するためのものだ」
「……それっぽい」
「何がだ」
「いや、魔法使いっぽい」
「魔法使い……」
アヒルフェは、また沈黙した。
「君は本当に、何でも物語に変えるな」
「だって、そういう世界なんだろ?」
「……否定はしない」
俺は少し考えた。
触媒。
武器とか、杖とか。
でも俺が持っているもので、何か使えそうなもの。
制服。
ノート。
スマホ。
ペン。
……カード。
そこで、ひとつ思いついた。
「トランプは?」
「……何だ、それは」
「だからトランプ」
「知らない」
「知らないの?」
「知らない」
「いや、人間なのに?」
「俺は君たちの現代文化を知らない」
「……そっか」
まあ、そうか。
アヒルフェは何百年とかいう単位で逆世界にいたらしい。
トランプなんて知るわけがない。
「四種類のマークがあるんだよ」
「四種類?」
「スペード、ハート、ダイヤ、クラブ」
「意味が分からない」
「それと、キング、クイーン、ジャック」
「……」
「あとジョーカー」
俺はそこで少し笑った。
「ジョーカーは、道化師みたいな奴なんだ」
アヒルフェが黙る。
「……」
「お前にちょうどいいだろ?」
しばらくして。
「……悪くない」
初めて、アヒルフェが少しだけ興味を示した。
「紙の道具か」
「そう。普通のカードだけど、ゲーム以外にも色々使える」
「なら、それでいい」
「え?」
「触媒候補としては面白い」
その瞬間、俺の頭の中で何かが繋がった。
黒いカード。
白と紫の光。
ジョーカー。
道化師。
……絶対に合う。
たぶん、かなり合う。
俺は思わず笑った。
でも、その直後、アヒルフェの声が少し変わった。
「もう一つある」
「何?」
「君には、俺の力を一つだけ“常時働く形”で残す必要がある」
「常時?」
「使おうと思わなくても発動するものだ」
……それはかなり重要じゃないか。
「そのためには、契約が必要だ」
「契約?」
「魂の契約だ」
空気が少しだけ変わった。
俺は無意識に背筋を伸ばした。
「何をするの?」
「約束するだけだ」
「何を?」
「俺の持つ力の一つに対して、干渉しないこと」
よく分からない。
でも、名前だけは聞きたかった。
「なんて力?」
アヒルフェの姿が、鏡の中で一瞬だけ違って見えた。
白い面。
その奥に、紫色の光。
そして――
「自動保存」
その言葉が、頭の中に直接刻まれた。
「……自動保存?」
「そう」
「すごそう」
「君は本当に名前だけで判断するな」
「だって、絶対すごいじゃん」
「……否定はしない」
そして次の瞬間。
鏡の向こうから、巨大な白い光が生まれた。
まぶしい。
部屋全体が白くなる。
俺は思わず目を細めた。
「魂の契約だ」
アヒルフェの声が響く。
「俺は、君に《自動保存》を与える。
代わりに、君はこの力へ勝手に干渉しない。
書き換えない。
壊さない。
否定しない。
俺が後で説明するまで、その本質へ手を出さない」
……よく分からない。
でも、力をもらえる。
それだけで十分だった。
今の俺にとっては。
「分かった」
「本当に?」
「うん」
「後悔するぞ」
「しない」
俺は迷わず答えた。
「だって、俺は――」
少しだけ、胸を張る。
「もう普通のままじゃないから」
白い光が、さらに強くなる。
そして、次の瞬間。
光が消えた。
部屋は元の朝へ戻った。
静かだ。
何も変わっていないように見える。
でも、何かが確実に変わった。
アヒルフェがいる。
俺の中にいる。
そして、俺には新しい力がある。
これから俺たちは、一つの身体で動く。
二人で。
俺とアヒルフェ。
……まあ、本人はかなり不満そうだけど。
「最悪だ」
アヒルフェが言った。
「どうして俺が、よりにもよってこんな餓鬼と同居しなければならない」
「俺も別に好きでお前と一緒にいるわけじゃないし」
「それは結構」
「でもさ」
俺は少し笑った。
「これって、運命じゃない?」
「知らん」
「俺がお前の器になったのも」
「偶然だ」
「でも、偶然も運命みたいなもんだろ」
「君は本当に都合のいい言葉を作るな」
「だって、そうだろ」
俺は鏡を見る。
黒と白の髪。
右の茶色い目。
左の異様な灰色。
そして、その奥に浮かぶ微かな紫。
昨日までの俺じゃない。
もう違う。
今度こそ始まる。
退屈だった毎日。
何も起こらなかった日々。
全部、ここから変わる。
俺にはアヒルフェがいる。
逆世界へ行ける。
力もある。
そして、自動保存というよく分からない能力まで手に入れた。
なら、あとは一つだけだ。
進む。
「なあ、アヒルフェ」
「なんだ」
「俺が器なんだろ?」
「そうだ」
「なら、俺が選ばれたってことでいいじゃん」
少しの沈黙。
それから、アヒルフェが疲れた声で答えた。
「……そういうことにしておけ」
その言葉だけで十分だった。
俺は笑った。
今度こそ。
本当に。
俺の物語が始まる。
――いや。
正確には。
俺とアヒルフェ、二つの魂が一つの身体で進む物語が、ここから始まる。




